〈東アジア的自己意識〉の形成と〈市民的政治文化〉
                 −−21世紀の法哲学の課題設定のために−−
  Hiromichi IMAI

 §1 東アジアは、一時的な危機を克服して、今、再び大きな進歩を遂げつつある。その発展の中で、東アジア内部での相互交流の拡大も顕著である。政府や経済の次元における交流だけではない。文化の次元でも、さまざまな市民的活動の次元でも、交流は盛んである。一般市民の相互訪問も頻繁になりつつある。
 そのような活発化した交流の中で、東アジアの中にある大きな類似性・共通性を、人々はあらためて意識しつつある。〈東アジア的自己意識の成立〉が見られるわけである。しかしこの〈東アジア的自己意識〉の漸次的成立にもかかわらず、近代史をめぐる歴史認識にある大きなズレの克服は未だ成功せず、真の親善友好関係にとっての障害となっている。
 〈東アジア的自己意識〉の成立は、現在、きわめて積極的な意味をもっている、と私は考えている。しかし、それは過去志向的に追求されてはならない。未来志向的に追求されるべきものだ。未来志向的である限りで、〈東アジア的自己意識〉は非常に大きな歴史的意味をもっている。
 アメリカの政治的・軍事的・経済的・文化的独善にへの対抗力としてのEU(ヨーロッパ共同体)の存在意義は小さくないが、EUを可能にした歴史的基盤には、〈ヨーロッパ的自己意識〉があった。現代から将来への世界を考えるとき、日本・中国・韓国を中心とするAUがどういう形で展望されるかはともかく、〈東アジア的自己意識〉がもつ意味は、〈ヨーロッパ的自己意識〉以上に大きいものがあろう。東アジアは、しかし、この〈東アジア的自己意識〉を成熟させる中で、〈歴史認識のズレ〉に悩んでいる。

 §2 〈歴史認識〉問題の最大の責任者が日本にいることはいうまでもない。過去のアジア政策の一定の正当化を日本のナショナリズムの存立にとって不可欠な前提と考える国家主義的政治勢力とそれを心情的に支持する日本国民である。しかも、その勢力が中国や韓国の国家主義的立場を無用に刺戟していることも事実である。
 自民党が国家主義を代弁する政治家のほとんどを含んでいることから、歴代自民党政府は、このような事態を否定しえないできた。このような国家主義的な主張は、しかし、勿論国民全体の意志ではない。このことは、国家主義的立場に立つ教科書の採択率がきわめて低率であることなどに示された。しかし、問題が最終的に決着したわけでは決してない。
 しかし、この問題は、あれこれの政治的立場の責任として済ませうるような単純な話でもない。その背後に構造的な問題が存在する。

 §3 21世紀の東アジアの課題は、私見によれば、欧米中心主義的「近代」を克服した新しい世界文明を形成する一つの中心軸となることにある。〈東アジア的自己意識〉の成立を踏まえた秩序は、さしあたり、アメリカ主導型の世界的支配から東アジア、ひいてはアジアの諸国を守る機能を果たすべきであろう。だが、そのことは、西欧「近代」を一面的に排除することを意味しない。ましてや「欧米」と対立すべきことを意味しない。
 むしろ、東アジアは、@内部の歴史認識のズレを克服して共通の歴史認識を構築し、A東アジア的アイデンティティを確立するとともに、B欧米中心主義的「近代」の全体を吟味してそこに存在する問題点を自覚し、C他面で過去の東アジア文明がもった権威主義的傾向を批判的克服の対象とし、Dまた東アジア以外の文化圏の自己意識の成立を促すとともに、Eそれらとの「文明の融合」の追求の中で、F新しい世界文明の成立を促す一歩を踏み出すのでなければならない。
 そのためには、東アジアは、「華夷秩序」でもなくまた「主権国家システム」でもない新たな秩序の形成を必要とする。〈東アジア的自己意識〉の形成は、このような課題との関係において考えられるべきだ、私はこう考えている。

