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History of European Integration

史料館案内Archives

フランス外交史料館について(宮下雄一郎・松山大学)

フランス外交史料館  Le centre des Archives diplomatiques de la Courneuve(外部サイトへ)

開室時間(月‐金):登録等は9:30‐17:00/目録室、閲覧室等の利用は10:00‐17:00
週末以外にも、祝日、並びに4月の後半に半月ほどの休館日あり
注文した文書の運搬時刻:10:30、11:00、11:30、14:00、14:30、15:00、15:30





住所:3, rue Suzanne Masson
93126 La Courneuve Cedex


1.小史


フランスの公文書の多くは文化・通信省の国有財産総局に属する「フランス文書・省庁間事務局(Service interministériel des Archives de France, SIAF)」の管理下に置かれている。そしてSIAFがフランス国立公文書館(Archives Nationales)を指導している。地方の公文書館は、各々で文書を管理しているが、SIAFの「助言」を受けることになっている。

例外的にSIAFの管理から外れている行政機関が二つある。外務省と国防省である。2012年以降、両省とも年2回行われる、文書管理に携わる全関係省の担当責任者が集まる「フランス文書・省庁間委員会(comité interministériel aux Archives de France)」に参加し、情報交換などは行っている。だがあくまでも外務省では文書局(direction des Archives)、国防省では行政総局(Secrétariat Général pour l’Administration)に属する記憶・遺産・文書局(direction de la mémoire, du patrimoine et des archives)が文書を管理している。

外務省における文書管理の起源は、ルイ14世(Louis XIV)治下の1680年、財務総監・海軍大臣等を務めた高名なコルベール(Jean-Baptiste Colbert)の弟で、外務大臣であったシャルル・コルベール(Charles Colbert de Croissy)が自分のものに加え、前任者2名の文書を冊子としてまとめさせたという事業にさかのぼる。これが今日の膨大な文書の保管につながっているというわけだ(1)

フランス革命が勃発し、1790年に国立公文書館が設立されても、外務省は自ら文書の管理を続けた。あくまでも外交に活用させることを目的に管理していたが、1830年に歴史研究のためにも開かれるようになった。1874年、第3共和制政府は、外交官、歴史家、そしてジャーナリストに文書公開に向けた検討委員会を託した。この委員会の延長線上にあるのが、今日、公刊文書である『フランス外交文書(Documents Diplomatiques français, DDF)』の編纂を担当し、各時代別に国際関係史のベテラン研究者を頂点に据えた外交文書編纂委員会(commission des Archives diplomatiques)である(2)

17世紀以降、フランスの外務省は懸命に文書を収集し、大切に保管してきた。しかし、第二次世界大戦の際、多くの文書が破壊された。1940年5月16日、ドイツ軍が間近に迫ったことで自主的に破壊した文書。パリがドイツ軍の占領下に置かれたことで、ドイツに持っていかれた一部の文書。さらに、1944年のパリ解放に際しての戦闘のなか、外務省の文書保管場所に火の手が回り、一部が焼失してしまったのである。

戦後、フランスが再建されるとともに文書公開の制度も整い、現在では作成から25年を経た文書は原則公開されるようになった。むろん、例外事項も数多くある。

近年まで大部分の文書の閲覧は、パリの本省の一室に指定された時間に行くという方法で行われていた。しかし2009年、パリ郊外のラ・クルヌーヴ(La Courneuve)に引っ越し、現在はその大部屋の机で快適に文書を見られる(3)。本稿は、この新史料館を紹介する(4)



  (1)http://www.diplomatie.gouv.fr/fr/archives-diplomatiques/a-propos-des-archives-diplomatiques/(外部サイトへ)

  (2)外交文書編纂委員会については、ネットで見られる次の論文がその役割を詳しく論じている。Maurice Vaïsse, « Les documents diplomatiques français : outil pour la recherche ? », La revue pour l’histoire du CNRS [En ligne], 14 | 2006, mis en ligne le 03 mai 2008, consulté le 26 septembre 2016. (外部サイトへ)

