特殊講義 2002.前期 Hiromichi IMAI

 丸山の議論に立ち入ったところまで戻って、問題を考えなおしてみよう。私は、《3 丸山の民主主義論に対する基本的視角−−あるいは、丸山の福沢論の前提たるpraktische >Frage<の所在−−》という問題を立てて、3−1でこう論じはじめた。

 丸山真男は、戦後民主主義の出発点において、二つの記念碑的な論文を発表した。「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号掲載)及び「陸羯南−−人と思想」(『世界』1947年1月号掲載)である。この二つの論文で、丸山は、明治維新以降の日本の国民国家形成において民主主義的要素が過少であったこと、その分だけナショナリズムの非合理的要素が過剰に利用されて「超国家主義(ultra-nationalism)」への道が拓かれる結果となったことを、批判的に明らかにした。そして、それを克服するためには、ナショナリズムとデモクラシーとを結合させ、その中でナショナリズムを合理的なものへと分節化していく必要があることを示した(これに関しては、とりわけ「陸羯南」論)。このような戦後日本に対する課題の提示は、戦後民主主義の精神的な支柱になった」。

 問題は、「このような展望の提示は、現在では、反省的総括の対象となりつつある」という点にある。「そのポイントは、この丸山の観点が国民国家の次元を排他的な政治的領域と見ていること、その結果、非政治的領域がもつ政治的インプリケーションが看過されていることにある」。更には、「丸山の民主主義観」の〈下からの権力形成〉論にある。「その理解は、〈下からの権力形成〉の帰結として成立した権力には、それだけで直ちに十分な正統性を承認するという傾向をもたらした。そのことは、われわれがそのような権力からも自由で干渉のない多くの領域を必要としているということを看過させ、それに対する批判的対決の必要性を蒸発させがちになる」。
 「この民主主義理解は、丸山においては、国民国家の次元を排他的な政治的領域と見ることと結合している。戦前戦後を通じての丸山の一貫した課題は、この国民国家の次元において〈下からの権力形成〉を達成することであった。羯南論で示された〈ナショナリズムとデモクラシーとの結合〉という課題は、そのことを端的に表現している。しかし、政治を排他的に国民国家次元において理解することと、〈下からの権力形成〉の帰結として成立した権力には直ちに正統性を承認することとは、少なくとも現在においては、ともに問題視されねばならない」。

 このような問題性を、私は、「戦後民主主義の問題性−−民主主義の過剰による反権威主義的自由主義の縮小−−」という言葉で象徴させた。
 そして、そこに存在する問題を、福沢論との関連で問題にしたのだった。

「福沢諭吉は明治の思想家である。が同時に彼は今日の思想家でもある」。丸山が、このように同時に福沢を「明治の思想家である」と同時に「今日の思想家でもある」と見なす所以は、福沢を、日中戦争と太平洋戦争を遂行中の日本において「個人主義者たることに於てまさに国家主義者だつた」と見ることが有意味だと考えていることによる(丸山「福沢における秩序と人間」、『間』、143頁)。

