特殊講義 2002.前期 Hiromichi IMAI

論点(1)…福沢/丸山の個人主義

 「福沢諭吉は明治の思想家である。が同時に彼は今日の思想家でもある」。丸山が、このように福沢を「明治の思想家である」と同時に、とりわけ「今日の思想家でもある」と見なすのは、福沢研究が丸山のpraktische >Frage< に直接に関わっているからであろう。つまり、丸山は、福沢を、日中戦争と太平洋戦争を遂行中の日本において「個人主義者たることに於てまさに国家主義者だつた」と見ることが有意味だと考えているのであろう(丸山「福沢における秩序と人間」、『戦中と戦後の間』(みすず書房 1976)所収、143頁)。

 但し、丸山は、勿論のことながら、日中戦争と太平洋戦争を遂行中の日本を、無批判的に見ていたわけではない。丸山は、それに対して、ある批判的観点から見ていた。その「批判的観点」については、後で触れる。

 福沢を「個人主義者たることに於てまさに国家主義者だつた」と見ることが有意味だとはどういう意味か。丸山によれば、「国家を個人の内面的自由に媒介せしめたこと−福沢諭吉といふ一個の人間が日本思想史に出現したことの意味はかかつて此処にあるとすらいへる」。ここにその意味が十分に語られている。

 しかし、「国家を個人の内面的自由に媒介せしめた」ということは、個人の内面的自由を国家とナショナリズムの枠内に閉じこめたということを伴っていた。
 「彼が独立自尊の大旆を掲げるその日までは国民の大多数にとつては国家的秩序はいはば一つの社会的環境にとどまつた」。この「国家」=「社会的環境」という事態を超えようとした福沢の問題意識がもつ意味を強調したいと考えていたからだ。

「国民の大多数にとつては国家的秩序はいはば一つの社会的環境にとどまつた」ということの意味。
 (1)封建社会の「色々な学問」や「イデオロギー」がもつ「共通した特長」の一つに「人間の自己意識」の「欠如」がある。その「欠如」は、自己が「自然環境」に埋没してそれと連続的/同一的なものと了解され、「環境」が「客体」として理解されていないことに現れる。その場合、「社会的な環境」は「自然環境」に吸収・一体化されて、「運命的な」(=作為による変革の不可能な)「自然秩序」と理解される。しかも、その社会的「秩序」を吸収した「自然秩序」は人間より高い価値をもつと見られ、それに適応していくことに人間の義務がある、とされる。倫理[丸山の念頭にあるのは儒教倫理であろう−今井]は、人間が自己の外にある、自分より高いこの秩序にひたすら適応していくことを眼目として成立する。このような事情を権威化して説くことが、その社会における学問の中心的な仕事となる(丸山真男、座談会「新学問論」、(『丸山真男座談@』(岩波書店 1998)、28-29頁)。
 これは、1946年の座談会での発言なのだが、因みにこの議論の続きも見ておこう。
 (2)自己が「自然環境」に埋没してそれと連続的/同一的なものと了解される段階を越えて「主体意識」が成熟してくるのは、人間が「環境との間に乖離を感」じ、「主体と客体と…の分裂」が生れることによってである。その時、「自然」は「身体とひとつづき」であることをやめて「客体」化され、「客観的科学」の対象となる。「純粋の客観的自然メカニズム」として把握されるわけである。その時、「自然」を「人間に従属」させて「利用」していくという人間と自然との関係のあり方が同時に成立する。ここに価値関係のコペルニクス的ともいうべき逆転が生ずる。この人間と自然との関係についての考え方が社会にも適用され、社会も「人間の主体的意思」に担われ、「人間の便宜、人間の目的のために改変され得るもの」と理解される−−そのことを理論的に表現したところに「社会契約説」の意味があった−−。人間は、まず「自然に対して」、次に「政治社会」に対して、「自分の主体性」を「確立」するわけである(28-29頁)。
 ここにもいくつかの問題がある。ここでは、ただ、丸山がデカルト的な主観−客観に言論に立脚しているということだけを言っておこう。それがどうしたという疑問に予め対処するためには、ここにはあまりにも巨大な問題がある。これについては、いずれ触れる機会をもちたい。

