1969年1月 | ニクソン、アメリカ大統領に就任 |
1969年2月12日 | 委員会、経済政策調整と通貨協力に関する提案(「バール・プラン」)【5-23】 |
1969年3月4日 | ECとチュニジア、モロッコとが連合協定に調印 |
1969年4月28日 | ドゴール大統領辞任 |
1969年6月15日 | フランス大統領選挙、ポンピドゥーの勝利 |
1969年7月29日 | 第二次ヤウンデ協定調印(1971年1月1日に発効) |
1969年9月24日 | 新アルーシャ協定調印(1971年1月1日に発効) |
1969年10月22日 | 西独、ブラントを首班とするSPD=FDP連立政権発足 |
1969年12月1-2日 | ハーグでEECの首脳・外相会談。新しい共同体政策への着手、CAPの完成、加盟国拡大の3点について合意【5-24】 |
1969年12月19-22日 | 理事会、農業に関する財政的な取り決めで、EC独自財源を充当し、欧州議会の予算に関する権限を強化することで合意 |
1969年12月31日 | EEC、12年間の過渡期を終了 |
1970年1月1日 | 対外通商政策に関する権限が加盟国からECに移行 |
1970年3月19日 | EC、ユーゴスラビアと通商協定調印(5月1日発効) |
1970年4月21-22日 | ルクセンブルク条約(第一次予算条約)調印。理事会、EC独自財源の導入決定、欧州議会に予算決定権付与 |
1970年6月18日 | イギリス総選挙、ヒース保守党政権成立 |
1970年6月30日 | イギリスなど4カ国の加盟交渉再開 |
1970年7月2日 | マルファッティがEC委員会委員長に就任 |
1970年8月12日 | ソ連・西ドイツ武力不行使条約(モスクワ条約)調印 |
1970年10月8日 | 経済通貨同盟の段階的実現を打ち出したウェルナー報告【6-2】 |
1970年10月27日 | EC外相会議で、EPCに関するルクセンブルク報告(ダヴィニョン報告)承認【6-3】 |
1970年11月19日 | ミュンヘンで外交政策調整のための最初のEC6カ国外相会議開催 |
1970年12月5日 | ECがマルタとの連合協定に調印 |
1970年12月7日 | 西ドイツ・ポーランド関係正常化条約(ワルシャワ条約)調印 |
1971年1月1日 | 第2次ヤウンデ協定、新アルーシャ協定発効 |
1971年2月9日 | 理事会、ウェルナー報告に基づく委員会案を採択、71年1月1日に遡って、経済通貨同盟第一段階に入る |
1971年3月25日 | 農相理事会、マンスホルト・プランの実施に合意 |
1971年5月19-21日 | ポンピドゥー=ヒース首脳会談 |
1971年6月23日 | イギリスとの加盟交渉、事実上の妥結 |
1971年7月1日 | EC、91の開発途上国との貿易において「一般特恵関税制度」で合意 |
1971年8月15日 | ニクソン米大統領、金ドル交換停止(ブレトンウッズ体制の崩壊) |
1971年8月19日 | EC蔵相理事会(イギリスも協議に参加)、EC加盟申請4カ国と協議のうえ国際通貨調整交渉に臨むことで一致 |
1971年9月3日 | 米英仏ソ大使、ベルリンの地位に関する協定に調印 |
1971年10月28日 | 英下院、EC加盟を承認 |
1971年11月8日 | EC、アルゼンチンと通商協定調印 |
1971年12月18日 | スミソニアン体制成立 |
1972年1月22日 | アイルランド、イギリス、デンマーク、ノルウェー、ECへの加盟条約に調印【6-4】 |
1972年3月22日 | マンスホルトがEC委員会委員長に就任 |
1972年4月10日 | バーゼルで6カ国中央銀行間協定(バーゼル協定) |
1972年4月24日 | 対ドル4.5%の為替変動幅のトンネルの中で域内変動幅を2.25%とする「トンネルの中のスネーク」制度スタート |
