Sapporo 2001.3.6 
  現代における政治の脱国家化と「近代」の克服
     −−21世紀東アジア法哲学の課題設定のために−−
Hiromichi IMAI

 1課題としての「近代」の克服

 1−1 現在の世界は転換期にある。「近代」文明を漸次的に克服していきながら、それに代わる新しい文明を構築していくという転換である。この転換のポイントは、「近代」が隘路に陥ったことにある。私は、第三回アジア法哲学シンポジウムにおいて、こう述べた*1。ここでは、まず、その論点を敷衍し、拡大しておきたい。
 「近代」が隘路に陥ったという場合、その「近代」を特徴づける第一の要素は、
 @何よりも「生産力主義的人間中心主義」である。人間は、まず、普遍的に妥当する明晰な理性を持ち、科学技術と知識の開発・習得によって自然を支配し、そのことによって自らの安全を確保し、最大限の幸福を実現するもの、と理解される。その「人間」を世界の中心におき、自然を「人間の生産力によって支配されるべき無限の素材・手段」と見る時、「科学技術的知」の発展と相互前提の関係に立つ「生産力主義的人間中心主義」が成立する。
 Aこの「生産力主義的人間中心主義」が「近代」の骨格を形成したのは、次の第二の要素と内的に関連し合うことによってであった。その第二の要素とは、〈ウェストファリア体制〉に基礎をおく〈主権国家〉−−それは、内部に国民を形成し、やがて〈主権的国民国家〉に転成した−−とそれに保護された「産業社会」の相互促進的発展である。
 Bそのような「近代」は、欧米起源であり、欧米中心主義的でありながら、普遍主義的であるとされ、規範的意味が賦与された。これが、第三の要素としての欧米中心主義=普遍主義である。しかし、実際には、その普遍性は、国民としての平等・同一性という観念に寄生して成立したにすぎなかった。それが普遍性を標榜して国境を越えることができたのは、別の国民の平等・同一性という観念に寄生しうる限りにおいてであった。
 Cこのような「近代」は、構造的には、「家族(=家父長制家族)」・「市民社会(=産業社会)」・「国家(=主権的国民国家)」・「〈ウェストファリア体制〉的国際関係」という四層構造をもつ−−因みに、ヘーゲルは、『法哲学』において、近代社会の成立と構造を「家族」・「市民社会」・「国家」という三層構造と理解したが、その場合ヘーゲルは〈ウェストファリア体制〉を前提にした国際関係をも同時に踏まえており、事実上、上記のような「近代」理解を完成させていた−−。
現在の世界が巨大な転換期にあるとは、このような構造をもつ「近代」が崩壊しつつあること、そしてそれに代位する新たな世界編成が進行しつつあること、を意味している。

 1−2 現在、このような「近代」の転換を迫る多くの要素が噴出しつつある。ここでは、前節であげた@ABにそれぞれ対応する三つの要素、つまり@'地球環境の限界の露呈、A'世界のボーダーレス化とグローバルな次元で発言力を増してきた市民的主体の登場、B'欧米の支配の客体であったアジアの、世界の主体への変化をあげておこう*1。
 この転換期の中で、世界を具体的にどう転換させ、どのような未来世界を構想するのかという点に、今世紀のアジア法哲学の最大の課題・テーマがある。しかし、これらの問題のどれかに個別的に対応するのでは不十分だ。ましてや他の問題を不問に付したまま、ひとつの問題にだけ取り組んではならない。これら問題点は、あくまでも内的に深く関連しあっているからである。

 2 「アジア的価値」と人権

 2−1 「西欧的普遍主義」に対する「アジア的価値」の対抗という論点が、ここ数年、世界をにぎわした。この論点においては、産業社会形成論と人権論が表裏一体をなしていた。ところで、私は、今やこのような論点が成立する地平それ自体を越えなければならない、と考えている。以下で、このことの意味を確認しておきたい。

 2−2 「アジア的価値」は、既に私が示したように*2、東アジア経済の飛躍的発展−−西欧的な発展とは異なった道筋を辿った発展−−を可能にした「アジア的国家」とその政策体系を正当化しようとして捏造されたものである。そのポイントは、非ヨーロッパ的経済開発の手法の正当化根拠として、〈アジアの伝統文化に根差す価値〉と理解された〈国家主義〉と〈集団主義〉とが動員される点にある。それは、所詮は経済開発の効率性に焦点を当てたものであり、産業社会イデオロギーのアジア・ヴァージョンにすぎない。そこでは、真の伝統的価値は、骨抜きにされている。

