1980年1月15日 | EC9カ国外相会議、アフガン侵攻に対する非難声明【6-17】 |
1980年2月12日 | EC委員会、アフガン難民に対する緊急援助を決定 |
1980年3月7-8日 | EC、ASEANと協力協定調印。ルーマニアと協力協定調印 |
1980年4月2日 | EC、ユーゴスラヴィアと協力協定調印 |
1980年9月17日 | ポーランド、独立自主労組「連帯」成立 |
1980年10月1日 | スピネッリら「クロコダイル」創刊【7-2】 |
1981年1月1日 | ギリシャ、EC10番目の加盟国に |
1981年1月6日 | トルン、EC委員長に就任 ドイツ外相ゲンシャー、シュトゥットガルト演説、政治協力の強化を説く【7-3】 |
1981年5月21日 | フランス、社会党のミッテランが大統領に就任 |
1981年10月13日 | 欧州理事会、政治協力の強化を謳った「ロンドン報告」採択 |
1981年11月 | ゲンシャー・コロンボ・イニシアティブ【7-3】 |
1982年2月23日 | デンマーク領グリーンランド、住民投票によりEC離脱決定 |
1982年4月2日 | フォークランド戦争始まる |
1982年6月30日 | 欧州議会、委員会、理事会が財政改善のための共同宣言発表 |
1982年10月1日 | 西独、コールを首班とするCDU/CSUとFDPの連立政権発足 |
1983年1月25日 | 6年に及ぶ交渉の末、加盟国、共通漁業政策に合意 |
1983年3月25日 | 仏、通貨危機に伴い経済緊縮政策発表 |
1983年6月19日 | シュトゥットガルト欧州理事会、「ヨーロッパ連合に関する厳粛なる宣言」を採択 |
1984年2月14日 | 欧州議会、「ヨーロッパ連合条約草案」可決【7-2】 |
1984年2月28日 | ESPRIT計画【7-4】 |
1984年6月14-17日 | 第2回欧州議会直接選挙実施 |
1984年6月25-26日 | フォンテーヌブロー欧州理事会、イギリス予算還付金問題解決、ドロールを次期EC委員長に指名【7-5】 |
1984年6月27日 | 西欧同盟、西独に課してきた通常兵力に対する制限条項を撤廃 |
1984年9月26日 | ECと中国、通商・経済開発協定に調印 |
1984年10月26日 | 西欧同盟、再活性化を求め、政治目的および制度改革についてのローマ宣言を採択 |
1984年12月8日 | ECとACP65カ国、第三次ロメ協定に調印(86年5月1日発効) |
1985年1月1日 | 最初のヨーロッパ・パスポート発行 |
1985年1月7日 | ドロールEC委員長就任(-1995年) |
1985年3月10日 | ソ連、ゴルバチョフが党書記長に選出 |
1985年6月12日 | スペインとポルトガル、EC加盟条約に調印 |
1985年6月14日 | 委員会、「域内市場白書」を提出【7-6-A】 |
シェンゲン協定調印(独仏とベネルクス3国) | |
1985年6月20日 | 「民衆のヨーロッパに関する委員会」の最終報告書(「アドンニーノ報告」)が欧州理事会へ提出される |
1985年6月28-29日 | ミラノ欧州理事会、「域内市場白書」の採択、および条約改正のための政府間会議の招集を決定【7-6-B】 |
1985年7月17日 | EUREKAハノーファー宣言【7-8】 |
1985年9月9日 | ルクセンブルクで政府間会議開催 |
1985年9月22日 | プラザ合意 |
1985年10月15日 | 欧州審議会、85年6月に採択された欧州地方自治憲章に署名【7-7】 |
1985年12月2-3日 | ルクセンブルク欧州理事会「単一欧州議定書(SEA)」に合意 |
1985年12月16-17日 | 外相理事会、単一欧州議定書の承認 |
1986年1月1日 | スペインとポルトガルがEC加盟、加盟国は12カ国に |