 福沢を「個人主義者たることに於てまさに国家主義者だつた」と見ることが有意味だとはどういう意味か。丸山によれば、「国家を個人の内面的自由に媒介せしめたこと−福沢諭吉といふ一個の人間が日本思想史に出現したことの意味はかかつて此処にあるとすらいへる」という。ここにその意味が十分に語られている。しかし、「国家を個人の内面的自由に媒介せしめた」ということは、個人の内面的自由を国家とナショナリズムの枠内に閉じこめたということを伴っていた。「彼が独立自尊の大旆を掲げるその日までは国民の大多数にとつては国家的秩序はいはば一つの社会的環境にとどまつた」という事態を超えようとした福沢の問題意識がもつ意味を強調したいのであれば、それは、丸山にとっては「現代的」ではあっても、われわれには既に「現代的」ではあり得ない(同上、144頁)。というのは、次のような丸山の言葉は、やはり総動員体制論の枠組み内にあるように思われるからである。
 「国民の大多数が政治的統制の単なる客体として所与の秩序にひたすら「由らしめ」られてゐる限り、国家的秩序は彼等に環境として以上の意味を持ちえず、政治は自己の生活にとつて何か外部的なるものとして受取られるのは免れ難い。しかしながら、国民一人々々が国家をまさに己れのものとして身近に感触し、国家の動向をば自己自身の運命として意識する如き国家に非ずんば、如何にして苛烈なる国際場裡に確固たる独立性を保持しえようか。若し日本が近代国家として正常な発展をすべきならば、これまで政治的秩序に対して単なる受動的服従以上のことを知らなかつた国民大衆に対し、国家構成員としての主体的能動的地位を自覚せしめ、それによつて、国家的政治的なるものを外的環境から個人の内面的意識の裡にとり込むといふ巨大な任務が、指導的思想家の何人かによつて遂行されねばならぬわけである。福沢は驚くべき旺盛な闘志を以て、この未曾有の問題に立ち向つた第一人者であつた」(同上、144頁)。
 「もとより国家的な自主性が彼の最終目標であつた事は疑ふべくもない。しかし「一身独立して一国独立す」で、個人的自主性なき国家的自立は彼には考へることすら出来なかつた。国家が個人に対してもはや単なる外部的強制として現はれないとすれば、それはあくまで、人格の内面的独立性を媒介としてのみ実現されねばならぬ。福沢は国民にどこまでも、個人個人の自発的な決断を通して国家への道を歩ませたのである。その意味で「独立自尊」は決してなまなかに安易なものではなく、却つてそこには容易ならぬ峻厳さが含まれてゐる。安易といへば、全体的秩序への責任なき依存の方がはるか広安易なのである」(同上、145頁)。

この丸山の福沢論の基調は、全体的秩序への責任なき依存か/個人個人の自発的な決断を通して国家への道か、という二者択一の選択肢の中で論じられている。それに、私は、「国家からの自由」を対置した。そしてそこから、ラートブルフの議論に入り込んでいった。
 しかし、例えばヘルマン・ヘラー(Hermann Heller)というワイマール期の国家学者の議論を見ると、この二者択一は、近代人の生き方を問題として、国家学の中に取り込まれていることがわかる。このことに注目しながら、ヘラーの国家学的問題設定を、簡単に一瞥してみよう(以下の議論は、主として、Wolfgang Schluchter, 今井弘道訳『社会的法治国家への決断』(風行社 1991)に依拠している)。

 1. W.シュルフターにいわせれば、ワイマールの国家学者・ヘルマン・ヘラーの国家学に対する基本的立場の核心には、「西洋の文化史的発展」論がある。その文化史に照らして、ヘラーは、「近代的意識」を規定している基礎的な経験を、「人間的生を現代において遍く支配している内的な矛盾」の「経験」に見ていた。
 この「経験」に定位しながら、ヘラーは、その「矛盾」がもたらす「緊張関係」を決して「解消してしまわず」に「耐え抜こう」とするところに、「矛盾的で不安を抱える悲劇的な存在者」としての現代人の宿命を見ようとする。シュルフターは、この「悲劇的な存在者」としての現代人の宿命からヘラーの国家学が説明できる、と考える。国家学は、この人間存在のあり方と表裏一体の関係に立っている、というわけである。
 今やヴェーバー研究の大家であるシュルフターが1968年に公刊した博士論文におけるヘラー解釈は、市民論に即して、19世紀末以降のドイツの国家学/法哲学を−−ヴェーバーの議論との関連を念頭に置きながら−−、ワイマール期の国家学者であり、ナチスに追われながら国家学の構築を急ぎ、心臓発作で夭折したヘラーに即して総括しようとする角度から行われている。
私がこの点に着目するのは、近代の国家学の地平はかなりのところヘラーに即して確定しうるのではないか、と考えているからである。そういっていいなら、その地平を了解することは、主権国家の終焉と市民の時代を眼前にしつつある現代のわれわれにとっても、はなはだ刺激的な観点だといいうるであろう。このような角度から、シュルフターのヘラー論に依拠しつつ、事態を一瞥してみたい。