 2−3 西欧近代に成立した産業社会は、プロテスタント的な「天職=職業」観念をもつ個人を担い手とする〈手段的能動主義〉を主体的条件として成立した。この〈手段的能動主義〉は、〈能動主義〉と〈手段的合理主義〉に区分しうる。
 @〈能動主義〉とは、主体/客体の二元論を前提とし、自然を、自体的価値をもたず、人間の立てた目的のために利用可能な無限の客体・素材と見、人間をそれに主体的に関わる能動的存在と捉える立場である。
 A人間が能動的主体として客体・自然に関わる場合、目的に対する手段の合理性(=目的合理性)がその行為の核心をなすものと捉えられる。これが〈手段的合理主義〉である。
 B西欧では、この〈手段的合理主義〉は「自立した個人」によって担われた。
 この〈個人主義的な手段的能動主義〉のうちにこそ、単なる素材にすぎない自然の合理的改造とそのことによる神の栄光の顕彰をめざす「プロテスタンティズムの労働倫理」から「資本主義の精神」への転成という発展論理(M.Weber)が内包されていた*1。

 2−4 この〈手段的能動主義〉は、「自己の人格を自ら所有する主体(自己所有的主体)」としての「個人」−−現実には、家父長−−が「労働」を介して「自然支配」と「その所有」を実現するとしたジョン・ロックの哲学を介して、「生産力主義的人間中心主義」へと具体化され、イギリス古典経済学の成立につながった。この「自己所有的主体」としての「個人」の−「労働」を通しての−「自然支配」という論理的連鎖の中で結節点の位置を占める「労働」は、一面で、「天職」という観念を通して「神」につながっていた。他面、この連鎖を社会的な場で表現するのが「所有」であり、そこに「所有的個人主義」が成立する。つまり、この「(私的)所有」のうちに、家父長をモデルとした「近代」的自我の同一性が、従って西欧的な権利・人権が成立する場がある。
 因みに、このロック的な「自己所有的主体」としての「個人」は、家父長としての男性をモデルとしたものであり、女性はしばしばこの権利・人権が成立する場から排除された*2。

 2−5 しかし、〈手段的能動主義〉は、〈個人主義〉だけでなく、〈集団主義〉にも担われうる。現に、日本を含めた東アジアにおける資本主義の発展は、〈集団主義的な手段的能動主義〉に担われた。このことは、東アジアの文化的伝統たる集団主義−−日本的「イエ社会」や韓国に強く残存している儒教的血縁共同体など−−から本来的な価値を抜きさり、産業社会に適合的な手段的組織に改造することによって可能となった。いわゆる儒教資本主義論は、このことを錯綜した言い方で表現しているにすぎない。「アジア的価値」論は、この意味で、アジア的な〈手段的能動主義〉のイデオロギー形態に他ならない。

 2−6 「アジア的価値」論は、この点に着目し、「生産力主義的『人間』中心主義」の担い手を「個人」から「集団」に置き換えて、「生産力主義的『人間集団』中心主義」とした。ここでは、個人は、集団に−−少なくとも部分的に−−所有されるものと見られる。「自己所有的主体」としての「個人」の「所有」のうちに、「権利基底的」な西欧的権利・人権の成立の場があったがとすれば、ここには、個人の集団/国家に対する「義務基底的」な関係の、また集団/国家の個人に対するパターナリズムの、源泉がある。「アジア的価値」論に基礎を置く人権・権利理解は、ここから流出してくる。
 しかし、以上のいずれの人権・権利観念も、産業社会に固有の自然支配と排他的所有のイデオロギーを背負ってることに変わりはない。「アジア的価値」論とその人権・権利観は、近代的産業社会を共通の前提とした地平の上で、西欧的人権・権利観念と争っているにすぎないのである。