1986年2月17-28日 | 単一欧州議定書、加盟12カ国政府により調印【7-9】 |
1986年2月26日 | ECJ、男女平等原則を裁定 |
1986年11月4日 | 第3回欧州安全保障協力会議開催 |
1986年12月5-6日 | ロンドン欧州理事会 |
1987年1月1日 | 欧州政治協力(EPC)事務局が業務開始 |
1987年4月14日 | トルコがEC加盟を申請 |
1987年7月1日 | 単一欧州議定書(SEA)発効 |
1987年10月26日 | 西欧同盟外相会議、欧州安保のための「ハーグ綱領」採択 |
1987年12月 | コペンハーゲン欧州理事会、予算問題について決裂 |
1988年2月11-13日 | ブリュッセル臨時欧州理事会、複数年度予算「ドロール・パッケージT」を採択【7-10】 |
1988年3月29日 | 欧州委、単一市場の利点を数量化したチェッキーニ報告(「分割欧州のコスト」)提出 |
1988年5月12日 | ドロール委員長、EC労働者権利憲章を提案 |
1988年6月 | EC・コメコン共同宣言 |
1988年6月13日 | 蔵相理事会、資本移動自由化を進めることで同意 |
1988年6月27-28日 | ハノーファー欧州理事会、ドロール委員長再任、通貨統合に関する「ドロール委員会」の設立【7-11】 |
1988年9月1日 | 欧州地方自治憲章発効 |
1988年9月20日 | 英首相サッチャー、ブルージュ演説【7-13-B】 |
1988年9月26日 | ECとハンガリー、通商協力協定調印 |
1988年11月14日 | ポルトガル、スペイン、西欧同盟(ブリュッセル条約)に参加 |
1989年4月17日 | 欧州委、3段階の通貨統合計画(「ドロール報告」)を発表 |
1989年5月5日 | フィンランド、CE加盟 |
1989年6月15-18日 | 第3回欧州議会選挙 |
1989年6月26-27日 | マドリード欧州理事会、「ドロール報告」に沿って政府間会議を開催することで合意 |
1989年6月29日 | スペイン、EMSに参加 |
1989年7月6日 | ゴルバチョフ、欧州議会にて「欧州共同の家」構想提案 |
1989年7月14-15日 | G7アルシュ・サミット【7-14】 |
1989年7月17日 | オーストリア、EC加盟申請 |
1989年9月10日 | ハンガリー、東独難民に出国許可 |
1989年9月19日 | ECとポーランド、経済協力協定調印 |
1989年10月9日 | ライプツィヒで市民による7万人のデモ |
1989年10月18日 | 東独、ホーネッカーが党書記から解任 |
1989年11月9日 | ベルリンの壁崩壊 |
1989年11月17日 | 東独新首相モドロウ、西独に「条約共同体」提案 |
1989年11月28日 | 西ドイツ首相コール、十項目提案【7-16】 |
1989年12月2-3日 | 米ソ首脳、マルタ会談 |
1989年12月8-9日 | ストラスブール欧州理事会、英を除く11カ国によるEC社会憲章採択【7-15】 |
1989年12月15日 | ECとACP68カ国、第四次ロメ協定に調印 |
1989年12月19日 | ECとEFTA、「欧州経済領域(EEA)」創設に向けた交渉開始 |
1989年12月22日 | ルーマニア、政権崩壊(25日、チャウシェスク夫妻処刑) |
1989年12月29日 | チェコスロヴァキア議会、ハヴェル大統領選出 |
1990年2月10日 | ゴルバチョフ、ドイツの自決権を承認 |
1990年2月13日 | オタワでNATO・ワルシャワ条約機構合同外相会議コミュニケ(ドイツ統一過程における「2+4」方式の確定)【7-17】 |
1990年3月18日 | 東独人民議会選挙、統一支持派の勝利 |
1990年4月19日 | コールとミッテランによる、独仏政治統合イニシアティブ【7-18】 |