1972年5月 | イギリス・デンマーク・アイルランド「スネーク」加盟 |
1972年5月22日 | アイルランド、国民投票でEC加盟を承認(83%) |
1972年5月22-29日 | ニクソン訪ソ、SALTT妥結など |
1972年6月 | 「スネーク」からポンド(イギリスおよびアイルランド)離脱 |
1972年6月3日 | 米英仏ソによるベルリン協定、正式調印 |
1972年7月22日 | EC、EFTA諸国との自由貿易協定に調印 |
1972年9月24-25日 | ノルウェー、国民投票の結果、EC加盟拒否 |
1972年10月19-21日 | 9カ国によるECパリ首脳会議【6-5】 |
1972年12月21日 | 東西ドイツ間で基本条約締結 |
1973年1月1日 | アイルランド、イギリス、デンマークが加盟し、ECは正式に9カ国に拡大 |
1973年1月6日 | オルトリ、EC委員会委員長就任 |
1973年3月 | イタリア、「スネーク」離脱 |
1973年3月1日 | ヨーロッパ各国の中央銀行、ドル介入を停止 |
1973年3月11-12日 | 閣僚理事会、共同変動相場制採用【6-2】 |
1973年3月28日 | 欧州審議会、最初の欧州環境相会議を開催 |
1973年4月2日 | 欧州通貨協力基金(EMCF)設立 |
1973年4月23日 | キッシンジャー米大統領補佐官、新大西洋憲章提唱、1973年を「ヨーロッパの年」と位置づける【6-6】 |
1973年5月14日 | ECとノルウェーとが自由貿易協定調印 |
1973年7月3-7日 | 欧州安全保障協力会議(CSCE)、ヘルシンキにおいて第1ステージ開催。カナダ、アメリカを含めて35カ国が参加 |
1973年7月23日 | コペンハーゲン報告(第二次ダヴィニョン報告) |
1973年7月26-27日 | ECとアフリカ・カリブ海・太平洋諸国(ACP諸国)との関係強化のための会議開催 |
1973年9月18日 | 東西ドイツ国連加盟 |
1973年10月5日 | ECがフィンランドとの自由貿易協定調印 |
1973年10月6日 | 第四次中東戦争勃発、第一次石油危機へ |
1973年12月14日 | コペンハーゲンEC9カ国首脳会議、「ヨーロッパ・アイデンティティ」宣言【6-7】 |
1974年1月 | フランス・フラン、スネーク離脱、単独フロートに移行 |
1974年1月21日 | 雇用・社会問題担当相理事会、共同体の社会行動プログラム採択、雇用問題、生活・労働条件の調和、EC社会・経済政策の決定への労使参加の3分野がECの活動対象へ |
1974年2月28日 | 英総選挙で保守党敗退、ウィルソン第二次労働党政権成立へ(3月4日) |
1974年4月2日 | ポンピドゥー仏大統領死去 |
1974年5月6日 | 西独、ブラントが首相辞任 |
1974年5月16日 | 西独、シュミットが首相に選出、外相にゲンシャー就任 |
1974年5月19日 | ジスカール・デスタン、フランス大統領に選出 |
1974年6月4日 | イギリス、ECと加盟条件再交渉開始 |
1974年6月26日 | NATO諸国首脳、ブリュッセルで大西洋関係に関する宣言署名 |
1974年12月9-10日 | EC9カ国パリ首脳会議。加盟国首脳が、欧州理事会として定期的に会合を開くことに合意。加えて、欧州議会選挙の実施や欧州地域開発基金の創設など重要事項の決定。【6-8】 |
1975年2月28日 | ECとACP46カ国、資金・技術援助および貿易特恵制度を内容とする第一次ロメ協定に調印(76年4月1日発効)【6-9】 |
1975年3月10-11日 | ダブリンにて初の欧州理事会が開催 |
1975年3月18日 | 理事会、欧州地域開発基金の設置で合意 |
1975年5月11日 | ECとイスラエルとの協力協定調印 |