 2. 現代人が「矛盾的で不安を抱える悲劇的な存在者」である所以の「理性と現実との宥和不可能性」の「経験」を、ヘラーは、西洋近代のキリスト教文化から生じた「自律的存在としての人間という自己理解」を基礎にしたものと考えている。
 キリスト教は、「神の愛の王国という共同体理想」を基礎に、「個々人の魂」にこそ「無限の本質的な価値」があると見た。そこに「ラディカルな宗教的個人主義」が成立し、それが「近代的意識」を規定する基礎的な経験の根柢となった。この宗教的意識は、宗教改革に続く宗教戦争において深刻な動揺を被った。宗教は彼岸を約束するが、「世俗的安全性」の保障はできない。そこで国家権力に期待が寄せられることになった。「個々人の魂」のために必要とされる安定を与える国家、理性原理に従う国家が求められることになった。
 しかし、フランス革命とその後の経緯の経験から、理性原理に従う国家など欺瞞に他ならないことが痛感された。理性原理の実定化を目指したフランス革命は、国家と法を、「権力」と「理性」のせめぎ合う場としたからだ。「安全性」の国家権力による保障には権力の自己目的化の危険性が伴うことがわかったわけである。
 かくして、以後の人間は、かの「自己理解」を放棄しないでいる限り、「現世主義的な権力の肯定か/反現世主義的な権力の否認か」の「二極的な緊張関係」の中で生きねばならないことになった。この帰結こそ、人間を「矛盾的で不安を抱える悲劇的な存在者」にした当のものだった。
 以上の議論はこう要約できる。個人の生は社会的な生の中でこそ遂行される−−だから一定の社会的安定性が存在していなければならない−−。だが、個人の生は全体の中に融解させてはならず、「安定性」をもたらす権力に「個人の魂」を屈服させてはいけない。
「安定性」をもたらす権力に「個人の魂」を屈服させてはならない。むしろ、「安全性」の国家権力による保障には権力の自己目的化の危険性が伴うが、その国家をなしに済ませるわけにはいかない以上、それは、国民自身の統制の下におく必要がある。

 《国家を相対化しつつ、「国家からの自由」へと向かう、宗教に基礎をもつ反国家的motivation》と《「国家への自由」という民主主義的motivation》とのコンフリクト。

 このような帰結に至る過程の根柢には、キリスト教が人間の実存に与えた解釈を自分を義務づけるものとして引き受けるという決断があった。この基本的決断の結果として、人間は目的論的な世界像を放棄して自己保存という原理をわがものとし、超越-哲学的な構えを放棄して内在-哲学的構えをわがものとし、ついには君主制的な原理(王権神授説といった超越的原理)を放棄し民主主義的正統性(内在的原理)をわがものとせざるをえなくなっていった。人間が人間にとって問題的なものとなったのは、その過程の中においてであった。
 ここに成立する緊張関係から逃げ出さずそれに耐え抜くこと、ここに近代人にとっての基本的な当為がある。そこにこそ市民の実存のありかがある。このような解釈に即して、ヘラーはイエリネック以降の国家学を批判的に解体し再構築しようとした、と。

 3. 法哲学/国家学の根本的な問題に、「国家的支配の正統性」という問題がある。「悪法は法か」というソクラテス的問題も、不当な権力に対する抵抗権の正当性問題も、この問題に包摂される。この「国家の正統性」問題は、「西洋文化圏の発展」の中で自己を「自律的存在」と了解する人間にとっては、直ちに実存的な意味をもつ問題となる。「自律的」であるためには一定の外的条件が必要だが、権力による「外的安全性」の享受は必ずしも「自律的」であることと両立しない。このことが、危機的場合はもとより、日常的にもしばしば意識されるからである。この意識のうちには、既に何らかの意味での「国家の正統性」問題が潜んでいる。
 良心の自由を核心とする人権のプロテスタンティズム起源論を主張したイエリネック以降、国家学は、かの「二極的な緊張関係」を軸に展開されたということができる。この問題は、ヘラーにとっては、直ちに「市民」の問題ともなったが、それは、その緊張関係に耐えながら生きることこそ市民的実存のあり方だと考えられたからである。この緊張関係を否定することからは、市民の反対像としての偉大なる犯罪者、創造的な革命家、聖者等々への道が開かれている。だがそこには、いかなる成功も期待しえない罪の行為が、そして「自律的人格」の破滅が、待ち構えてもいる。
 ともあれ、法と道徳、権力と良心、遵法と抵抗、正統性と合法性などの対句に象徴される法哲学的な諸問題は、市民的実存の問題を「国家存在」の次元において捉え返したものと見ることができる。このように考えることは、近代的な人間存在の問題を没政治的な自閉的思考回路に陥ることなく展開するためには、重要な点であろう。逆に、国家学的問題を「実存」問題を閑却した自己完結的な回路の中で考える自閉化傾向に対しても、それは有効な批判たりうるであろう。