2−7 百歩を譲って、「アジア的価値」論が、内発的発展の観点から高く評価しうるものだとしよう。また、「アジア的価値」論に立脚した国家・社会が、開発に成功し、西欧中心主義を相対化しえたという仮定をも取り込んでみよう。その時、「アジア的価値」は普遍的なるものになるのか。そうではあるまい。その場合でも、その立場は、やはり二つの問題に直面するであろう。即ち、@アジア的価値論に立脚した産業発展がもたらした産業社会の病理との対決、A〈「個」から全体的秩序を構想する西欧近代的秩序構想〉と、〈全体と対立する存在権を「個」に承認しないアジア的秩序構想〉を、近代主義を越えた世界史的視野の中で位置づけ直し、新たな秩序構想を呈示すること*1。しかし、実は、われわれは、現在既にこの問題に直面している。@Aの問題への対処は、既に緊急のものとなっているのだ。「アジア的価値」論は、この点への鈍感さにおいて致命的である。

 3〈近代の超克〉

 3−1 こうして、われわれは、いずれは、2−7で述べた@Aの問題に、ひいては〈近代の超克〉問題に投げ返されることになる。ところで、現代の東アジアにおいて〈近代の超克〉を語ろうとする場合、戦前の日本で語られた〈近代の超克〉論−−以下、これを戦前版〈近代の超克〉論と呼ぶ−−を無視するわけには行かない*2。とりわけ日本人として、私は、それを批判的に総括しておく義務を感じている。それについては、ここでは、しかし、原則的観点を確認するにとどめておかねばならない。
 戦前版〈近代の超克〉論は、「開国」以来の日本の「近代化」を総括し、対米戦争の意味を明らかにするという点で、第二次大戦中に大きな話題を提供した。だが、それは、少なくとも次の三点において、致命的問題を抱えていた。
 @〈近代の超克〉は〈欧米の超克〉に矮小化された。しかもその「超克」には、世界文明への展望がなかった。アジア文明の可能性をヨーロッパ文明に対置し、その緊張関係の中で真に世界的な文明形成を促していくという展望がなかったのである。その結果、欧米の軍事的支配に新興の軍事的力を対置させる戦争の正当化論に陥った。つまり、問題設定が、〈ウェストファリア体制〉内で展開した世界帝国主義システム上での権力構造の転換という次元にとどまり、「近代」批判はおろか、真の「欧米」批判すらなされなかった。
 A植民地(韓国・台湾)問題・中国問題を正当に扱うことができず、従って朝鮮植民地の抵抗闘争の意味を理解し得ず、日中戦争を明確に否定しえなかった。それは、@の結果でもあったが、すぐ後で問題にする日本近代に内在する「二重性問題」の帰結でもあった。
 B「アジア的価値」の日本版・かつ初版としての天皇制イデオロギーが伝統的価値として捏造されたことを無批判に受け取り、〈近代の超克〉の精神的支柱としたが、東アジア次元では、当然のことながら、全くの排他的独善としての意味しかもたなかった。

 3−2 日本近代固有の「二重性問題」とは何か*1。日中戦争と日米戦争を二つの中心とするいわゆる「大東亜戦争」は、一面では、19世紀中葉以降の欧米のアジア支配に対するアジアの逆襲を意味した。だが、他面では、アジアのアジアに対する侵略戦争であった。従って、欧米のアジア支配に対するアジアの逆襲という意味は、日本の軍事行動そのものによって否定されてしまった。ここに見られる「大東亜戦争」の二重構造は、明治国家の二重構造に由来する。
 欧米からの完全な独立の実現は、明治時代を貫く日本の基本的な国策であり、悲願でもあった。開国の際の不平等条約を最終的に廃棄しえたのは、1911年であった。しかし他方で、日本は早くも1876年には、朝鮮に不平等条約を押しつけ、その後中国にも不平等条約を強要した。このような二重性が、「大東亜戦争」の二重構造を帰結させた。
 この「明治国家」の「二重構造」は日本近代の宿痾であったが、一歩踏み込んで本質的次元で考えれば、「国民国家一般に本来的な二重性」の日本的表現であった。自由・平等・博愛のスローガンを掲げつつ近代的な国民国家を完成させたフランスが、いやヨーロッパのほとんどの国民国家が、アジア・アフリカ諸国への帝国主義的侵略を当然のように行った事実にこのことが象徴されている。
 このような主権国家それ自体に内属する二重性が、@アジアに位置するA後発帝国主義という二条件によって増幅されて、日本の歴史に劇的な形で表現された。現在においてこの二重性を端的に体現しているのは、イスラエルであろう*2。ともあれ、独立国家となった途端に、いかなる国も−−無論、中国も、韓国も−−この二重性から自由ではありえなくなる。私は、日本の戦争責任を回避しているのではない。戦争責任の根源に迫りたいのである。
 開国期の日本では、西欧中心主義的な主権国家の権力システムと批判的に対峙しようとする見解がなくもなかった。そのような見解は、中国・朝鮮との連帯行動を前提としていた。その見解が有意味なものとなるためには、主権国家の権力システムの地平が相対化されている必要があった。だが、その地平が見出されるどころか、欧米国家をモデルとする無批判な主権的国民国家形成が至上命題となった。欧米列強への仲間入りとその中での相対的地位の上昇がもっぱらの国家目標・国民的悲願とされた。ここに「脱亜入欧」論が生じる。そこに、それ以来の日本の思想界の混乱の根源があった。