 §4 私は、東アジア的アイデンティティを確立するとともに、過去の権威主義的傾向を批判の対象とする必要があると述べた。そのためには、東アジアの儒教的伝統を背後にもつ権威主義的政府に対抗しうる力強い市民主義的な運動を、国境を越えた連帯をもつものとして確立していかなければならないであろう。個人の権利は、権利の観念からではなく、市民的対抗権力が権力との緊張関係を維持しうるところでのみ有効なものとして成立する。また市民的対抗権力は、国境を越えた連帯に支えられることによって、真に強力なものとなりうるからである。

 §5 21世紀東アジアの法哲学は、以上のような問題連関を中心にして展開されていく必要がある。とりわけ、〈歴史認識〉問題に最大の責任をもつ日本に国籍をもつ法哲学者として、私は、このような問題連関の歴史的意味を明確にし、それとの関係において歴史認識のズレを克服する方向性を提起する必要がある、と考えている。
 この短い報告においては、以上の問題連関の全体に立ち入ることはできない。そこで、まず〈東アジア的自己意識〉の確立がもつ歴史的パースペクティヴについて、ごく簡単に触れておきたい。その上で、それとの関係において、歴史認識のズレの克服の問題に論及していくことにしたい。

 §6 西欧中心主義的な「近代」は、ここ一世紀来隘路に陥っており、その克服が課題となってきた。二度にわたる世界大戦をその帰結と見ることができるが、隘路は依然として突破されていない。ますます問題は複雑化している。このようにいう時、その「近代」を、私は、@〈ウェストファリア体制〉に基礎をおく〈主権国家〉、A「生産力中心主義」、B「欧米中心主義」といった諸要素から成るもの、と考えている。

 §7 欧米中心主義的「近代」を特徴づける第一の要素は、@〈主権国家〉−−それは内部に国民を形成し、やがて〈主権的国民国家〉に転成した−−とその〈主権的国民国家〉によって編成されているシステムとしての国際関係である。この問題は、立ち入って論ずれば、法哲学の大きな部分を成してきた近代の国家学の全体に触れなければならなくなる大問題である。しかし、もちろんのことだが、ここでこの問題の片鱗にすら言及することはできない。
 因みに、古い東アジアの「華夷秩序」は欧米の圧力のもとで解体されて、現在では、東アジア自体が〈主権的国民国家〉によって編成された秩序となっている。

 §8 第二の要素はA「生産力中心主義」である。「生産力中心主義」は、生産力の増大が必ず人間に幸福を、社会に進歩をもたらすと考える。歴史のある段階においては、そのことは、一定程度妥当する。しかし、「生産力」は、人間に敵対的な力へと変成する可能性をもっている。特にそれが「独善的人間中心主義」と結合した時、その危険が大きい。
 私が今「独善的人間中心主義」と呼んだのは、人間を「目的そのもの」と見て、それ以外の「自然」を、人間が支配するべき手段・資源と見なす立場である。この立場は人間の肉体を「手段」と見なす場合さえある。この「生産力中心主義」と「独善的人間中心主義」との結合体が、今、さまざまな自然環境破壊を、ひいては人類の生存の危機を招いている。
 この問題は、近代のいわゆる「デカルト的主体主義」の成立と展開という問題に直接に関わる哲学の中心問題である。しかし、ここでは、それについても論及はできない。当面するわれわれの文脈にとっては、「科学技術」がもつ意味と限界がこの「生産力中心主義」と「独善的人間中心主義」との結合体との関係において明確にされねばならない。また「科学技術」に支えられる「産業社会」の「生産力」は、それを相対化しうる主体によって制御されねばならないとだけいっておこう。市民運動がこの「制御」の主体として成長しつつあることは、この意味で注目すべき大きなポイントであろう。

 §9 この「生産力主義」との関係においてもう一つ確認しておくべきことは、この「生産力中心主義」が、「主権国家」とそれに保護された「産業社会」の発展の中で「近代」の骨格を形成したことである。「主権国家」と「産業社会」の発展は、「生産力中心主義」と密接不可分の関係に立っていたわけである。その関係には、現在でも不可分のものがある。その意味では、「生産力」のこの「制御」の主体として成長しつつある市民運動とその国際的連帯は、「主権国家」と「産業社会」の制御の主体でもなければならなくなっている。そして、その可能性がいま少しずつ示されている。