 「国民の大多数が政治的統制の単なる客体として所与の秩序にひたすら「由らしめ」られてゐる限り、国家的秩序は彼等に環境として以上の意味を持ちえず、政治は自己の生活にとつて何か外部的なるものとして受取られるのは免れ難い。しかしながら、国民一人々々が国家をまさに己れのものとして身近に感触し、国家の動向をば自己自身の運命として意識する如き国家に非ずんば、如何にして苛烈なる国際場裡に確固たる独立性を保持しえようか。若し日本が近代国家として正常な発展をすべきならば、これまで政治的秩序に対して単なる受動的服従以上のことを知らなかつた国民大衆に対し、国家構成員としての主体的能動的地位を自覚せしめ、それによつて、国家的政治的なるものを外的環境から個人の内面的意識の裡にとり込むといふ巨大な任務が、指導的思想家の何人かによつて遂行されねばならぬわけである。福沢は驚くべき旺盛な闘志を以て、この未曾有の問題に立ち向つた第一人者であつた」(丸山「福沢における秩序と人間」、『間』144頁)。

 ここで、《民族的危機存亡の緊急事態→緊急権国家の確立→国民大衆に対する「国家構成員としての主体的能動的地位」の「自覚」の促しの必要性》という連関を見て取ることができる。「国民的総動員体制」論−−この「国民的総動員体制」論の議論は、ある種の民主主義論に容易に転換しうることに注意−−。

 ともあれ、この文章には、「国家的政治的なるものを外的環境から個人の内面的意識の裡にとり込むといふ巨大な任務」に「驚くべき旺盛な闘志を以て、この未曾有の問題に立ち向つた第一人者」としての福沢というイメージが浮き彫りにされているわけであるが、そこに丸山のpraktische >Frage<が投影されていることは明らかであろう。

 この課題が、長期的スパンで、前近代から近代の転換として理解されるとき、上記の(1)から(2)への転換として理解される。そこでデカルト的主客二元論が重要な役割を与えられていることに注目せよ。その課題を、福沢は、一挙的に解決しなければならなくなった、というわけである。

 「個人主義者たることに於てまさに国家主義者だつた」とする文章は、このような問題連関の中におかれている。

 「もとより国家的な自主性が彼の最終目標であつた事は疑ふべくもない。しかし「一身独立して一国独立す」で、個人的自主性なき国家的自立は彼には考へることすら出来なかつた。国家が個人に対してもはや単なる外部的強制として現はれないとすれば、それはあくまで、人格の内面的独立性を媒介としてのみ実現されねばならぬ。福沢は国民にどこまでも、個人個人の自発的な決断を通して国家への道を歩ませたのである。その意味で「独立自尊」は決してなまなかに安易なものではなく、却つてそこには容易ならぬ峻厳さが含まれてゐる。安易といへば、全体的秩序への責任なき依存の方がはるか広安易なのである」(同上、145頁)。

 この丸山の評価は、「陸羯南」論での丸山の「デモクラシーとナショナリズムの結合」という言葉につながっていく。しかし、この点については繰り返さない。私は、このような論点を整理する上で、安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(高文研2000.12)から示唆をえた。しかし、安川の視点には問題がある。このことも既に述べた。

 ところで、私は、この丸山の、福沢は「国家を個人の内面的自由に媒介せしめた」という言葉を評して、そのことは、個人の内面的自由を国家とナショナリズムの枠内に閉じこめたということを伴っていた、といった。
 ところで、ここには、多元的国家論と個人の自由の問題が絡まっている。そして、戦後の丸山には、この問題が明確な形で浮かび上がってくる。どういうことか。