 3−3 要するに、戦前版〈近代の超克〉論が混乱したのは、〈近代の超克〉を唱えながら、〈ウェストファリア体制〉を原理的に否定せず、その中での「欧米の支配」を「アジアの盟主」=日本の支配に代位させようとの課題を立てたことにあった。従って、戦前版〈近代の超克〉論は、主権国家たる大日本帝国こそが〈近代の超克〉の主体だと主張することになった。近代的科学技術も、大日本帝国の軍事戦略に寄与しうる限りで、原理的批判を免れた。そのような〈近代の超克〉論が東アジア次元での連帯という問題を提起できず、植民地(韓国・台湾)問題・中国問題をさえ正当に扱うことができなかったのは、当然であった。われわれは、この点を見据えて、混乱・錯綜した〈東アジアの近代〉を、統合的に把握しうる現代的視座を設定し直さなければならない。ここに、思想的に取り組むべき最大の戦後処理問題がある。

4 国家の脱国民化・政治の脱国家化

 4−1 現代における国家性・政治的共同性は、国民的文化から漸次的に解放されつつある。主権的国民国家は、@政治的・軍事的機構という形態をとって、A「民族文化的同一性」を基礎の上に成立している。国民国家がもつ〈冷たい機構の集積〉と〈熱い情緒の収斂点〉という二重のイメージは、この二要素に由来する。このことは、日本や韓国のように国民的同質性が濃厚に存在しているところでは、容易に看取しうる。しかし、中国ではこの二つの要素に大きなズレがあるし、大量の移民が流入している国々では、この二つの要因が乖離しはじめている。
 ともあれ、この二つの要素を政治的共同体の本質的要素と見ることは、国民国家形成という政治史上の一時代の趨勢を普遍化する誤りを犯すものであって、現代では妥当しない。この二要素の間に、論理的に必然的な関連はなく、それを見誤ることからさまざまな難問が発生してきたことについては、「多文化主義」がつぶさに明らかにしたところである。

 4−2 確かに、主権的国民国家は、歴史的一時期に、文化的な国民的(=民族的)同質性の形成のための枠組として機能した。文化的な国民的(=民族的)同質性は、歴史的伝統を通して過去から贈られたものではない。それは、主権的国家という枠組みの中で、人々が幾多の歴史的・政治的経験を共有し、それを文化的経験にまで深化させていく中で構築してきたものだ。つまり、「国民国家」を作る行為が「国民」を形成し、「国民」を形成する行為が「国民国家」を作ったのである。国民的共同体とは「想像の共同体」(B.Anderson)だというテーゼが成立するのも、人々の日々の政治的・文化的経験の共有が、そしてその中で育まれていく文化的な国民的(=民族的)同質性の意識が、共通の情念を醸成して行くからである。
 こうした文化的な国民的(=民族的)同質性の意識と共通の情念は、自由と平等の拡大を可能にし、民主主義を準備した。そのような歴史的・政治的経験のうち、最も効果的なものは戦争であった。このような事情はかなり一般的なものであり、近代民主主義も、このような国民国家形成の過程おいてはじめて可能となった。私は、先に、近代西欧国家が標榜した普遍性は、国民としての平等・同一性という観念に寄生していた、と述べた。同様のことが民主主義にもいえる。例えば、日露戦争への国民的参加は普通選挙権の成立を後押しした。戦後日本の民主主義の基礎を形成したのは、総力戦時代における国民皆兵・国民総動員体制であった*1。
 現代では、人々の日々の政治的・文化的経験の共有が、この主権的国民国家の枠組みを徐々に踏み越えつつある。@政治的・軍事的機構とA「民族文化的同一性」とは、その関連を解除されつつあり、国民的文化の脱国家化、国家の脱国民文化化が進行しつつある。政治的共同体形成における近代は、明確に終焉しつつあるのである。このことは、国民国家がもっていた「二重性」が廃棄されつつあることをも意味している。われわれにとって重要なことは、このような状況のなかで、東アジアにおける市民的共感と連帯の拡大の可能性を探ることにある。それは、アジア的「近代」の不幸な歴史を超える可能性を模索することでもある。