 §10 Bそのような「近代」は、欧米起源であり、欧米中心主義でありながら、「普遍主義」的だとされた。その「普遍主義」は、キリスト教文化を基礎とした憲法思想を基礎としていた。これが、第三の要素としての欧米中心主義=普遍主義である。しかしそれはヨーロッパ的ローカリズムにすぎず、「近代」化をいち早く達成し、それ以外の地域の暴力的支配を貫徹させたが故に、それが「文化的帝国主義」的に「普遍主義」と呼ばれたにすぎないともいえる。
 この「普遍主義」は、人間である限りでのすべての個人は、「人権」を享受するという観念を中核として形成された。しかし、実際には、その「人権」を中心とする普遍性は、「国民国家」を構成する上での前提となるすべての個人の「国民」としての平等・同一性という観念に寄生して成立したにすぎなかった。それが普遍性を標榜して国境を越えることができたのは、西欧以外でも国民国家形成が至上命題となったからであった。無論、その人権思想は明らかに進歩的なものであった。それを否定してはならない。しかし、それが「国民国家」と限界を共有していることも忘れてはならない。

 §11 以上の議論を前提として、「歴史認識のズレ」の問題に立ち入ってみよう。日本近代の発展を体現した「明治国家」は独特の「二重性」に苦しんだ*1。その二重性は、日中戦争と日米戦争を二つの中心とし、東アジア・東南アジアを巻き込んだいわゆる「大東亜戦争」に、端的に表現された。「大東亜戦争」は、@一面では、19世紀以降の欧米のアジア支配に対するアジアの逆襲を意味した。だが、A他面ではアジアのアジアに対する侵略戦争であったという二重性をもった。しかし、そのうちの@の意味は、Aによって事実上否定されてしまった。

 §12 「大東亜戦争」の二重性は「明治国家」の二重性を反映している。欧米列強から開国を強要されて以来、完全な独立の実現こそは、明治時代を貫く日本の基本的な国策であり、悲願であった。不平等条約を最終的に廃棄しえたのは1911年であった。しかしその間に富国強兵政策の実現に一定程度成功した日本は、他方で、既に1876年に朝鮮に不平等条約を押しつけ、その後中国にもそれを強要した。抑圧されながら抑圧国になったわけである。このような「明治国家」の二重性が「大東亜戦争」の二重構造を帰結した。因みに、「大東亜戦争」の呼称は、この戦争が、この二重性にもかかわらず、欺瞞的な〈東アジア的自己意識〉の強要の上に成立したことを表現している。

 §13 この「大東亜戦争」の「二重構造」は二つの意味を含んでいる。(1)〈東アジア的自己意識〉の形成の失敗と、(2)「国民国家一般に本来的な二重性」の日本的表現という意味である。
 (1)日本が西欧列強と接触した時期には、(a)日本は、中国・朝鮮と連携しつつ、欧米中心主義的な主権国家の権力システムと批判的に対峙すべきだという見解が存在した。〈東アジア的自己意識〉を形成しそれに立脚して欧米の侵略に対処せよという主張である。また、(b)日本を強力な主権国家として形成し、国際的な権力システムの分有を目指すべきだという見解もあった。実際には、(a)の見解は、客観的基盤の脆弱さゆえ支配的となりえず、(b)が圧倒的優位を占めた。(a)の主張者も漸次(b)の立場へ吸収されていった。福沢諭吉の「脱亜入欧」論はその「転化」の完了、〈東アジア的自己意識〉形成論の最終的敗北と見ることができる。それ以降、日本は「国民国家一般に本来的な二重性」の論理に巻き込まれた。

