消えた有名判決 !?


最高裁昭和23年7月8日大法廷判決(刑集2巻8号801頁)を覚えていますか。

警察予備隊違憲訴訟判決(昭和27年10月8日)よりも前に、


現今通常一般には、最高裁判所の違憲審査権は、憲法第八一条によつて定められていると説かれるが、一層根本的な考方からすれば、よしやかかる規定がなくとも、第九八条の最高法規の規定又は第七六条若しくは第九九条の裁判官の憲法遵守義務の規定から、違憲審査権は十分に抽出され得るのである。米国憲法においては、前記第八一条に該当すべき規定は全然存在しないのであるが、最高法規の規定と裁判官の憲法遵守義務から、一八〇三年のマーベリー対マデイソン事件の判決以来幾多の判例をもつて違憲審査権は解釈上確立された。日本国憲法第八一条は、米国憲法の解釈として樹立せられた違憲審査権を、明文をもつて規定したという点において特徴を有するのである。


と述べた判決として知られています。

戸松秀典=初宿正典編著『憲法判例〈第8版〉』(有斐閣・2018年)にも収録されています(581頁)。『憲法判例百選II〈第6版〉』(2013年)にも収録されていました(416頁・195事件)。

しかし、そんな判例は、この世に存在しません!

信じられないというのなら、今すぐ、利用可能な判例データベースで検索してみるとよいでしょう。「昭和23年7月8日」の最高裁判決を探してみてください。「そんな、バカな !?」、去年の夏頃、私もそう思いました。

刑集には、確かに「昭和二三年(れ)第一八八號 同年七月八日大法廷判決」書いてあります。しかし、「最高裁昭和23年7月8日大法廷判決・昭和23年(れ)188号」とされていたものは、実は「 昭和23年7月7日」の判決で、事件番号も「昭和22年(れ)188号」であったのです。

裁判所ウェブサイトを見てみると、


となっていました。日付は「 昭和23年7月7日」となっており、事件番号の暦年も「昭和22年」です。全文PDFも、「昭和二三年七月七日」となっていました。

この判決について、TKCのLEX/DBでは、書誌情報の備考欄に、


「最高裁判所刑事判例集」上は、裁判年月日:昭和23年7月8日、事件番号:昭和23年(れ)第188号と明記されておりますが、誤字であることが判明し、当書誌では、裁判年月日:昭和23年7月7日、事件番号:昭和22年(れ)第188号と収録しています。


との注記があります。

Westlaw Japanでも、「 昭和23年7月7日」「昭22(れ)188号」となっています。

有斐閣でも、事件番号・日付とも刑集の誤植であることを最高裁に確認したそうです。2019年11月刊行の『憲法判例百選II〈第7版〉』では、「7月7日」になっています(410頁・195事件)。判例六法などは、注記をつけた上で正しい日付・事件番号を示すそうです。

とはいえ、しばらくは教科書・判例集などにも「最高裁昭和23年7月8日大法廷判決・昭和23年(れ)188号」と記載されているものが存在することになります。というより、これまで70年以上そうだったのです。最高裁は、いったい、いつ頃・どうして気付いたのでしょう?

もちろん、『教材憲法判例〈第5版〉』は、注記を付けて「 昭和23年7月7日」としています。





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