 4−3 現代の国際関係のひとつの焦点に、「グローバル問題」がある。この「グローバル問題」に対する国際的な市民の対応に、主権的国民国家の枠組みが、人々の日々の政治的・文化的経験の共有によって越えられつつあることが、明確に示されている。
 「グローバル問題」とは、一国単位では解決できない問題、その影響が一国の範囲を超える問題、人類的・地球的次元のものと意識されるに至った問題のことである。「過剰殺傷能力」をもつ核兵器の開発と実験も、地球と人類の危機を招きかねないがゆえに、核にまつわる安全保障問題を「グローバル問題」にした。地球環境問題はいうに及ばない。「国家間の経済的平等」・「人権保障」等々の問題もそれに属する。ここで、この領域において最も活発な動きを示している地球環境問題について一瞥してみよう。
 地球環境問題のような「グローバル問題」への関心は、必ずしも「国家」からは出てこない。産業社会からも出てこない。それは、むしろ国家外から、「国民である前に地球市民としての意識をもつ個々人の自発的連帯」から生じてくる。グリーンピースや「国境なき医師団」などのグローバルな市民運動がそうであった。これらの問題は、〈国民としての個人〉によりは、地球上に存在する人類の生存−−現在生きている人類とこれから生まれ未来に生きるであろう人類の全体−−に直接に関わるものだからである。従ってそのような問題は、自国の利害に反しても世界的視野に立とうとする個人を産み出していく。そして、人間の「国民」としてのあり方と「世界市民」としてのあり方の間に亀裂を作り出していく。
 この中で、有限な地球環境の中での運命共同体としての人類という意識が育まれる。未来世代への人間の責任、生態系の全体に対する人間の責任という、これまでの倫理が考えてこなかった問題に取り組むことを不可避と見る意識である。この意識にとっては、現在という時間地平にのみ関心を向ける従来の個人主義倫理は、致命的な限界をもっている−−未来という時間地平を、そして未来の人類への視点を欠如させているこのような倫理的思考は、自然の有限性の意識を原理的に欠如させていることに由来する−−。ここに、「生産力主義的人間中心主義」を克服するエネルギー源が存在し、従って現代の倫理学や法哲学に関わる巨大な可能性を潜ませているが、ここでは論及し得ない。他日を期したい。
 しかし、このような動向はいかなることを意味しているのか。このことを、カール・ポラニーの議論*1を図式化しつつ、理解しておきたい。

