1958年1月1日 | ローマ条約発効。欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(EURATOM)発足。EEC委員会初代委員長にハルシュタイン、EURATOM委員会初代委員長にルイ・アルマンが就任(7日) |
1958年2月3日 | ベネルクス経済同盟条約調印 |
1958年5月13日 | アルジェリアでの仏軍の反乱、第四共和制の崩壊 |
1958年6月1日 | フランス、ドゴールが挙国内閣を組閣 |
1958年7月3-11日 | 共通農業政策についてのストレーザ会談 |
1958年10月5日 | フランス、新憲法公布、第五共和制へ |
1958年11月10日 | ソ連、ベルリンの自由都市化を要求、第二次ベルリン危機へ |
1958年12月15日 | イギリス主導のFTA構想の挫折 |
1958年12月21日 | ドゴール、大統領に選出(翌年1月8日に就任) |
1958年12月27日 | IMF8条国への参加各国の移行により、EPU解消 |
1959年1月1日 | EEC域内関税の第1回引き下げ |
1959年11月20日 | 欧州自由貿易連合協約(EFTA)仮調印(正式調印は翌年1月4日)【5-2-B】 |
1960年1月1日 | ベネルクス経済同盟発足 |
1960年2月13日 | フランス核実験実施 |
1960年5月1日 | U2撃墜事件(5日にソ連が公表) |
1960年5月3日 | EFTA協定発効 |
1960年5月17日 | パリ東西首脳会談決裂 |
1960年7月30日 | ドゴール、ランブイエでのアデナウアーとの会談で「政治連合」構想を披露 |
1960年9月1日 | GATTディロン・ラウンド開始 |
1960年9月5日 | ドゴール、記者会見で政治連合構想披露 |
1960年9月20日 | 欧州社会基金設立 |
1960年12月14日 | OEEC、米加の参加によりOECDへ(発効は61年9月30日) |
1960年12月19-20日 | 閣僚理事会、CAP基本原則承認 |
1961年1月1日 | 共同市場、共通対外関税の設定により、第一段階開始 |
1961年1月20日 | ケネディ、米大統領に就任 |
1961年1月28-29日 | ドゴール=マクミラン会談、英の共同体参加について |
1961年2月10-1日 | パリ6カ国首脳会談、イギリスとの協定に前向きな姿勢を表明 |
1961年6月28日 | ロンドン宣言、英およびEFTA諸国のEEC加盟交渉の調整 |
1961年7月9日 | EEC、ギリシャ、連合協定に調印 |
1961年7月18日 | 6カ国首脳会談、ボン宣言。政治連合実現へ向けたフーシェ委員会設置【5-6-A】 |
1961年7月31日 | 英首相マクミラン、下院にてEECに加盟申請の意志を表明 |
1961年8月 | アイルランド(1日)、イギリス(9日)、デンマーク(10日)、EEC加盟申請 |
1961年8月13日 | ベルリンの壁建設 |
1961年9月1日 | EEC域内での労働者の自由移動に関する最初の規定、発効 |
1961年9月13日 | 欧州審議会閣僚委員会、欧州地方自治体会議憲章を採択【5-3】 |
1961年10月10日 | イギリスのEEC加盟交渉開始 |
1961年10月18日 | 欧州審議会、欧州社会憲章調印【5-4】 |
1961年10月19日 | 第一次フーシェ・プラン【5-6-B】 |
1961年10月 | アイルランド(23日)、デンマーク(26日)、EEC加盟交渉開始 |
1961年11月8日 | イギリスと共同市場閣僚会議との公式交渉開始 |
1961年12月12日 | オーストリア、スウェーデン、EECとの連合を申請 |
1961年12月15日 | スイス、EECとの連合を申請 |
1962年1月14日 | CAPの成立【5-5】 |
1962年1月18日 | フランス、第二次フーシェ・プラン提示 |
1962年2月9日 | スペイン、EECとの協力協定申請 |
1962年2月27日 | 5カ国、政治連合に関する修正案提示【5-6-C】 |
1962年3月 | イギリス、ECSC(2日)およびEURATOM(5日)加盟申請 |
1962年3月18日 | エビアン協定調印(アルジェリア戦争停戦) |
1962年4月17日 | パリ6カ国外相会議で、フーシェ・プラン挫折 |
1962年4月30日 | ノルウェー、EEC加盟申請 |
1962年5月15日 | ドゴール記者会見、政治連合主張、およびアメリカ批判 |
1962年5月17日 | ケネディの反論(アメリカ関与の再確認) |
