特殊講義 2002.前期 Hiromichi IMAI
 1この特殊講義のテーマ…現代の東アジア*の一角に位置する日本の現実から、そしてその日本を取り巻く問題状況の中から、法哲学的諸問題を捉え返そうとする。

 *因みに、私は東アジア(=東亜)−−「極東」という言い方は、極端に西欧中心主義的な表現だが、それと辞書的にはほぼ同じ−−ということで、日中韓台湾を念頭に置いている。東北アジアという言い方もあるが、私としてはどちらでもいい。東北アジアの方が、東南アジアとの位置関係も明確に表現されて長所はある。しかし、韓国語でも中国語でも、東亜という言い方はあり、ある種の歴史性を有しているように思われる。

 法哲学的課題をこのように設定をするということのうちには、私が現在抱いている一定の「法哲学観」とでもいうべきものがある。ここに深く立ち入っているわけにはいかないが、私が本講義をこのような形でするということと内面的に関わることでもあるので、簡単に触れておきたい。

 マックス・ヴェーバーは、『社会科学と社会政策における認識の「客観性」』において、次のようにいっている。

 「社会科学の領域においては、学問上の問題wissenschaftliche Problemeが提起される最初のきっかけは、経験上、実践的な「問いかけ」praktische >Frage<であるのが普通であり、そのため、すでにある学問的問題の存在を認めるということ自体が、ある特定の方向に向けられた、生ける人間の意欲Wollen lebebdiger Menschenとの人格的結びつきのうちにあるin Personalunion stehenといえる」(岩波文庫、折原浩訳、50頁、但し、訳文は変更)。

 要するに、「学問上の問題wissenschaftliche Probleme」の背後には、学問的次元を越えた、人間の生き方や実存のあり方に関わる「実践的な「問いかけ」praktische >Frage<」がある、というわけだ。  ところで、私は、この「実践的な「問いかけ」praktische >Frage<」を、歴史的存在としての人間の、「ある特定の方向に向けられた、生ける人間としての自らの意欲Wollen lebebdiger Menschen」と「人格的」に「結びつ」いた形で行われるところの、具体的な問題状況における問題解決の試み、と理解することができるだろう、と考えている。  「具体的な問題状況における問題解決の試み」が、まさしくその問題解決のために不可欠となるものとして「学問的問題」の設定と解決を求めることになるのだ、というわけである。

 このことを法哲学の問題として考えてみよう。「あらゆる哲学はつまるところプラトンの『国家』の脚注にすぎない」という言葉がある。この言葉は、一旦承認してよい。しかし、その上で考えるべきことは、プラトンの『国家』それ自体が、ポリス民主主義をめぐるアテネの錯綜する問題状況−−その状況の中でのソクラテスの刑死を想起せよ*−−を解決したいという、ソクラテスの弟子たるプラトンの問題意識と問題解決への意欲との関係を抜きにしては考えられないものだ、ということだ。

 *この点については、プラトン『ソクラテスの弁明』を見よ。

 また、近代法哲学は、ホッブス・ロック・ルソーの契約論やカント・フィヒテ・ヘーゲルらの道徳哲学・法哲学・国家哲学によって切り開かれたということができるが、それもまた、近代「市民社会」の成立と展開、市民革命への展望、また近代国家と法・人格との関係にまつわる問題を、原理的次元でどう解決するのかという問題を離れてはあり得ないものであった。思想家の伝記や、著作が成立した時期などの時代背景がわれわれにとって重要となるのは、その哲学的・思想的問題が、「具体的な問題状況における問題解決の試み」と、彼らの「人格」を通してどのように結びついているのかについての情報を与えてくれるからである。

 ここから飜って考えてみると、プラトンの「脚注」にも二つのタイプのものがありうることがわかる。@すぐれた「脚注」は、その「脚注」が書き込まれたそれぞれの時代の「具体的な問題状況における問題解決の試み」と無関係ではあり得ないであろう。従ってそれは、そのそれぞれの時代の「問いかけ>Frage<」と具体的な形で関わっている。Aしかし、そのようなこととは関係なく、「象牙の塔」にこもってひたすらプラトンを忠実に読み解いて書き込まれた脚注もあるかも知れない。  平穏で変化のない時代には、Aのタイプの学問が一般的なものとなるであろう。しかし、危機と変動の時代には、@のタイプの学問が息を吹き返して来るであろう。