 4−4 ポラニーによれば、19世紀社会の歴史は、@国民国家内部における〈市場の拡大運動〉とAそれがもたらす「人間と自然」の破壊活動への〈対抗運動〉という「二重の運動」を主たる動因としていた。この「二重の運動」を根底で規定したのは、「人間と自然」(=労働力と土地)の市場適合性の限界である。このような19世紀の国民国家内において進行した歴史が、今や形を変えながら、グローバルな次元で進行している。ポラニーの議論は歴史を超えた妥当性をもっている、このことが示されたわけである。
 ポラニーはこの「人間と自然」の市場非適合性について、こう説明している。「生産」とは「人間と自然の相互作用」のことだが、この「生産」が当時勃興してきた市場メカニズムに包摂されるなら、「人間と自然」の関係のあり方は「市場」の論理に翻弄され、結局は「破滅」に至る。「経済的自由主義」の側に立つ「商業階級」は、しかし、「人間と自然」が市場を越えた存在であることを理解せず、「労働者の肉体的搾取、家族生活の破壊、近隣社会の荒廃、森林の乱伐、河川の汚染、習俗の瓦解、住居及び技芸や…公私無数の生活形態を含む生存条件の一般的劣悪化…の危険」への感受性を持たなかった。だが、その危険が存在する限り、「市場の作用」の「抑制」をめざす「対抗運動」が生じてくることは、必然であった。
 「経済的自由主義」とそれからの「社会防衛」という19世紀の社会史を織りなした「二大組織原理の衝突」が、この「二重の運動」から帰結した。「社会防衛」の原理は、前近代的な共同体を防衛する運動や、労働者の階級闘争として現象した。しかし、この危機は、単にあれこれの階層・階級の特殊利害に限定されたものではない。この「二大組織原理の衝突」の中で、@国家的干渉政策が、社会を包摂していく市場経済の展開のために重要な役割を果たした。Aしかし、他面で、市場の影響下におかれた広範な「社会的諸利害」とそれを基礎とする対抗運動も、結局は、福祉国家に包み込まれていった。国家は、二重の役割を果たしたわけである。かくして1870年代から80年代には、「正統な自由主義は終焉を迎え」、時代は「社会的・国家的保護主義」へと再転換していった。
 「経済的自由主義」とそれからの「社会防衛」という「二大組織原理の衝突」は、現代世界においても展開されつつある。そこに、「グローバル問題」の大きな源泉がある。このように考えてみれば、かつては福祉国家に包み込まれていった広範な「社会的諸利害」を、現代において包み込むのは誰かが問題となってくる。かつての国家は、二つの機能−−市場=産業社会の促進機能とそこから脱落する人々への救済機能−−を担い、それが国民的次元で正統性を承認される要因となった。しかし、グローバル化の進展の中で、現代国家は、社会的救済機能を縮減させつつ、市場国家に特化する方向を歩もうとしている。しかし、この救済機能はどこかで担われねばならない。結論的にいえば、それを担うのは、多様なレベルで展開される社会的ガバナンス機構において、その中心となるべき新しい「市民社会」であろう。

 4−5 しかし、グローバル化しつつあるのは、無論、市民的イニシアティヴだけではない。情報技術と交通システムの革新に伴って、資本と労働の国際移動の加速度が上り、経済の国民的枠組がゆるみ、グローバル化経済も現実のものとなった。それが目指す方向は従来の膨張した国家的領域の縮小と脱福祉国家化、国家の管理下に置かれていた市場領域の解放・拡大である。
こうして、〈市場のグローバル化とそれに定位した市場型国家vsそれに対抗する新しい市民的社会形成の動向〉という対立とヘゲモニー闘争が、現在のグローバル化の主たる特徴となっている。この対抗関係は、現在、あるネジレを示している。基本的には、市場のグローバル化とそれに定位した市場型国家がヘゲモニーを貫徹してはいるが、少なくとも地球環境問題においてだけは、ヘゲモニーは、市場・市場型国家に対抗する新しい市民的社会形成の側に優位に推移しつつある。いずれにせよ、現代世界のグローバル化は、きびしいヘゲモニー闘争のせめぎ合いを内包しつつ、全体としては「多次元的ネットワーク・ガバナンス」の成立と展開という様相を示している。
 このような傾向は、EUを中心とするヨーロッパにおいて最も尖鋭に示されている。しかし、類似の事態が、東アジアにおいても、潜在的にであれ着々と進行しつつあることを、われわれは決して看過するべきではない。但し、私はAUの形成を説こうとしているわけではない。市場のグローバル化と新しい市民的社会形成という対立関係の中で後者のヘゲモニーを強化すること、このことこそが、東アジアにおける市民的共感と連帯の拡大の可能性を可能性を探り、アジア的「近代」の不幸な歴史を超える方向性を模索する上で、更には「近代」の総体としての克服を目指す上で、さしあたりの緊急の課題となる、このことをいいたいのである。