 多元的国家論とは、ラスキなどに代表される国家論的立場だが、一言でいえば、社会を多数の元から構成される多元的構造をもつものと見て、国家をそのうちのひとつの元にすぎない、と見る立場だということができる。国家は、教会や、労働組合や、大学その他その他の部分団体と原理的には同格の団体にすぎない、と理解されるわけである−−前々回の議論に即していえば、〈ルソー・ジャコバニズム型〉の一元論的国家理解に対抗する〈トクヴィル・J.S.ミル型〉の多元論的国家理解の系譜に属し、その最もラディカルな立場だということが出来るであろう−−。
 そして、ラスキによっては、個々人は、これらのさまざまな団体に多元的な忠誠をもつ存在と見なされる。その多元的忠誠によって、個人に対する国家の排他的忠誠要求が個人の独立性を危険に陥れるものとして否定され、至高なるものとしての国家という観念が相対化される。良心の自由は、このような多元的構造をもつ社会の中でこそ確保される、というわけ。

 ここでこのことを持ち出したのは、この多元論の立場に立つとき、「国家を個人の内面的自由に媒介せしめた」ということは、「国家・教会・労働組合その他その他を個人の内面的自由に媒介せしめた」ということにストレートにつながるものとして理解することも、少なくとも文理上は不可能ではない、そしてそのように理解するなら、丸山の議論のポイントは、「国家」への収斂にあるというよりは、個人の社会形成へと関わろうとする主体性を問題にしているのだと見ることもできるからだ。

 つまり、「国家を個人の内面的自由に媒介せしめた」ということは、「国家・教会・労働組合その他その他を個人の内面的自由に媒介せしめた」という多元論的発想につながりうるものと理解することができる。
 「福沢は国民にどこまでも、個人個人の自発的な決断を通して国家への道を歩ませたのである」という言葉は、「個人個人の自発的な決断を通して個人個人の選択した道を歩ませた」という意味を含みうるというわけである。

 この含意を重要視するとき、そこに福沢/丸山の自由主義という理解が成立する。しかし、福沢/丸山には、その多元論的含意も、結局は国家に収束するという目的論的な理解がある。つまり、「個人個人の自発的な決断を通して個人個人の選択した道を歩ませ」る国家こそが強力な国家たりうるのだというように、それが強力な自律的国家に目的論的に収斂するはずだ、という理解である。
 メフィストフェレス、「悪を欲しながら常に善をなす」。「非国家的目的を欲しながら常に国家的目的をなす」。

この点を二つの局面に即してみておこう。
 @しかし、丸山は、「個人個人の自発的な決断を通して個人個人の選択した道を歩」むことが「国家への道」を歩むことだということの自覚をも要求している−−戦時中の大塚久雄の論文「最高度"自発性"の高揚」(講義ノート10頁)を見よ。またそのすぐ後の10-11頁にかけての私の論評を参照−−。

 A戦後の丸山も、多元論を、つまるところ国民国家に収斂するものと理解している。このことは、『「文明論の概略」を読む』でも変わらない。この点は、いずれ論じるが、自分で読んで検討して見よ。

 ともあれ、ここには、「個人の自由」の理解に関わる本質的な問題が内在している。

 真の意味での多元主義の立場に立つためには、個人を「国家・教会・労働組合その他その他を個人の内面的自由に媒介せしめ」る−−その意味で「…への自由」の担い手である−−ことのできる人間として理解しうるためには、その個人が「国家」それ自体をも突き抜けるような「国家からの自由」をもっていることが前提となり、その上で、「国家への自由」を、さまざまな「…への自由」のone of themとして理解していなければならないであろう。
 しかし、丸山は、そのような、国家否定的含意をもつような多元主義に開かれた形で問題を考えていたわけではない。「個人主義」は必然的に、目的論的に「国家主義」へ収斂していくべきものと考えられている。
 
 要するに、@少なくとも戦前の丸山はいかなる意味でも多元論者ではないし、A戦後の丸山は、多元論を、結局のところ一元論的国家に収束させている。