 私は、現代は@のタイプの学問が息を吹き返して来るべき危機と変動の時代であろう、と考えている。そして、法哲学は、そのような事情に最も敏感な学問たるべきもの、と考えている。  私は、先ほど、「私が現在抱いている一定の「法哲学観」」が本講義の問題設定に関わっている、といった。その時の「法哲学観」とは、雑ぱくにいえばこのようなものである。このような私の「法哲学観」は、既に明らかなように、同時に私のマックス・ヴェーバー理解と内的に関連している。

 私は、先に、この特殊講義のテーマは、現代の東アジアの一角に位置する日本の現実から、そしてその日本を取り巻く問題状況の中から、法哲学的諸問題を捉え返そうとするというところにおく、といった。それは、おおよそこのような意味をもっている。

    2 現代という時代状況の基本的構図、あるいは解決されるべき問題を抱える問題状況−−本講義の前提となる限りで−−  2−1 現在の世界は転換期にある。「近代」文明を漸次的に克服していきながら、それに代わる新しい文明を構築していくという転換である。この転換のポイントは、「近代」が隘路に陥ったことにある。私は、これまで、このようなことをさまざまな機会に述べてきた。ここでは、まず、その論点をあらためて通覧しておきたい。  「近代」が隘路に陥ったという場合、まずその隘路に陥った「近代」とはどのような特徴をもった「時代」であるのか*が明らかにされていなければならない。

 *この問題を論じる最近の文献としては、S.トゥールミン『近代とは何か−−その隠されたアジェンダ−−』(法政大学出版局 2001)がある。

 私見によれば、その「近代」を特徴づける第一の要素は、  1)何よりも「生産力主義的人間中心主義」である。人間は、まず、普遍的に妥当する明晰な理性を持ち、科学技術と知識の開発・習得によって自然を支配し、そのことによって自らの安全を確保し、最大限の幸福を実現するもの、と理解される。  その「人間」を世界の中心におき、自然を「人間の生産力によって支配されるべき無限の素材・手段」と見る時、「科学技術的知」の発展と相互前提の関係に立つ「生産力主義的人間中心主義」が成立する。

 2)この「生産力主義的人間中心主義」が「近代」の骨格を形成したのは、次の第二の要素と内的に関連し合うことによってであった。その第二の要素とは、〈ウェストファリア体制〉に基礎をおく〈主権国家〉−−それは、内部に国民を形成し、やがて〈主権的国民国家〉に転成した−−とそれに保護された「産業社会」の相互促進的発展である。  これについては、ヘーゲルの『法哲学綱要』−−中公名著に『法の哲学』として翻訳出版されている−−に即して、「市民社会」と「国家」の二元論的構造をもつ近代社会の基本的なあり方を念頭に浮かべてよい。

 3)そのような「近代」は、欧米起源であり、欧米中心主義的でありながら、普遍主義的であるとされ、規範的意味が賦与された。これが、第三の要素としての欧米中心主義=普遍主義である。しかし、実際には、その普遍性は、国民としての平等・同一性という観念に寄生して成立したにすぎなかった。それが普遍性を標榜して国境を越えることができたのは、別の国民の平等・同一性という観念に寄生しうる限りにおいてであった*。