  (3)http://www.diplomatie.gouv.fr/fr/archives-diplomatiques/a-propos-des-archives-diplomatiques/cinq-siecles-d-histoire/article/les-origines(外部サイトへ)

  (4)なお、本稿を執筆するにあたり、すでに引用してあるフランス外務省のサイトを参考にした(外部サイトへ)。ほか、「フランス文書・省庁間委員会」のサイトも参照した(外部サイトへ)。フランス外交史料館の写真掲載については事前に許可を得た。本稿を作成するにあたり、同史料館の多数の職員の支援を得た。記して謝意を表したい。


2.アクセス(パリ中心部から)


パリ中心部からラ・クルヌーヴに向かう場合、パリとその郊外を結ぶ急行地下・地上鉄道である「Réseau express régional d’île de France, RER」の「B号線」を利用するのが最も楽な交通手段であろう。パリ国際大学都市(Cité universitaire)、サン・ミシェル=ノートルダム(Saint-Michel-Notre Dame)、シャトレ=レ・アール(Châtelet-Les Halles)、パリ北駅(Paris-Gare du Nord)など、主要な駅から乗車することが可能である。パリ中心部からは「シャルル・ド・ゴール空港(Aéroport Charles-de-Gaulle TGV)」と「ミトリ=クレイ(Mitry-Claye)」方面のホームで乗車する。ここで重要なのはホームで電光掲示板あるいはテレビ型の画面を見て、「ラ・クルヌーヴ=オーベルヴィリエ(La Courneuve-Aubervilliers)」に停車する電車を選ぶことだ。「B号線」は、途中で枝分かれする線なので間違えると面倒だ。下の画像にあるように、ホームの各所にモニターがあるので、該当の駅が記載されているか必ずチェックしなければならない。





以下の画像のように、列車のなかでも停車駅を確認できる。なお、「RER」の列車のなかは決して安全ではない。国際空港に向かう路線であり、スリ等に気を付けなければならない。





「ラ・クルヌーヴ=オーベルヴィリエ」の駅で下車した後は看板を見て、「外務省‐史料館(Affaires étrangères / Archives diplomatiques)」という出口を目指す。そこを出ると駅舎の下の広場に出るので、そこを抜け、左の方を見ると、本サイト上部に写真が掲載されている史料館の建物が見える。

以下の写真は駅での出口を掲示した看板である。上に外交史料館という文字が見える。





なお、「RER」の列車内と同じく、パリ北部の郊外に位置するラ・クルヌーヴも決して安全とはいえない地区である。夕方は駅から離れて未知の地区に足を踏み入れないことを勧める。また、「RER」でストライキが起こると電車の本数は減り、すぐに混雑する。ストの期間はなるべく史料館訪問を避けた方が良いかもしれない。地下鉄とバスを乗り継いで訪問することも可能だが、「RER」が最も便利な交通手段であろう。


3.作業言語


英語で通じる場合もあるが、文書に関する話など、適切なコミュニケーションをとるにはフランス語が必須である。


4.訪問時の手続き等


毎回、訪問する際に必要なのが身分証明書である。短期滞在の日本人の場合、パスポートであろう。長期留学で滞在している場合、滞在許可証の持参が一般的である。昔と異なり、現在、事前登録は必要ない。紹介状も必要ない。外交史料館に到着すると、まず荷物チェックと身分証明書の番号を警備員に控えられる。その後、中庭を抜け、建物のなかに入ると、左に受付があるのでそこで身分証明書を渡すと、引き換えに鍵を渡される。何の鍵かというと、受付の正面にあるロッカールームのロッカーの鍵である。鍵についている番号札のロッカーに荷物やコートを置いていく。閲覧室に持っていけるのは、ノートパソコン、USBメモリ、白い紙、鉛筆(ボールペンや万年筆は不可)、それとデジカメぐらいである。その際、忘れてはならないのは貴重品を必ず持参することである。帰る際には、再び受付に寄り、今度は鍵と身分証明書を交換する。

