特殊講義 2002.前期 Hiromichi IMAI

7.5

 「歴史の経済的解釈」は「不完全」であり、「すべてに満足がいくものでもない」。とりわけこの「経済的な歴史解釈」で説明し得ないのは、「なぜわれわれが民主主義者なのか」、「われわれがなぜ人民主権の原理を信奉し、法の支配のもとでの基本的諸権利を守るのか」という点である。
 「承認を求める闘争」の根柢には、「気概」=「承認への欲望」が働いているが、その「気概」を基礎におく《生死を賭しての「承認を求める闘争」》というヘーゲル哲学のモティーフは、《経済的動機以外のモティーフを通しての自由主義民主主義を求めるさまざまな政治的動向》の説明原理として機能しうることになる。

 このモティーフを重視することによって、経済主義的歴史解釈では捉えられない歴史の「全体像を捉え直」そうとする。
 「承認を求める闘争」の根柢にある「気概」は、実は、西欧の政治哲学の伝統の中で重要な位置を占めてきたその考え方は既にプラトンの『国家』のなかで描かれている。

 プラトンによれば、人間の魂には「欲望」、「理性」、そして「気概(テユーモス)」の三つの部分がある。そして、イギリスの自由主義が理解した人間は、「欲望と理性」だけの組み合わせで説明できる。それは、この「気概」の部分を無視した。

 この「気概」とは、「自尊心」の源泉となる魂の部分であり、いわば「正義感覚」と似たものであり、それをもつからこそ、人間は、他人から価値なき人間として扱われると怒りを感じ、自分の信念・価値観に沿った生き方ができない時には恥辱を感じ、自分の価値にふさわしく扱われる時に誇りを感じる。このような「承認への欲望」と「それにともなう怒りや恥辱、誇りといった感情」は「人間の個性の一部」であるとともに、人間が等しく尊厳をもつものとして扱われるための原動力である。かくしてそれは、「政治の世界にも重要な意味をもつ」。へーゲルは、このような感情こそが歴史のプロセスの全体を動かしていると考えた(上、22頁)。少なくともコジェーヴのヘーゲル理解ではそういうことになる。

 へーゲルによれば、「尊厳をもつ人間として認められたいという欲望は、歴史の出発点にいた人間を、威信を求める生命を賭けた血なまぐさい戦いへと駆り立てていった。その戦いによって人間の社会は、進んで自分の生命を危険にさらす主人(=支配者)の階級と、死への本能的な恐怖に屈した奴隷(=隷属者)の階級とに分割された。この主従関係は、多種多様な形の不平等な貴族制社会を生み、それが人類史の大半を特徴づけることになったが、結局のところは主人と奴隷のどちらの側の承認への欲望も、それによって満たされることはなかった。奴隷はむろん、いかなる点からも人間として認められなかった。だが主人のほうもまた、自分が認められていることを手放しで喜んでいることはできなかった。なぜなら彼にとっては、他の主人から認められるのはよいとしても、自分を認めてくれる奴隷たちがまだまだ人間として不完全な存在だったからである。そして貴族社会では、欠陥だらけの承認しか得られないという事実への不満が一つの「矛盾」を作り上げ、それが歴史のその後の発展段階を生み出すことになったのである」(上、22-23頁)。

 この矛盾が解決されるときに「法状態」が成立する。カントとヘーゲル。

義務づける者と義務づけられる者との主体的関係からみた区分
 1、権利も義務ももたない存在者たちに対する人間の法的関係
  実在せず。
 なぜなら、そうした存在者たちは理性のない存在者であって、われわれを拘束することもなければ、それによってわれわれが拘束されることもありえないからである。
 2、権利も義務もともにもつ存在者に対する人間の法的関係。
  実在する
 なぜなら、それは人間と人間との関係であるから。
 3、ただ義務だけをもち権利をもたない存在者に'対する人間の法的関係。
  実在せず。
 なぜなら、そうした存在者は人格性を欠く人間[隷農・奴隷]であろうから。
 4、ただ権利だけをもち義務をもたない存在者[神]に対する法的関係。
  実在せず。
 こういう存在者は可能な経験のいかなる対象でもないのだから、少なくとも純然たる(神学的でない)哲学においては(存在しない)。

 ヘーゲルは、カントにならって、法的関係を可能にしない「主奴関係」は、フランス革命によって−−またアメリカ独立革命によって−−原理的に体制的次元で克服された、と考えた。
 この二つの民主主義革命は、かつての奴隷を自分自身の主人に変え、人民主権や法の支配という原理を確立し、そのことによって、主人と奴隷との区別を一掃した。「主人と奴隷という本質的に不平等な承認」の形態は、「普遍的かつ相互的な承認」にとって代わられたわけである。「そこでは市民の誰もが他のすべての市民の尊厳と人間性を認め、次にはその尊厳が、さまざまな権利の付与を通じて国家からも認められるようになったのである」(上、23頁)。
 ここに、ドイツ古典哲学における法哲学の成立の地平としての相互承認論があった。人権・権利の成立根拠についての哲学。