 さて、ここで重要なことは、ヘラーの国家学的議論の内には、国家を相対化しつつ、「国家からの自由」へと向かう、宗教に基礎をもつ反国家的motivationが組み込まれていること。

 この問題は、マックス・ヴェーバーにとっても、原理的な重要性をもつ問題であった。 次のいくつかのウェーパーの議論を共通のものにすること、そこから『宗教社会学』と『政治社会学』とが、ウェーバーの時事的・政治的な問題関心を結節点にして有機的関連を有していたことを確認すること、から議論を出発させよう。

 (1)まず『原倫理』に見られるある注からの抜粋。「寛容」は「近代の"リベラル"な思想」と異なるものではない。それの意味するところは,「あらゆる人間的権威(への拝跪−今井)を"被造物神化(≒偶像崇拝−今井)"として排斥する原理」に宗教的に固執することであり、「唯一神およびその律法にのみ義務を負うものとしての自己自身の意志の無条件放棄」という信仰を「無価値なもの」として否定することである。「このような実定宗教的動機からの"反権威主義"の導出が、ピューリタン諸国における"自由"の歴史的に決定的な"心理学的"基盤であった」。この"良心の自由"は政治的にも大きな意義を有する。それの「発生史と政治的意味」にとって「イエリネックの"人権宣言"」は基礎的意味をもつ。「私個人がピューリタニズムと新しく取り組むようになったのも、まさにこの書物のおかげである」。

 (2)「アメリカにおける教会とゼクテ」における次の二つの論述。「およそ"良心に背く"ような一切の国家要求を絶対的に拒否すること、および国家に対抗する個人の絶対権としての"良心の自由"を要求すること。これらは、首尾一貫してポジティヴな宗教的要請としては、ただゼクテ団体の地盤の上においてのみ考えられる」(安藤訳143頁)。「個人の対外活動の最高の発展を表わすものとしての個人の内面的孤立化と最も強固な凝結力および最高の衝撃力ある社会的団体形成能力との結合−−それは、最も強力なものとしては、なによりもまずゼクテ形成を地盤として成長した」(安藤訳147-148頁)。

 (3)『プロ倫』の注の一部。「ピューリタニズムの歴史をもつ国民はカエサル主義に対して相対的に大きな免疫性をもっている。…だからこそイギリス人は一般に内面的自由を保ち、しかも一方では大人物の『価値を承認』しながら、他方では偉大な政治家に対してさえ批判的であり、その人物をヒステリックに偏愛したり、政治上のことがらについては誰でも『感謝の念』をもって服従するべき義務を有するという類のナイーヴな思想を拒否することができた−−これは、われわれが1878年以降のドイツで…体験した多くの出来事とまさに逆である」(GRSI,S199、中公182-183頁)。

 (4)「新秩序ドイツの議会と政府」のある一節。「国民は、1878年以来のビスマルクの支配によって〔直前(3)の引用強調部分との符号に注目−今井〕、自分たちの選んだ代表者を通じて、自国の政治的運命の決定に共同で参加する習慣−−これだけが政治的判断を鍛え上げる−−を断たれてしまった」、その結果が「政治的教育のひとかけらも受けていない」ドイツ国民の現状である(GPS,S.307、河出318頁)(この言葉のうちには,「わが国民の政治的教育こそはまさしく、同時にわれわれの学問の究極目標でなければならない」(GPS, S.24, 河出28頁)という『国民国家と経済政策』でのウェーバー自身の言葉が共鳴しあっている)。

 以上の言葉に、「有機的関連」が存在していることに疑問の余地はない。その.「有機的関連」がウェーバーのドイッの現実政治に対する課題意識を内含していること−−一言にしていえばそれは権威主義的エ一トスの反権威主義的エ一トス(=国家の相対化を可能にするエートス)ヘの転換を軸にした課題意識である−−も明らかである。その点に留意してさらに次のいくつかの引用に目を移そう。