 *近代的な「普遍主義」は、人間である限りでのすべての個人は、「人権」を享受するという観念を中核として形成された。しかし、実際には、その「人権」を中心とする普遍性は、「国民国家」を構成する上での前提となるすべての個人の「国民」としての平等・同一性という観念に寄生して成立したにすぎなかった。 国民としての政治的な凝集力を高めるためには、平等主義的な観点から身分差別をはじめとするもろもろの差異を排除していく必要がある。このことが、政治的民主主義の要求として表現され、それが一方では人権の推進力となるとともに、他方では国民的統合の推進力となった。この国民的統合の過程においては、〈政治からの自由〉よりも〈政治への自由〉がより重要視されることになる。だから、この過程は、国民」に属すべきでない「異質なもの」を排除する過程でもあった。  「異質なもの」の「排除、あるいは同化(=同質化)」、そのいずれかを通しての「異質的なものの殲滅」。この間の事情については、カール・シュミット「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」(『清水幾太郎責任編集 現代思想T カール・シュミット著 危機の政治理論』(ダイヤモンド社 1973)所収)参照。  そして、この傾向は、ほとんどの国民国家形成の中で認められた傾向であり(この点と多文化主義との関係については、ウィル・キムリッカ『第五回神戸レクチャー・国民国家の未来を考える』(日本法哲学会編 1998)参照)、とりわけ国民国家形成において後進的な立場を余儀なくされた国家になればなるほど、この傾向は強く現れた。  例えば日本においては、富国強兵政策を支える国民的基盤としての「国民皆兵」が、身分的差違の除去と平等主義的意識の高揚に大きな役割を果たした。そしてそれが普通選挙権の平等の要求圧力として噴出し、平等主義的人権思想のひとつの基盤を成した。無論、それは同時に、ナショナリズムの基盤ともなった。そして、日本思想史の中で大きな影響力を持った人権思想は、戦後民主主義の思想となった丸山真男の議論を含めて、キリスト教的人間観によりは、このような基盤に立脚していたとみることができる。だから、それは、どちらかといえば、私法的権利に着目するよりは政治的・公法的権利に強く傾斜する性格をもつものであった。換言すれば、自由主義的傾向は比較的希薄であったのに対して、民主主義性格を濃厚にもつものであった。このような平等主義は、国民国家の原則を越え出ることはできなかった。このことは、丸山真男の論文「陸羯南」の次の言葉に、典型的な形で表現されている。「彼[陸羯南−今井]は後進民族の近代化運動が外国勢力に対する国民的独立と内における国民的自由の確立という二重の課題を負うことによって、デモクラシーとナショナリズムの結合を必然ならしめる歴史的論理を正確に把握していたのである」(『丸山真男集B』、95頁)。  この問題は、後に福沢諭吉と丸山真男に即してあらためて問題として取り上げるつもりである。

 国民の平等・同一性という観念を越え出たところで「自由」を享受しようとした人の多くは、国家によって犯罪者とされたし、国際的な権力を分有する国家に属さなかったひと、そもそも国籍をもたなかった人は、人権とは無縁な生活の中に放置されたのであった。

 4)このような「近代」は、構造的には、「家族(=家父長制家族)」・「市民社会(=産業社会)」・「国家(=主権的国民国家)」・「〈ウェストファリア体制〉的国際関係」という四層構造をもつ−−因みに、ヘーゲルは、『法哲学』において、近代社会の成立と構造を「家族」・「市民社会」・「国家」という三層構造と理解したが、その場合ヘーゲルは〈ウェストファリア体制〉を前提にした国際関係をも同時に踏まえており、事実上、上記のような四層構造からなる「近代」理解を完成させていたともいえる−−。 現在の世界が巨大な転換期にあるとは、このような構造をもつ「近代」が崩壊しつつあること、そしてそれに代位する新たな世界編成が進行しつつあること、を意味している。

 2−2 現在、このような「近代」の転換を迫る多くの要素が噴出しつつある。ここでは、前節であげた@ABにそれぞれ対応する三つの要素、つまり@'地球環境の限界の露呈、A'世界のボーダーレス化とグローバルな次元で発言力を増してきた市民的主体の登場、B'欧米の支配の客体であったアジアの、世界の主体への変化をあげておこう*1。  この転換期の中で、世界を具体的にどう転換させ、どのような未来世界を構想するのかという点に、今世紀のアジア法哲学の最大の課題・テーマがある。しかし、これらの問題のどれかに個別的に対応するのでは不十分だ。ましてや他の問題を不問に付したまま、ひとつの問題にだけ取り組んではならない。これら問題点は、あくまでも内的に深く関連しあっているからである。