 要するに、ヘーゲルは、近代法成立の地平を、
 @前近代的な非対称的相互行為形式の否定、
 A対称的な相互行為形式を内容とする規範的予期の一般的成立、
 Bそれに対応する新たな制度形成という過程を経て成立するものと理解している。

 彼は、『法哲学綱要』で、「主人と奴隷」といった非対称的な関係を許容する「非真なる立場」を「承認を求める闘争」を介して克服した「自己意識の立場」こそは「法と法学の開始点たる自由な意志の立場」だと述べている(Rph. §57)が、この言葉にこのような事情がこめられている。
 しかも、このような対称的相互行為が普遍的なものとして可能となる根拠は、近代市民社会の中の商品交換関係にあると見ている。ヘーゲルにおける自由主義的契機。

 「契約は契約を結ぶ人が相互に人格および所有者として承認しあうことを前提とする」(Rph, §71)。彼のいう「自由な意志の立場」はここで指示されているように商品交換−契約という形態をとる相互承認の普遍化を基底とするものであった。
 要するにヘーゲルは、ホッブス−ロック−スミスの延長上に立ち、近代市民社会の中で成立する生活様式に即して、「相互承認」の展開を見ようとしているわけである。

 この面は、コジェーヴ−フクヤマによっては無視されている。ヘーゲルの反自由主義的「改釈」。そこで軽視されたのは、次のような問題。これは、われわれにとってきわめて興味深い問題だ。

 バンジャマン・コンスタンの周知の指摘を図式化していえば、古典古代の個人は、公共性に関しては主権者だが、私的自由をもたなかった。これに対して近代的個人は、私的生活において自由独立だが、公共性に関しては主権者ではない。この指摘を前提にしていえば、近代的公共性は invisible hand によって調和的に実現されるという信頼が存在する限りで、「公共性に関して主権者」であるところの人間を必要としない。
 しかしヘーゲルとっては、公共性はもはや invisible hand に委ねてはおけないものになっていた。市場における相互承認の崩壊。貧富の差。社会政策の必要性。

 それゆえに、ヘーゲルにおいては、「公共性」の管理者たる「主権者」である存在が要請されるし、〈政治的なるもの〉の領域は固有に必要とされる。ここに彼がイギリスの古典経済学の地平に踏みとどまることのできない理由があった。

 そこで彼は、@「私的生活において自由独立だが、公共性に関しては主権者ではない」近代的個人のあり方をそのまま受容してそれを商工業身分とする一方で、A「公共性に関して主権者」である古典古代の個人−−それが「欲望」を生活原理とするのではなく、「気概」及び「理性」を生活原理とする「軍人」身分と「統治者身分」であることはいうまでもない−−を官僚身分と読み替えて、それを近代国家の中に導入した。
 この@Aは、全体として、プラトン的身分論の受容という性格をもっている。

 そしてその官僚身分の私的生活を国家的に保障し、いわば私生活への配慮から完全に解放することによって生じる余暇を、公共性のケアに、近代市民社会の中での救貧問題の不可避性に象徴される公共性の危機への対処に、そして公共性の不断の再建の作業に向けさせたのであった。
 ヘーゲルはこの公共性への配慮の背後に、更に普遍的身分たる官僚身分の中立性・知的卓越性と国家の倫理性の根拠を見ようとした。市民社会と国家の二元的構成が不可避とされる要因はここにあった。このことによって、上からの介入を通して近代化の推進と調整を担う官僚制国家が正統化されたわけである。
 このヘーゲルの国家論が、明治国家論でもありうる−−現代日本国家論でもありうる!?−−ことに留意せよ。

 ともあれ、ヘーゲルの市民は、自己の「主観的利益」の実現をめざすが公共的領域にも主体として参与するという両面性−−私人(ブルジョア)と公人(シトワイヤン)との両面性−−をもつ主体ではない。その一面性のゆえに、それは逆の一面性をもち、もっぱら公共的領域に主体として参与する「官僚身分」を自己の補完物として必要とした。いわばヘーゲルは、能動的市民と受動的市民とを身分論的に二分したのである。ヘーゲルの国家は、必然的にパターナリスティックなものとなる傾向をもっている。

 このような問題性があるにしても、ヘーゲルが公共性の領域に反省的なまなざしを向け、それに実践的に関与する主体の近代社会にとっての必要性に想到していた点は、評価しておかねばならないであろう。
 しかもこの公共性がそれを自覚的に担う人間の visible hand による不断の調整を必要とするものであることも、ヘーゲルには、正当に理解されていた。
 問題は、彼がこの調整を市民社会に外在的な官僚制国家の行政に委ね、もって相互承認論の可能性を結果として窒息させたこと、そして国家的制度論を非市民論的なものにしたことにある。その結果として、政治的なものの領域は、実際には行政的なものの領域にしかならなかった。政治的市民論の欠如=官僚制論。

