1950年4月14日 | アメリカ、国家安全保障理事会第六八号決議(NSC68) |
1950年5月9日 | フランスのシューマン外相、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)計画を公表(シューマン・プランの発表)【4-2】 |
1950年6月2日 | イギリス、ECSCへの参加を拒否【4-4】 |
1950年6月20日 | パリでECSC設立交渉開始 |
1950年6月25日 | 朝鮮戦争勃発 |
1950年8月11日 | チャーチル、欧州審議会諮問議会で、「欧州軍」設立要求 |
1950年9月12日 | 欧州決済同盟(EPU)創設【4-5】 |
1950年9月12日 | ニューヨーク英米仏外相会談始まる(アチソン米国務長官、ドイツ再軍備を提案) |
1950年10月24日 | プレヴァン仏首相、欧州防衛共同体(EDC)提唱(プレヴァン・プラン)【4-9】 |
1950年10月28-31日 | イギリス、プレヴァン・プラン参加拒否 |
1950年11月4日 | 欧州審議会、欧州人権条約を採択【4-8】 |
1950年11月6日 | マンスホルト、欧州審議会にて農業共通市場構想を提出(マンスホルト構想)【4-7-A】 |
1950年12月 | NATO理事会、スポフォード妥協案。北大西洋条約の軍事機構化、欧州連合軍最高司令官としてアイゼンハワー就任【4-11】 |
1951年2月15日 | パリでプレヴァン・プラン交渉始まる |
1951年3月24日 | ヨーロッパ農業市場の創設に関するフランス覚書(フリムラン構想)【4-7-B】 |
1951年4月2日 | NATO欧州連合軍司令部、活動を開始 |
1951年4月18日 | 独仏伊およびベネルクス3国の6カ国、欧州石炭鉄鋼共同体設立条約(パリ条約)に調印(52年7月23日発効)【4-12】 |
1951年9月14日 | EDCをめぐる英米仏ワシントン決議【4-13】 |
1951年10月25日 | 英総選挙、保守党の勝利、チャーチル政権へ |
1952年2月 | リスボン北大西洋理事会、NATOの常設機構化(本部パリ)、ギリシャ、トルコのNATO加盟 |
1952年2月 | イーデン・プラン【4-15】 |
1952年3月10日 | ソ連、統一ドイツ中立化を提案(スターリン・ノート) |
1952年3月25-28日 | 農業共同市場設立のための15カ国会談(プールヴェール交渉) |
1952年5月27日 | パリでEDC条約調印 |
1952年7月23日 | 欧州石炭鉄鋼共同体設立条約(パリ条約)発効 |
1952年8月10日 | ECSC高等機関、ジャン・モネ委員長の下で業務に着手【4-16】 |
1952年9月10日 | ECSC外相会議、EPC設立へ向けたルクセンブルク決議【4-17】 |
1952年9月13日 | ECSC、EPC討議のための「アドホック議会」設立 |
1952年12月11日 | EPCのためのベイエン・プラン(政治統合+経済統合)【4-18-A】 |
1953年1月1日 | ECSCの課徴金制度が発効 |
1953年1月20日 | 米、アイゼンハワー大統領就任 |
1953年2月10日 | 石炭、鉄鉱石、屑鉄の共同市場発効 |
1953年3月 | 第2回プールヴェール交渉(パリ) |
1953年3月5日 | スターリン死去 |
1953年3月10日 | 「アドホック議会」、EPC条約草案に合意 |
1953年5月1日 | 鉄鋼の共同市場発効 |
1953年5月12日 | 6カ国によるEPC創出の決定 |
1953年7月27日 | 朝鮮戦争休戦協定調印 |
1953年9月3日 | 欧州人権条約発効 |
1953年11月28日 | ECSC6カ国、EPC設置のための政府間委員会を創設 |
1954年 | プールヴェール交渉破綻、作業をOEECの専門委員会に移管 |
1954年6月18日 | フランス、マンデス=フランス内閣成立 |
1954年8月30日 | フランス国民議会、EDCを否決【4-19】 |
1954年9月11-16日 | イーデン英外相、欧州各国歴訪 |
1954年10月3日 | ロンドン9カ国会議最終議定書【4-20-B】 |
1954年10月23日 | パリ協定、ブリュッセル条約機構を西欧同盟(WEU)に改組。 西独、WEUおよびNATO加盟へ |
1954年11月9日 | モネ、ECSC高等機関臨時会合にて、任期延長しないと宣言 |
1954年12月4日 | 欧州司法裁判所、活動開始 |
1955年4月6日 | チャーチル引退をうけ、イーデンが英首相就任 |
1955年5月5日 | パリ諸条約発効により、西ドイツ主権回復 |
1955年5月6日 | パリで西独を含んだ最初の西欧同盟(WEU)会議開催 |
1955年5月9日 | 西ドイツのNATO加盟 |
1955年5月14日 | ソ連・東欧8カ国、ワルシャワ条約調印 |
1955年5月18日 | ベイエン・プラン(ベネルクス覚書)【4-18-B】 |
1955年6月1-3日 | ECSC6カ国外相がメッシーナで会議、3日に「メッシーナ決議」採択【4-21】 |
1955年6月10日 | モネ、ECSC高等機関委員長辞任、後任にルネ・メイヤー |
1955年7月9日 | スパーク委員会始動 |
1955年7月18-23日 | ジュネーヴで英米仏ソ首脳会談【4-22】 |
1955年9月23日 | 英、ECSC協力協定発効 |
1955年10月13日 | モネ、「ヨーロッパ合衆国行動委員会」設立 |
1955年10月27日 | ザールで住民投票、「ヨーロッパ的地位」を否認。 |
1956年1月19日 | モネの行動委員会、EURATOMへ向けた共同声明【4-26】 |
1956年2月14-25日 | 第20回ソ連共産党大会においてスターリン批判 |
1956年4月21日 | スパーク報告【4-28】 |
1956年5月29日 | ヴェネチア会談、スパーク報告を新条約設立草案として採用 |
1956年6月26日 | ECSC6カ国、EECおよびEURATOM設置のための政府間交渉(ヴァル・ドゥシェス交渉)開始 |
1956年7月18日 | 欧州原子力機関(ENEA)設置提案(58年2月1日始動) |
1956年7月26日 | スエズ危機 |
1956年9月18日 | ヴェレ報告書【4-30-A】 |
1956年10月20-21日 | ECSC6カ国外相会談、共同市場規定をめぐる独仏対立【4-30-B】 |
1956年10月27日 | ザール問題の解決に関する独仏間の条約(ルクセンブルク条約) 締結【4-6-B】 |
1956年10月31日 | 英仏軍、エジプト攻撃 |
1956年11月4日 | ハンガリー動乱 |
1956年11月6日 | アデナウアーとモレによる独仏首脳会談【4-31】 カルステンス=マルジョラン協定(ローマ条約への最終同意) |
1956年12月22日 | 英仏軍、スエズ撤退 |
1957年1月1日 | ザール地方、西独に編入 |
1957年1月10日 | マクミラン、英首相に就任 |
1957年2月7日 | イギリス、自由貿易地域(FTA)設立をOEECに提案【4-32】 |
1957年3月25日 | ECSC加盟6カ国、ローマで欧州経済共同体(EEC)および欧州原子力共同体(EURATOM)設立条約(ローマ条約)に調印 (→7月から11月にかけて各国議会で批准)【4-33】 |
1957年10月4日 | ソ連、人工衛星スプートニク1号の打ち上げ成功 |
1957年10月16日 | OEEC加盟17カ国、FTA構想の交渉開始 |