1975年5月30日 | 欧州宇宙機関(ESA)設立【6-10】 |
1975年6月5日 | イギリス、国民投票でEC残留を決定(67.2%) |
1975年6月12日 | ギリシャ、EC加盟を申請 |
1975年7月22日 | 第二次予算条約、予算に関する権限を欧州議会が獲得 |
1975年8月1日 | CSCE、35カ国が最終合意書(ヘルシンキ宣言)に調印【6-11】 |
1975年9月16日 | ECと中国、国交樹立 |
1975年11月20日 | フランコ将軍死去 |
1975年12月1-3日 | ローマ欧州理事会、ヨーロッパ・パスポートの導入と南北対話への参加を決定 |
1975年12月10日 | ローマ欧州理事会、欧州議会直接選挙の1978年実施を決定(実際には79年6月) |
1975年12月29日 | ヨーロッパ連合設立に関するティンデマンス報告【6-12】 |
1976年2-3月 | 欧州通貨危機(75年7月に復帰していたフランス・フラン、再びスネーク離脱) |
1976年2月16日 | コメコン、理事会に対し、ECとの協定締結を提案 |
1976年4月15日 | 英、キャラハン首相就任 |
1976年4月27日 | EC・マグレブ協力協定締結 |
1976年6月7日 | IMF・英協定締結 |
1976年7月6日 | EC・カナダ、通商・経済協力の大綱協定調印 |
1976年11月 | ハーグ欧州理事会、「ヨーロッパ連合」構想を棚上げに |
1976年12月10日 | ギリシャとEC加盟交渉開始 |
1977年1月1日 | ジェンキンスEC委員長就任 |
1977年3月28日 | ポルトガル、EC加盟を申請 |
1977年7月1日 | EC加盟9カ国間で関税が完全に撤廃される |
1977年7月28日 | スペイン、EC加盟申請 |
1978年3月9日 | EC、CSCEにて活発な役割を担うことを宣言 ECJ、シンメンタール判決【6-13】 |
1978年4月3日 | EC・中国通商協定締結(6月1日発効) |
1978年4月7-8日 | コペンハーゲン欧州理事会、欧州通貨制度(EMS)構想が提案される。また、欧州議会の第1回直接選挙の日程を決定 |
1978年7月6-7日 | ブレーメン欧州理事会、EMSと欧州通貨単位(ECU)を設置する計画を承認 |
1978年9月5日 | EC域内漁業交渉が開始 |
1978年10月16日 | ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世選出 |
1978年10月17日 | ポルトガルとの加盟交渉開始 |
1978年12月4-5日 | ブリュッセル欧州理事会、EMS設立を1979年1月1日とすることを決定【6-14】 |
1979年2月5日 | スペインとの加盟交渉開始 |
1979年2月11日 | イラン革命 |
1979年2月20日 | ECJ、カシス・ド・ディジョン判決【6-15】 |
1979年3月13日 | EMS発足(英は為替相場メカニズム(ERM)に参加せず) |
1979年5月3日 | イギリス総選挙で保守党が勝利、4日、サッチャー政権発足へ |
1979年5月28日 | ギリシャ、加盟条約調印 |
1979年6月7-10日 | 加盟9カ国で直接普通選挙による初めての欧州議会選挙実施 |
1979年7月17-20日 | 直接選挙で選ばれた欧州議会の最初の総会、ストラスブールで開催、シモーヌ・ヴェイユを初代議長に選任 |
1979年10月31日 | ECとACP58カ国、第二次ロメ協定に調印(80年3月1日発効) |
1979年11月4日 | イラン、アメリカ大使館人質事件 |
1979年11月30日 | 欧州理事会、テヘラン米大使館の人質釈放を要求する声明 |
1979年12月12日 | NATO合同理事会、「二重決定」【6-16】 |
1979年12月24日 | ソ連のアフガニスタン侵攻 |