 今井弘道編『新・市民社会論』(風行社 2001)所収今井論文参照。

 ともあれ、市民の官僚制に対する〈承認を求めての闘争〉の余地が残る。
 ヴェーバーの問題。官憲国家Obrigkeitsstaatから国民国家Volksstaatへ

 丸山真男は、ドイツ国家学史においては、「政治的な領域」をめぐる学問が「政治学」という形で展開されず、「もっぱら国家学として」、それもとくに「国法学乃至は行政学」として展開され、「政治的な領域」がこの発展の中に「のみこまれてしまった」ことを指摘し、その原因を、学問が「プロシャ王国乃至ドイツ帝国における市民的自由のひ弱さと、これに対する官僚機構の磐石のような支配力を反映した」ことに求めている(丸山、+++頁)。ヘーゲルの国家哲学の構造はこのような事情を予め表現したものだといってよいであろう。
 要するに国家学は、公共性に反省的眼差しを向けることのできる〈政治的市民〉と成熟した〈市民的政治文化〉を背後にもつか否かによって、その性格を大きく変える。
 単純化していえば、〈自由な市民〉をもたない国家学は没政治的で行政的な性格を濃厚にする。それをもつ国家学は「政治的な領域」をめぐる市民的国家学、つまり「政治学」になる。近代社会における「公共性」は特殊利益と普遍利益の構造的関係の中で成立する。そして「政治的なるもの」は、本来、この構造に関わる〈自由な市民〉の間で成立するからである。すなわち、私人であると同時に公人として、自己を国家的主権との緊張関係の中に置き、特殊利益と普遍利益の構造的関係の中で公共性が成立することを理解し、その理解に基づいて、その維持と発展のために、かの緊張関係に耐えつつ、参加を介して積極的に、また抵抗を通して消極的に関わろうとする〈自由な市民〉の間においてである。
 西欧の国家学は、ホッブスのであれ、ロックまたルソーのであれ、この意味での「政治学」であった、丸山はこう考えている−−実際の丸山は、いわばルソー主義者なのだが−−。だがドイツでは、市民的自由がひ弱であり、その自由の領域が「政治的な領域」として表現されることはなかった。それゆえにそこでは、「相互承認」は私法上の領域で自己完結し、公法的領域は官僚主義的支配体制を学問的に表現する国法学や行政学が主流となった。「政治的なるもの」が「行政的なるもの」に解消されたわけである。

 丸山政治学にとっての課題もまた、基本的にこの》官憲国家Obrigkeitsstaatから国民国家Volksstaatへ》の言葉に集約させることができる。

 ヴェーバーは、国家技術的な制度設計の問題が焦眉のものとなった第一次世界大戦の収束と戦後の始まりにかけての決定的な歴史的瞬間に、「国家技術的な問題は…重要でなくはないが…政治にとって一番重要な事柄ではありえない。むしろドイツの未来にとっては、市民層の大衆が責任をとる覚悟と自己意識とをより多くそなえた新たなる政治的精神を育てあげるかどうかの問題の方がはるかに決定的である。…政治的市民の誇りがなければ、いかに自由な制度も単なる幻影にすぎない」といった。この言葉が、「どのような人間類型が支配的類型となる最適のチャンスを与えられるのかという観点」こそが、「国家技術的な問題」以前にまず確認されていなければならない、ということを意味していることはいうまでもないところであろう。
 だからこそヴェーバーはまた、「われわれは王朝的正統性を断固として拒否すること」、そしてそれを「国民主権に基づく憲法制定議会の革命的自然法的正統性」−−この革命的自然法的正統性という言葉は、主権者たる政治的市民の同意・承認に立脚する民主的正統性という意味で用いられている−−に置きかえることを、「究極的には市民層を自立させるための手段とみなしている」(GPS. S.+++, 『政治論集 2 』、500-501頁、409頁)とも述べたのである。「市民大衆の責任をとる覚悟と自己意識」と表現されるエートスの芽生えを前提とした上で、そのエートスとそれに適合的な「自由な制度」の相互支持作用を循環させていくことが、彼の狙いだったわけである。
 このようなウェーバーの議論を高く評価した上で、「市民大衆の責任をとる覚悟と自己意識」と表現されているエートスは、現代においては、どのような社会的・政治的経験の中で成立しうるのかが更に問われてしかるべきであろう。新たな社会意識の目覚めの場はどこにあるのか、こういいかえても同じことだ。また、現代のわれわれが必要としている新たな社会意識の目覚め派、ヴェーバーが要請したそれとどのように違っているのか、が問われねばならないであろう。
 このような問を発する時、われわれはウェーバーから離れて独力で考えなければならない。その解答をウェーバーに依拠するわけにはいかないのである。

 丸山についても同様のことをいわなければならない。