 (5)『支配の諸類型』の次の一節。「カリスマ的な正統性の原理」は第一次的には「権威主義的に解釈される」。「カリスマ的な権威の事実上の妥当は」、「被支配者による承認」に依存し,承認はこの第一次的意味においては権威主義的、つまり「正当性をもつ者」に対して「義務的」である。しかし、この承認が逆に「正当性の結果ではなく、正当性の根拠とみなされる(民主主義的正統性)」可能性がある。つまりカリスマ的正当性は「反権威主義的に改釈されうる」。この時支配者は「被支配者たちの恩寵による支配者に転化し、被支配者は支配者を(形式的には)自由に、自分たちの好みにしたがって選挙し、任命し、場合によっては罷免もするようになる」(WuG, S.155f., 世良訳138頁)。

 (6)『支配の社会学』の次の議論はかかる反権威主義的態度が国家と政治的指導者との目的合理性に即した理解と親和的であることを示している。「ピューリタニズムの一切の被造物に対する無遠慮さ、一切の被造物神化の拒否」は,「地上の権力者に対する内面的態度決定から一切のカリスマ的畏敬関係を排除するという方向に働く」。「世俗的権力保持者は、人間によって作られ、人間の目的に奉仕する機構の構成要素たるにすぎず、何らかの内面的な拘束力を有する権威なのではない」(WuG,S.675,世良訳479-480頁)。

 (7)それは現実政治的には、1917年の「ドイッにおける選挙法と民主主義」における次のような課題意識−−現代ドイツにとって選択肢は「国家市民大衆が見かけだけ議会主義の官僚主義的『官憲国家(Obrigkeitsstaat)』のなかで権利もなく自由もなく家畜の群のように『管理』されるのか、それとも国家の共同の主人(Mitherren des Staates)としてこの国家のなかに編入されるか」(GPS,S.279, 政治論集1, 311頁)の他にないという択一肢に示される課題意識−−に収斂する。

 以上から、さしあたり次のような連関を確認しておきたい。

 (1)ピューリタニズムの"反権威主義"のうちに「寛容」=「近代の"リベラル"な思想」の歴史的基盤を求めうるヒとへの着目は、そもそもドイツにおけるビスマルク・レジームに対するウェーバーの政治的・憲法的な間題を包括する批判的な実践的観点、いわば国民的にはピューリタニズムの伝統をもたないドイツ的政治のみじめさに対する批判的克服という実践的間題意識、を背景としていること(丸山や大塚の問題)。

 (2)この(1)のコンテクストと絡みつつ,"反権威主義"=ピューリタニズムにおける"被造物神化"の拒否は,『支配の諸類型』における権威主義的なカリスマの「反権威主義的改釈」−−それは自由主義的メンタリティにつながる−−の問題に通じ、あるいはその議論の原型をなしていること。

 (3)"被造物神化"の拒否が貫徹されうる精神的風土においてのみ、一方で目的合理性のディメンジョンにおいて政治機構−−政治的リーダーを含めて−−が理解され、他方で、自らが「恩寵」を有する−−すなわち価値源泉である−−主体による価値=目的決定というディメンジョンとのシャープな区別が可能となること(この点は、ピューリタニズムとの対比において、儒教的な「社会倫理的態度」からこそ「政治や経済における組織形態が全面的に人的な諸関係に結びつくという性格をおびていて、すべて異常なほどにまで(相対的に)合理的な事象性や抽象的・超個人的な目的団体の性格を欠いている」(GRSI, S.528,論選193-194頁)とされていることにも端的に示されている)。

 (4)ウェーバーを規定していた政治的理想とは、自らの自覚的承認を通して指導者と国家機構とに「民主主義的正当性」を賦与しうるような「恩寵」を有する主体=主権的個人としての政治的市民による価値=目的決定がなされる国家,「自分たちの選んだ代表者を通じて,自国の政治的運命の決定に共同で参加する」国家市民によって構成されるものとしての国民国家を現実的なものとして形成することにあったこと。

 (5)このような主体は単に孤立した抽象的個人と考えられてはおらず、伝統的な社会関係から超出し,それから独立的なものとなることによってかえって社会的団体形成能力を身につけるに至った個人として捉えられていること。