1962年5月28日 | ポルトガル、EEC加盟希望表明 |
1962年6月2日 | マクミラン=ドゴール会談(パリ) |
1962年7月1日 | FEOGA始動 |
1962年7月3-5日 | アデナウアー、フランスを公式訪問。独仏二国間関係の進化に合意 |
1962年7月4日 | 米大統領ケネディ、独立記念日演説で、米欧の対等のパートナーシップを訴える【5-10-A】 |
1962年10月22日 | キューバ危機 |
1962年11月1日 | ギリシャとEECとの連合に合意 |
1962年12月21日 | ケネディとマクミラン、「ナッソー協定」【5-11-B】 |
1963年1月14日 | ドゴール、記者会見上でイギリス加盟およびナッソー協定を拒否 |
1963年1月22日 | 仏と西独、パリで友好協力条約(エリゼ条約)に調印 【5-12-B】 |
1963年1月29日 | イギリスのEEC加盟交渉決裂 |
1963年2月5日 | ECJ、ファンヘント&ロース判決(EC法の直接効果)【5-14-A】 |
1963年4月2日 | 西独外相シュレーダー、サンクロニザシオン提案 |
1963年7月20日 | ヤウンデ協定調印(64年6月1日発効)【5-13】 |
1963年9月12日 | EECとトルコ、連合協定調印(64年12月1日発効) |
1963年10月15-16日 | アデナウアー辞任、エアハルト首相へ |
1963年10月18日 | マクミラン辞任、ヒース首相へ |
1963年11月22日 | ケネディ暗殺、エアハルト=ドゴール初の首脳会談(パリ) |
1963年12月15日 | 穀物他の共通価格設定、および4年後の穀物単一市場開始を決定 |
1963年12月23日 | CAP、米、牛肉、乳製品について、64年11月1日開始で合意 |
1964年5月4日 | GATTケネディ・ラウンド(-67年5月16日) |
1964年5月8日 | EEC加盟国中央銀行総裁委員会設立 |
1964年7月1日 | CAP発効 |
1964年7月15日 | ECJ、コスタ対エネル判決(EC法の優位性原則)【5-14-B】 |
1964年10月15日 | イギリス労働党、総選挙で勝利、ウィルソン政権成立 |
1964年12月15日 | 閣僚理事会、独自財源についての委員会提案採択 |
1965年3月23日 | ハルシュタインEEC委員会「1965パッケージ」 :CAP独自財源、欧州議会の権限強化、多数決による決定提案 |
1965年4月8日 | 3共同体(ECSC、EEC、EURATOM)の執行機関、理事会を統合する条約(ブリュッセル条約)調印(発効は67年7月1日) |
1965年7月1日 | 「空席危機」始まる【5-16】 |
1966年1月28-29日 | 「ルクセンブルクの妥協」【5-17】 |
1966年2月21日 | ドゴール、フランスのNATO統合司令本部からの撤退を表明 |
1966年5月11日 | 閣僚理事会、関税同盟と農業共同市場の1968年1月1日完成を合意 |
1966年12月1日 | 西独、キーシンガー大連立内閣成立 |
1967年1月 | ジャン・レイEEC委員長就任 |
1967年5月 | イギリス(10日)、アイルランド(同)、デンマーク(11日)、第2回目の加盟申請(ノルウェーも7月24日に加盟申請) |
1967年7月1日 | ブリュッセル条約発効により、単一閣僚理事会、単一委員会(欧州委員会)発足。以後3共同体は欧州共同体(EC)と総称される。欧州委員会の初代委員長にはジャン・レイが就任 |
1967年9月26日 | エアバス開発合意【5-20】 |
1967年11月27日 | イギリスの加盟申請をドゴール再度拒否 |
1967年12月13-14日 | アルメル報告【5-18-C】 |
1967年12月19日 | EC理事会、イギリスなどの加盟問題棚上げを決定 |
1968年5月10-11日 | パリで学生がカルチェ・ラタン占拠、大規模なストライキ |
1968年6月30日 | 仏総選挙、ドゴール与党の勝利 |
1968年7月1日 | 関税同盟の完成【5-21】 |
1968年7月26日 | ECと東アフリカ(ケニア、ウガンダ、タンザニア)連合協定(アルーシャ協定)締結 |
1968年7月29日 | 共同労働市場創設に向け、共同体内の労働者の自由移動保証 |
1968年8月20-21日 | ワルシャワ条約機構軍、チェコスロヴァキア侵攻 |
1968年9月25日 | ブレジネフ・ドクトリン |
1968年12月10日 | 委員会、共同体の農業改革を目指す「マンスホルト・プラン」を理事会に提案【5-22】 |