 §14 「国民国家一般に本来的な二重性」とは何か。自由・平等・博愛のスローガンを掲げつつ近代的な国民国家を完成させたフランスが、いやヨーロッパのほとんどの国民国家が、アジア・アフリカ諸国への帝国主義的侵略を当然のように行った。この事実に、「国民国家一般に本来的な二重性」が象徴されている。国内では、「自由・平等・博愛」の実現を目指しながら、それ以外の地域、例えばアジアに対しては、帝国主義的侵略に邁進したのであった。

 §15 このような主権国家それ自体に内属する二重性が、@アジアに位置するA後発帝国主義という二条件によって増幅されて、日本の歴史に劇的な形で表現された。現在においてこの二重性を端的に体現しているのはイスラエルであろう*1。ともあれ、独立の主権国家となった途端、いかなる国も−−無論、中国も韓国も−−この二重性から自由ではありえなくなる。私は、西欧中心主義的な人権論の観点からのアジア批判に対しては多くの場合懐疑的だが、国民国家の少数派民族に対する弾圧等の形を取った人権侵害に対しては、アジア人は鋭敏であるべきだ、と考えている。それはこの二重性の発現に外ならないのだ。

 §16 中国・朝鮮との連帯行動を基礎に欧米中心主義的な主権国家の権力システムと批判的に対峙しようとの見解は、〈華夷秩序〉思想と〈主権国家の権力システム〉の地平を相対化する思想を、ともに必要としていた。その上で、真の〈東アジア的自己意識〉が成立するからだ。だが、その前提が満たされず、日本は、結局は欧米列強が構成する〈主権国家の権力システム〉への仲間入りとその中での相対的地位の上昇をもっぱらの国家目標・国民的悲願とすることとなった。「脱亜入欧」である。
 その中で、東アジアは、帝国主義支配の主体と客体に分裂した。そのことが東アジアに共通の歴史認識を不可能にした。日本に侵略された中国や韓国は、当然ながら「大東亜戦争」が欧米のアジア支配に対するアジアの逆襲だとの意味づけを拒否し、それをもっぱら「アジアのアジアに対する侵略戦争」として捉えようとするからだ。私は、この中国や韓国の主張を正当なものとして承認する。しかし、困難は、日本のナショナリストの主張が100%ナンセンスだとはいえない点にある。

 §17 真に未来的な〈東アジア的自己意識〉は、〈華夷秩序〉思想と〈主権国家の権力システム〉の地平をともに相対化する思想の上で可能となる。そして、現在少しずつ成長を示している市民主義的な連帯がその可能性を示している。それは、共通の歴史認識の形成を目指して、また環境問題への取り組みを通じて、国境を越えた連帯を示している。それこそが、新たな共通の歴史意識をはぐくむ基盤となるであろう。その連帯が東アジア次元にとどまらねばならない根拠はない。しかし、われわれは、まずは、〈東アジア的自己意識〉を現実化させていく必要がある。
 政府次元で、東アジアの結束へ向けての取り組みが展開されていくのは、時間の問題であろう。しかし、主権国家次元での取り組みには限界がある。この限界を克服する可能性を提示するのが、非政府的次元での連帯・協力関係の深化である。
 われわれ法哲学者は、国家次元での協力の進展の中に「主権的国家/国民国家に本来的な二重性」が否定的な形で現れることに注意深い目を注いでいかなければならない。そして、その限界を市民の連帯によって克服するべく、思想的問題を提示し続けなければならない。無論その場合の〈東アジア的自己意識〉に基づく市民的連帯が、欧米の国家の論理と戦っている市民との連帯を重要視するべきものであることはいうまでもない。

*1この二重性問題については、竹内好『近代の超克』(筑摩書房1983)および『河上徹太郎・竹内好他 近代の超克』(富山房百科文庫23 1979)に所収されている論文「近代の超克」を見よ。 *1この問題を鋭く衝いているものに、Zionism Reconsidered, Monarch Journal, vol. 33(August 1944), 邦訳、ハンナ・アーレント『パーリアとしてのユダヤ人』(未来社 1989)所収「第五章 シオニズム再考」がある。