閲覧室に向かうには階段を上がる。パリの本省に閲覧室があった時のように席取りで苦労するようなことはない。ラ・クルヌーヴの閲覧室には数多くの席があり、満室になったことを見たことがない。初めての訪問の際には、閲覧室に入る前に、まず階段を上がって左側にある目録室(Salle des Inventaires)に立ち寄ることを推奨する。以下の看板が目印だ。





目録室のなかに入ると数多い目録とともに、パソコンが複数台ある。目録の中身については、本稿の後半に記した「フランス外交史料館に保管されている文書」を見てほしい。問題は見たい文書の注文の仕方だ。まず、パソコンを適切に稼働させるために、いくつかのパスワード等を打ち込まなければならない。これは初訪問の場合、若干操作が難しいかもしれない。筆者など、幾度も訪れているにもかかわらず、毎回、数か月の間隔があるためか、忘れてしまっている。その際に助けてくれるのが目録室内の右側のオフィスにいる人々だ。そこにいるのは専門分野を持ったアーキビストや史料館で勤務している外務省の職員である。以下、そのオフィスの写真である。





シフトによって、在室している担当者は異なるが、丁寧に対応してもらえるであろう。省内の文書に精通しているアーキビストとのコミュニケーションは非常に重要である。できれば、目録室で文書を注文しておきたい。

次に閲覧室に入るとまずカウンターに以下のように二名の係員がいることに気づく。





画像正面右側の係員は図書館担当であり、大多数の訪問者は左側の文書担当の係員の所に行く。そこでまず席番号が記載された札をもらい、席に向かう。目録室ですでに文書を注文し、一定の時間が経っている場合、文書ファイル(あるいはボックス)も受け取る。本稿の冒頭で記載したように、文書庫にとりに行くのは特定の時間だけなので注意されたい。なお、図書館は2014年の段階で50万冊の蔵書を誇っている。 目録室で文書を注文していない場合、閲覧室の窓側に設置してあるパソコンで注文をする。フランスの外交史料館では、日本の外交史料館のように係員が自分の机に文書ファイルやボックスを届けてくれるわけではないので、自分でカウンターに取りに行かなければならない。

一日に閲覧可能な文書ファイルは6つである。ただ、別の日のために予約することも可能で、その場合は合計9つのファイルを注文することが可能である。なお、一日で見終われなかったファイルは保管を延長してもらうことが可能である。
複写に関しては、ラ・クルヌーヴでは規制されている文書を除いてデジカメでの複写が可能である。ただし、フラッシュをたくことは厳禁であり、三脚を持参して利用することも禁止されている。コピー機もあるが、有料であるため、ほぼすべての閲覧者がデジカメを持参してその場で撮影し、ノートパソコンに保存している。

パリの本省に文書室があった際にはコピー機が2台しかなく、有料であるうえに、コピーをめぐる閲覧者間の競合が起きていたが、今はそのようなことはない。ラ・クルヌーヴの有料のコピー機を利用するためには専用のカードが必要であり、それを購入する。コピー1枚€0,30である。ただし、マイクロリーダーからコピーする場合、1枚€0,15となる。

そのマイクロリーダーであるが、マイクロフィルム室には台数が十分あり、自由に見られる。同室では、オーラルヒストリーのテープも聴くことができる。ただ、機器は古い可能性があり、イヤホンを持参した方が良いかもしれない。

その他、2014年以降、1987年以前の未分類の文書を見るための新たな措置ができたらしいが、関心のある読者は現地で詳細を尋ねることを推奨する。





閲覧室には数多くの席が以下のようにあり、机の大きさもファイルや文書を置き、デジカメで撮影するには十分である。





なお、パソコンの使い方、文書に関する情報、あるいは情報公開請求の方法については、閲覧室の前方にいる「閲覧室長」のところに行って聞けば色々と教えてもらえる。さらに文書開示に関する詳細事項等、専門的な話はアーキビストに伝えてくれる。以下、普段「閲覧室長」が座っている席である。





