自己紹介に代えて |
私とフランス語の付き合いは1981年にさかのぼる。「父親の仕事の都合」で、フランスに移住したことがきっかけである。「父親の教育方針」で、「失われた時の学校(ecole de Perdtemps)」という洒落た校名を持つ現地校に放り込まれた私は、フランス人の友達とサッカーボールを追いかけ、ジャック・プレヴェールの詩を暗記し、長い金髪の女の子に恋をし、第二次世界大戦の対ドイツ戦勝記念式典に、訳がわからぬままクラスメイトとともに参加した。数ヵ月後にはぺらぺらとフランス語を喋っていたと当時の人たちにはいわれるが記憶にない。 いわゆる「帰国子女」として帰国し、高校入試、大学入試ともにフランス語受験だった。フランス語受験は人口が少ないので、相対的に有利である。大学を卒業して、政府系機関に勤めたら、一年も待たずに「フランスに行け」といわれた。今では大学でフランス政治と欧州統合を研究している。 個別は普遍に通じる、ということを私が学んだのは、中学の時に転校したオーストリアのフランス人学校においてである。ヨーロッパの“片田舎”でもあるオーストリアでは、地元の上流階級の子弟は英米系のインターナショナル・スクールか、フランス人学校で学ぶ。しかし、むしろ私が仲良くしたのは、隣の東欧諸国から亡命してきた移民や、紛争を運良く逃れることができたアフリカの旧植民地からの移民の子供たちだった。私は彼等と、フランス語という媒介を通じて、仲間になった。 フランスの学校教育で身に付いた共和主義精神は、私の原風景である。「フランスという共和主義国家が私に、社会的上昇と公共空間に参加することを可能にした」と書いたのはピエール・ビルンボームという政治学者だ。ポーランド移民の子であったユダヤ人ビルンボームの青年期を、ナチス・ドイツとフランスのヴィシー政府という「ふたつの敵対的な世界」から救い出したのも、まさにこの共和主義精神である。 2002年の大統領選で極右候補者が2位当選したように、フランスにも根強い人種差別はある。しかし彼らは、そんなことはおくびにも出さない。フランス人であろうとすればするほど、普遍主義的な文化を体現しなければならないからだ。 1998年のサッカーワールドカップでのフランスチーム優勝は、まさにその理想だった。トリコロール(三色旗)をもじって「ブラックBlack・ブランBlanc・ブールBeurs(黒、白、褐色)」といわれたように、文化も民族も異なるプレイヤーたちが、フランスの栄光のために一致団結して闘い、勝利したからだ。 しかし、「多様なものがフランスを通じて市民となる」というのがフランスの普遍主義文化の精神だとすれば、この原則は、グローバル化と個人主義化の中で通用しなくなってきている。マイノリティー文化とアイデンティティの認知の要求、欧州統合による国境の消滅、コルシカの自治問題、旧植民地であったアルジェリアとの歴史問題等々から、自国の普遍主義が通用しなくなりつつあることを実感している。 ビルンボームではないが、私も「共和主義精神」によって「フランス人」になれるのではないかと考えるのは、もはや思い込みにすぎないのだろうか。 『フランス語で広がる世界』駿河台出版社2004年より |
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