栗原純(東京女子大学文理学部教授)「台湾籍民と日本国籍」
孫安石(北大法学部講師)
「1920年代、中国国籍法改正と日中関係について〜「保護」と「取締」をめぐる法律解釈問題」
川島真(北大法学部助教授)「清末民初・中国国籍法制定と日本」

<開催主旨>

現在、日本史・日本帝国史における「日本人の内縁・外縁論」、台湾史における「台湾籍民」論、中国史における国籍法と華僑問題、朝鮮史における間島問題、華僑史における「籍牌・登録民問題」など、東アジア史の各方面で戸籍や国籍が様々な角度から論じられ始めている。しかし、それは本来東アジア全体の人の移動や各方面の政策の内容などと活発に関わっていたはずであるのに、研究においては個々の分野で個別的に論じられているという面が拭い切れない。そこで、今回は各方面で実証研究を進めている研究者に声をかけ、他方で国籍法や現代中国法、イギリス帝国史などの観点から 様々な批評を加えていただくことにした。国籍の問題は、19世紀後半から20世紀前半にかけて東アジアに導入された制度であるが、人の移動やナショナリズムと密接な関わりをもちながら、各地域で独自の変容をとげ現在に至っている。このワークショップは現状分析に対する示唆も視野にいれいている。
 

栗原報告

本報告では、まず下関条約で定められた台湾島民に対する2年間の国籍選択猶予期間から台湾籍民の誕生、増加までが人口統計などを利用して述べられた。史料としては日本外務省保存記録が用いられていた。次に、対岸における籍民の状況が述べられ、治外法権と納税面での特権が享受できたこと、そのため「仮冒籍民」という本来籍民でない籍民が増加し、彼等による外交案件が頻発していく様が説明される。この間、福州領事や外務省との間で、そうした仮冒籍民を弁別していく国籍法適用のあり方が協議・調整されていく。そして、「大正南進期」と台湾籍民について、同時期には籍民が再び急増し、取締が困難になっていく様が、旅券制度の変容とともに語られた。一次史料を駆使した実証的な報告であった。
 

孫報告

本報告では、1920年代の日中関係において見られた国籍法の解釈と運用問題を、1923年にソウルで開かれた「在満洲朝鮮関係領事館打合会議」と26年の「中国国籍法施行細則」の実施という二つの出来事を軸に検討する。一次史料に基づいた実証的な報告で、添付された資料に基づきながら、在満朝鮮人をめぐる国籍問題、1927年「国籍離脱取締規則」の解釈をめぐる日中の対立、在満朝鮮人と中国国籍への帰化問題、1929年新訂国籍法をめぐる日中の攻防などが、詳細に説明された。結論部では、1920年代のアジアにおける国籍問題が「国民」の権利と義務の指標としての意味をもっており、日中両国が自国の主権の貫徹のために「保護」と「取締」をおこなったとする。また問題提起として、1920年代の国籍法をめぐる日中間の議論は、現場と実務レベルでおこなわれており、帝国としての大方針は見られなかった。それは、台湾・厦門、朝鮮・満洲における「帝国臣民」の活動を黙認していたということであり、その当然の帰結として中華民国の衝突が発生する。そして、1930年代になると満洲国が建国され新たな国籍問題が浮上するのである。
 

川島報告

本報告では、外交文書を利用した国籍問題研究の限界など史料批判も述べられたが、総じて清朝の国籍法制定と日本の関係、シャムにおける華僑の日本国籍取得・登録の事例が述べられた。清の国籍法制定は、朝貢貿易制度の実質的瓦解によって、海外の華僑の現地での身分保証が困難になったため、華僑保護という一種近代的な物言いの中で実現化していった。直接的な原因は、オランダ領東インドにおける華僑虐待であった。この宣統二年国籍法によって、日本ははじめ血統主義によって台湾島民も清国国籍を取得できるのではないかと危惧したさまが外務省記録に即して述べられた。また、シャムの事例について、日本の台湾領有によって駐バンコック日本公使館に突然台湾出身と自称する華僑があふれ、日本国国籍取得を求めたという事例を通じて、華僑にとって国籍など自分の活動を有利に展開するための道具に過ぎなかったと説明した。