5.フランス外交史料館に保管されている文書


外交史料館には、古いものだとルイ13世(Louis XIII)の宰相リシュリュー(Armand Jean du Plessis de Richelieu)の文書も保管されている。だが、当然のことながら、最も充実し、豊富に残されているのは現代になってからのものである。実は、外交史料館といっても二つある。ラ・クルヌーヴのほかに、フランス西部の町ナントにも昔からあるのだ。保管されている文書にどう違いがあるのかというと、ラ・クルヌーヴにはパリの本省の文書が保管されているのに対し、ナントでは、在外公館の文書が保管されている。この区分はラ・クルヌーヴに文書室が引っ越す前から変わらない。ただ、一部の文書は例外的にパリからラ・クルヌーヴではなく、ナントに送られた。たとえば、第二次世界大戦期の抵抗運動の統治機構がロンドンに設置した在外代表部の文書である。

ラ・クルヌーヴの文書の分類は本省の部局別、そして多くの場合、地域別、国別に分類されている。たとえば、「大臣官房」の文書については、外相ごとに分類されている。文書の引用方法とともに、その一部を紹介しよう。シューマン(Robert Schuman)外相の官房シリーズのなかの日本関連の文書が入っている第91巻を引用しようとした場合、具体的な文書(公電等)の名称とともに、「Archives du ministère des Affaires étrangères-La Courneuve」、「Cabinet Robert Schuman」の「volume 91」、略して「AMAE-La Courneuve, Cabinet Robert Schuman, vol. 91」と記述する。

地域部局別のものに関しては、たとえば「アジア・オセアニア局」管轄の「日本」関連文書の第2巻から引用する場合、「Archives du ministère des Affaires étrangères-La Courneuve」、「Asie-Océanie 1944-1955」「Japon」の「volume 2」となる。脚注で引用する場合、具体的な文書名とともに「AMAE-La Courneuve, Asie-Océanie 1944-1955, Japon, vol. 2」という略号で記述するのが一般的である。そのほか、部局別のものとして、経済問題担当のもの(direction économique)があり、そのシリーズにウォルムセール(Olivier Wormser)など局長を務めた外交官の文書ファイルがある。あまり目立たないファイルとして、宗教問題担当顧問(「Conseiller pour les Affaires religieuses (1947-1987)」)などがある。あと、貴重な文書として、外交官の個人文書シリーズがある(Papiers d’agents-Archives privées)。このシリーズが貴重なのは、公電に加えて、本人の手書きの手紙や様々なメモが含まれている場合が多いからだ。その内容の質は、対象となる外交官によって千差万別である。個人文書シリーズとは別に、人事関連部局のシリーズ(Personnel)のなかにも個人ファイルがあり、興味深い文書が含まれている。特に生没年などを確認したい時に助かるのがこのシリーズである。

なお、一部の文書はマイクロ化されており、現物を見ることはできない。第二次世界大戦期シリーズ(Guerre 39-45)の多数の文書はマイクロ閲覧室で見なければならない。よって、自由フランス関連の文書を見たい場合、原本を見ることは叶わないのである。さらに、史料は紙媒体だけではない。外交文書編纂委員会のヴァイス(Maurice Vaïsse)教授などが外相経験者や外交官に実施したインタビューが音源として残されている。ビドー(Georges Bidault)やマシグリ(René Massigli)など、すでに鬼籍に入った20世紀フランス外交の錚々たる面々の肉声を聴くことが可能である。


6.その他


その他、館内には主に職員のために設けられた食堂がある。あまり目立たない場所にあり、食堂らしい看板もあるわけではないので、入りにくいかもしれないが、閲覧者も利用可能である。一品ずつとっていく簡易ビュッフェ形式で、それほど安く提供しているわけではないので、筆者は一度しか利用したことがない。

この食堂とは別にコーヒーの自動販売機コーナーもある。史料館の職員や研究者にとっては休憩場所であり、閲覧室で会話をすることは控えなければならないため、この自動販売機の周辺が交流を深める場の役割を果たしているといえるかもしれない。膨大な量の史料に目を通し、疲れてしまった後に飲む一杯のコーヒーは、良い気晴らしとなる。


基盤研究(A)「リージョナル・コモンズの研究―地域秩序形成の東アジア=ヨーロッパ比較―」
(研究代表者:遠藤乾)