1990年5月9日 | ECとブルガリア、通商協力協定調印 |
1990年5月18日 | 西ドイツと東ドイツ、ボンにて通貨統合条約調印 |
1990年6月19日 | 第二次シェンゲン協定調印 |
1990年6月25-26日 | ダブリン欧州理事会、EMUに関する政府間会議および政治同盟に関する政府間会議の開催で合意 |
1990年7月1日 | EMUの第一段階始まる。資本の域内自由移動開始 東西ドイツ通貨統合 |
1990年7月3日 | キプロス、EC加盟申請 |
1990年7月5-6日 | ロンドンでNATO首脳会議【7-19】 |
1990年7月16日 | マルタ、EC加盟申請 コール=ゴルバチョフ会談。ゴルバチョフ、統一ドイツのNATO残留を容認【7-20】 |
1990年8月21日 | 欧州委、旧東ドイツのECへの吸収を承認 |
1990年9月12日 | 東西ドイツおよび英米仏ソの6カ国が「ドイツ問題の最終解決に関する条約」に調印 |
1990年10月3日 | ドイツ統一 |
1990年10月8日 | イギリス、EMS参加 |
1990年10月28日 | 特別EC首脳会議、イギリスの反対を押し切って、1994年1月1日をもってEC中央銀行機構を創設する旨を決定 |
1990年11月6日 | ハンガリー、東欧諸国で初めて欧州審議会に加盟が承認される |
1990年11月19-21日 | 欧州安全保障協力会議パリ憲章【7-21】 |
1990年11月22日 | 英サッチャー首相辞任表明、メイジャー首相へ |
1990年11月23日 | 米・EC共同宣言調印【7-23-A】 |
1990年12月2日 | ドイツ、統一後初の連邦議会選挙、与党圧勝、コール留任へ |
1990年12月9日 | ポーランド大統領ヴァウェンサ(ワレサ)選出 |
1990年12月14-15日 | ローマ欧州理事会、二つの政府間会議を開催 |
1990年12月23日 | スロヴェニア、国民投票で独立賛成多数 |
1991年1月17日 | 湾岸戦争始まる(-4月11日) |
1991年2月21日 | チェコスロヴァキア、欧州審議会に加盟 |
1991年3月29日 | シェンゲン協定加盟国とポーランド、査証廃止で合意(4月8日発効) |
1991年3月31日 | ワルシャワ条約機構の軍事機構解体、活動停止 |
1991年6月12日 | ロシア共和国最初の大統領選挙、エリツィンが当選 |
1991年6月24日 | 蔵相理事会、VAT(付加価値税)とアルコール、たばこ、鉱油に対する物品税の調和で合意 |
1991年6月25日 | スペインとポルトガル、シェンゲン協定に参加 |
1991年6月25日 | クロアチアとスロヴェニアがユーゴからの独立を宣言、27日、ユーゴ軍がスロヴェニアで武力行使、ユーゴ紛争の開始 |
1991年6月28日 | コメコン解散決定(9月28日発効) |
1991年7月1日 | スウェーデン、EC加盟申請 |
1991年7月19日 | 欧州委、CAPに対するマクシャリー改革案を採択 |
1991年8月19-21日 | モスクワにおいて共産党保守派によるクーデタ(失敗へ) |
1991年8月24日 | ゴルバチョフ、共産党の解散を勧告、党書記長を辞任 |
1991年10月21日 | ECおよびEFTA、「欧州経済領域(EEA)」設立に同意 |
1991年12月1日 | ウクライナ独立宣言 |
1991年12月10-11日 | マーストリヒト欧州理事会、欧州連合設立条約(TEU)に合意 |
1991年12月16日 | ECがチェコスロヴァキア、ポーランド、ハンガリーと欧州協定に調印 |
1991年12月21日 | ソ連、11共和国が、独立国家共同体創設についての議定書に調印(アルマアタ合意) |
1991年12月23日 | ドイツ、クロアチアとスロヴェニアの独立承認 |
1991年12月25日 | ゴルバチョフ大統領、辞任表明、ソ連消滅 |