 5 多次元的ネットワーク・ガバナンス*1

 5−1 冷戦後の秩序を表現するために、1990年代に入って使われはじめた言葉に「ガバナンス(governance)」あるいは「グローバル・ガバナンス(global governance)」がある。
 現在の世界には、一定の秩序が存在するが、国々をコントロールできる世界レヴェルでの政府governmentが存在しているわけではない。国連は勿論世界政府ではなく、現在の世界秩序は、ガバメント・システムではない。そこにあるのは、統一的なガバメントをもたないが、秩序形成に参与するアクターが制限されていない・ヒエラルヒッシュでない・開かれた秩序、ガバメントなきガバナンスによって形成されつつある秩序である。そして、個々の国家のガバメントは、またそれらの政府の協議体は、せいぜいのところ、そのような開かれた秩序の中では、NGOなどとともに、アクターのひとつにすぎない。
ガバメントは、実体的な権力装置をもつ。かくして、広範な反対・強力な抵抗に直面しても、権力装置を背景に自らの意思を貫徹させることができる。これに対して、ガバナンスとは、アクターたちによって受け入れられるルールによって、自生的に秩序形成を遂げていくシステムである。従って、ガバナンス・システムにおいて問題解決行動が求められる場合、解答がひとつに落ち着くとは限らず、落ち着くとしても、時間がかかる。従って、そのようなガバナンス・システムが現実的なものとして機能するためには、コオーディネイターの存在が必要となる。

 5−2 国際関係は、これまで主として国家間関係=政府間関係と理解されてきたが、現代では、そこに「グローバルなガバナンス」と呼びうるものが成立し、@公式の国際的な諸制度やAトランスナショナルな非政府組織、またB社会運動を含む非公式の諸制度などのネットワークによってそれが支えられていると理解できる。NGOや、明確な組織形態をもたない種々の市民運動、多国籍企業、あるいはグローバルな資本市場など多くの、いわば不特定多数のアクターを含むものとしてとらえられているわけである。このグローバル・ガバナンスは、単一の固定した構造を持っているわけではなく、状況の変化やアクター間のヘゲモニーの変動によって、常に変転しつつある。
 このような事情を踏まえた上で、眼を現代国家の内部に移した場合、その秩序は、次第次第にガバメントをもったガバナンス・システムに移行しつつあるといえる。とりわけ、日本では、地方分権思想の滲透の中で、地方政府は、その傾向に沿った動向を顕著に示している。そのような動向を規定している最大の要因は、勿論、市民的ヘゲモニーの増大である。いずれにせよ、現実のあれこれの国家秩序は、具体的には、@ガバメントが圧倒的な指導力を持っている完全にヒエラルヒー的なシステムと、Aガバメントが完全なコオーディネイター機能に徹しているシステムとを両極とするスペクトラムの中に位置づけられることになろう。
 現代国家は、内外の敵に対峙し、潜在的・顕在的戦争に備えることを第一義的任務とする顕在的・潜在的「緊急権国家」としての性格を、漸次喪失しつつある。とりわけ市民社会が成熟して多元的な構造をもつに至り、〈市民的政治文化〉が成立している場合には、その秩序は、ガバメントが指導力を持つヒエラルヒー秩序を漸次消滅させ、ガバメントがコオーディネイター機能に徹するシステムへと接近していく傾向をもっている。
その場合に重要なのは、情報の濃密化によって、もろもろのアクターの行動様式についての透明性を高めていくこと、そしてその情報に対する世論の反応についての情報を権力への圧力として作用させること、である。韓国の議員落選運動においては、このような圧力は適切に動員されたが、国際的にも、その種の圧力は、大国に対してすら効果的である。また、このような状況を作っていくことは、不公正な利害を代弁しかねないような非政府組織の行動を監視する意味をももちうる。強制秩序がもつ意味を低下させ、ガバメントをコオーディネイター機能へと限定し、社会的諸権力のアンフェアな行動を抑制していくための決定的な契機がここにあることは、多くの市民運動の中で経験されている通りである。

 5−3 現代国家は、内外の敵に対峙し、潜在的・顕在的な内戦・外戦に備えることを第一義的任務とする「緊急権国家」としての性格を失い、日常的な管理機能の遂行を主たる任務とする側面を、次第に濃厚にしつつある。郭道暉が、「現代になって…国家の2つの機能のうち、階級鎮圧機能が2次的なものになり、社会管理機能が大幅に強くなった」*1というのも、このような事情を中国に即して見通しているからである。ここで、私は、近年の中国のいくつかの郭道暉論文が、独自の発想からこのような「多次元的ネットワーク・ガバナンス」という発想と通底する観点に接近していることに、深い感銘を受けていることを付言しておきたい。中国において、このような方向性に立脚する実践的提言がでてきたことは、まさしく、東アジアの歴史的状況が決定的に変化しつつあることを象徴しているということができるであろう。