 ここで問題なのは次のことである。前回、私は、ヴェーバーが、「われわれは王朝的正統性を断固として拒否すること」、そしてそれを「国民主権に基づく憲法制定議会の革命的自然法的正統性」に置きかえることを、「究極的には市民層を自立させるための手段とみなしている」(GPS. S.+++, 『政治論集 2 』、500-501頁、409頁)と述べたことを取り上げて、「市民大衆の責任をとる覚悟と自己意識」と表現されるエートスの芽生えを前提とした上で、そのエートスとそれに適合的な「自由な制度」の相互支持作用を循環させていくことが、彼の狙いだったわけである、とした。

 この言葉は、丸山とは違って、そしてヘラーと同様に、国家を相対化しつつ、「国家からの自由」へと向かう、宗教に基礎をもつ反国家的motivationを、その主権的国家へのコミットメントのうちに組み込んでいた、ということである。
それは、個人と国家との「相互承認」というような事態を想起させる。このことを戦中の丸山に期待することは無い物ねだりかも知れない。しかし、この観点が戦後になっても明確に自己反省されなかったとしたら、そのことは大きな問題だといわねばならないだろう。

 しかし、ヴェーバーにとっては、「プロテスタンティズムの倫理」は消滅しつつあった。「矛盾的で不安を抱える悲劇的な存在者」としての現代人の宿命からの脱落−−克服ではなくて−−。そこにヴェーバーの問題があった。

 高度資本主義の支配下において「民主主義」と「自由」の存続が実際に可能なのは、「羊の群のように支配されたくないという国民の、断固たる意志が背後に存在している場合」だけだ。われわれが「『個人主義者』であり『民主的』制度の徹底した擁護者」であるのは「物質的な布置状況の『流れに抗して』」である(GPS, S.61, 『ロシア革命論』81頁)、と述べている。ウェーバーにこういわせているのは、資本主義の発展が社会問題を惹起し、また公私にわたる官僚制の肥大化をもたらし、それを深刻化させつつあるという状況(ピューリタニズムの影響下に形成された精神的態度が保守的なものとして機能しつつあった状況)である。このような状況の中で,「『個人主義者』であり『民主的』制度の徹底した擁護者」であろうとするウェーバーを支えていた核心たる価値理念−−自らの内部に態度決定の中心があり、それによって自己を規制する整合的統一性としての人格−−は、まさに危機に陥ってしまった。そればかりか、「現世的禁欲」によって成立した近代的人格は、このような事態に対して有責でさえありうる。それにもかかわらず「人格」は資本主義的な物質的状況の「流れに抗して」も救出されねばならない。
 このことはヴェーバーに、具体的には二つの課題をつきつける。この物質的流れに抗しうるだけのポテンシャリティーを有する社会政策・経済政策を可能にすること、その社会政策・経済政策を介して、単に資本主義的経済構造が可能にするのではない−−つまり単に資本主義の精神の担い手に止まるのではない−−新たなる個人主義の可能性を探ること、つまり現代的なゼクテの可能的基盤を創出すること、である。
 ウェーバーはこのような方向をめざす社会政策・経済政策の展開が可能に
なるのは、それが手段的機構としての国家が民主主義的正当性に支えられる時、つまり「羊の群のように支配されたくないという国民の断固たる意志が背後に存在している」時である,と考えている。「自国の政治的運命の決定に共同で参加する国民」のかかる「断固たる意志」によってのみ、そのような国民の溢れ出てくる政治的エネルギーに支えられることによってのみ、資本主義を抑制する政策とそれによって支えられる自由と民主主義が,したがって「人格」的価値の核心の保持が,可能だというのである。問題化された「人格」理念は,このような方向において救出されるべく構想される。

 現代において可能な、国家を相対化しつつ、「国家からの自由」へと向かうmotivationは?

 2−2 現在、このような「近代」の転換を迫る多くの要素が噴出しつつある。ここでは、前節であげた@ABにそれぞれ対応する三つの要素、つまり@'地球環境の限界の露呈、A'世界のボーダーレス化とグローバルな次元で発言力を増してきた市民的主体の登場、B'欧米の支配の客体であったアジアの、世界の主体への変化をあげておこう。

 もうひとつは、社会の多元化。

 相互承認論の国家へのコミット論的含意。「欲望」から「気概」へ。国家を構成する主体へ。
 もうひとつの含意…相互承認を求めての闘争、対称的な「我と汝」関係の中での自己確証。より根源的にいえば、「我と汝」の関係の中で「我」が生まれる。