 5−4 ガバメントなきガバナンスとしての国際秩序と、ガバメントをコオーディネイター化させながらガバナンスとしての性格を次第に濃厚にしつつある国内秩序とは、相互に影響を及ぼしながら発展し、次第に融合の方向に向かっている。EUは、中世ヨーロッパの歴史的経験や、二度の大戦の経験から、突出した状況にあるが、緩やかな傾向としては、それは、世界中で観察しうる傾向でもある。
 21世紀を発展途上国の国民国家としての発展の世紀として展望しようとする見解がある*2。しかし、このような見解は、以上の事態に示唆されている可能性を看過しており、反時代的なものになる危険を持っている。多次元的ネットワーク・ガバナンスの中での国際間正義の追求ということに、もっと多くの関心が払われていいのではないであろうか。このような可能性は、主権国家の終焉/〈ウェストファリア体制〉の終焉という論点に関わらせるときには、非常に重要な意味をもっているであろう。


 6 まとめに代えて
 このように考えてみるとき、EU研究を深めることは、決定的ともいうべき重要性をもっている。しかし、このEUの発展をモデルとして、以上の観点から、事態を更に詳細に分析することは、本報告においては不可能である。しかし、まとめに代えて、次のことだけはいっておきたい。
 @EUにおいても、〈市場のグローバル化とそれに定位した市場型国家vsそれに対抗する新しい市民的社会形成の動向〉という対立が、形を変えて存在し、その動向の主軸となっている。そして、経済・社会政策においては、市場型国家的ヘゲモニーが貫徹しているが、地球環境問題におけるヘゲモニーは、新しい市民的社会形成の側に推移しつつある。このような状況を伴いながら、その全体は、ますます「多次元的ネットワーク・ガバナンス」の成立と展開という様相を示している。その意味で、EUにおいては、現代世界のグローバル化が切り開いていく方向性を示すひとつのモデルとしての意味をもっている。
A近代国家の成立以降のヨーロッパにおいても、さまざまな差別や禁圧にもかかわらず、その内部に民族、言語、文化の多様性は存在し続けていた。そして、1960-70年代は、そのような文化的・言語的少数派の側から、国民国家に対する多くの異議申し立てや権利要求が提起され、「エスニック・リバイバル」とさえ呼ばれた。ウェールズ、北アイルランド、ブルターニュ、オクシタニー、コルシカ、バスク、カタルーニャなど、国家に対抗する運動の中で地域アイデンティティが高揚を示したところが少なくなかったのである。このような文化的・言語的少数派問題は、国民国家の枠組みを揺さぶり、ヨーロッパ変動の重要な要素となった。そのような動向が、ヨーロッパ統合への積極的な志向へと発展していき、「多次元的ネットワーク・ガバナンス」としての性格を濃厚にしてきたEUの中では、単一国家の中でのマイノリティとして悲哀を味わってきたそれらの少数民族・少数語族が、より安定的な存在を保証されている。このことは、国民国家の命運を見事に象徴しているといえよう。
 B平等な国民参政と代議制民主主義は、多数者の支配を原理とするものであり、等質な国民から構成される国民国家と表裏一体の形で発展してきた。しかし、国民の平等な参政と代議制民主主義は、多民族的・多文化的統合には、必ずしも適さない。この意味では、「国家」というものに制約された民主主義の限界を見定め、それに解釈転換をほどこしていく必要がある。多民族的・多文化的統合には、多数者の圧制と少数者の抵抗というJ.S.ミルの『自由論』におけるモティーフが大いに重視されるべきであろう。その意味において、我々が問われているのは、国家を超えた大きな政治単位における、少数者の自由を保障するような新たな民主主義の可能性問題である。
 その時、多様な集団がせめぎ合う中で、文化的・歴史的・社会的等々の独自性に基づいて成立している諸集団を、秩序形成を担う積極的な要素として意味づけ、その秩序形成の内に、集権的な構造をもつ国民国家内の秩序とは異なった、分権的多元性の中でこそ可能となる自由なガバナンス的秩序形成の可能性を垣間見ることには、大きな意味がある。われわれは、この多元的ラディカル・デモクラシーの可能性と現代の東アジアが抱えてるさまざまな難問とを、接合させていく必要があるだろう。