憲法的探見記 大阪地蔵像編

探見日:2008年6月



学部学生のころ、判例を勉強していて、「見上げるほどの高さの地蔵像」というような記述に目を奪われました。脳裏に浮かんだ想像図、それはスゴイものでした。実物を見てみたいものだと思いました。しかし、思い立ってすぐに数百円で行けるところでもなく、そのまま月日が過ぎていきました。

泉佐野市民会館(跡地)、箕面忠魂碑などを探見して、ますます憲法判例の故郷めぐりについての関心が高まっていたとき、大阪で学会がありましたので、「見上げるほどの大阪地蔵」を探見することにしました。

改めて調べてみると、控訴審判決の中に、次のような記述がありました。


(控訴人らの当審における補足的主張)
[略]
四 本件各地蔵像の与える宗教的効果については、地蔵像の存在自体に宗教的効果があり、一心地蔵像のように「コミニティーの場」となるために注目せられる場所に設置され、しかも、「見上げる程の高さである」巨大地蔵は更に宗教的効果も大きく、また、地蔵盆などの習俗行事が加わることによって宗教的効果は更に増すのである。


「巨大地蔵」が住宅団地の中心に屹立している光景は、かなり衝撃的だろうと思われました。
第一審判決に記載された当事者の主張を参考に、地蔵像を探すことにします。


(一)別紙物件目録(以下「目録」という。)三記載の地蔵像(以下「一心地蔵像」という。)について
(1)大阪市は、昭和五三年ころ、当時木造であつた大阪市営大宮住宅及び大宮第二住宅を現在の耐火性の大阪市営高殿西住宅(以下「高殿西住宅」という。)に建替える事業を実施した際、付近住民をもつて組織された当時の大阪市旭区地域振興会高殿連合第三振興町会(以下「旧第三町会」という。)から、高殿西住宅の敷地内に地蔵像を建立するため右敷地の一部を無償で使用させてほしい旨の申入れを受け、同町会に対し、高殿西住宅第三号館敷地の北西角の一部である目録一記載の土地について、地方自治法二三八条の四第四項による行政財産の目的外使用許可をなし、旧第三町会は、昭和五四年二月、右土地上に一心地蔵像を建立し、右土地を使用している。


まずは、一心地蔵から。大阪市営地下鉄谷町線(ちなみに、「とらわれの聴衆」は御堂筋線)の関目高殿駅で下車しました。


駅構内の周辺案内図で「高殿西住宅」の位置を確認します。


「市営高殿西住宅案内板」を発見。3号館(3号棟)を探します。

こちらの方向のはずですが、もしかして?

ここだ! 左後方に見えるのが3号館でしょう。

間違いありません、「高殿西住宅第三号館敷地の北西角」です。

一心地蔵です。

しかし、見上げるほどの巨大地蔵というのは……。

一心地蔵が建立されているのは、「高殿西住宅の敷地内の植込の一隅」です。

一心地蔵の真後ろには、物置小屋が建っています。

なお、控訴審判決を読み直してみると、次のように判示されています。


一心地蔵像は控訴人らが巨大地蔵と指摘する各仏像(甲第五五号証、第五六号証の一ないし三)とはその規模において格段の径庭があり、これらと同一視することはできず、



つぎは、満願地蔵です。すぐ近くにあるようです。


(二)目録四記載の地蔵像(以下「満願地蔵像」という。)について
(1)大阪市は、前記高殿西住宅建替事業の実施に関連し、当時の大阪市旭区地域振興会高殿連合第四振興町会(以下「旧第四町会」という。)から、当時、大阪市が建設を計画していた大阪市高殿老人憩の家・高殿地域集会所(以下「老人憩の家等」という。)の敷地である目録二記載の土地を、右町会付近の私有地内に建立されていた満願地蔵像を移設するため無償で使用させてほしい旨の申入れを受け、老人憩の家等の運営者であり、右土地の借地人である高殿南校下社会福祉協議会(以下「協議会」という。)に対して、協議会が目録二記載の土地を後記第四町会に対して転貸することを承諾し、第四町会は、昭和五六年八月、同土地上に満願地蔵像を移設し、右土地を使用している。


一心地蔵の前の道を進みます。

この建物のようです。

ここでしょう。

満願地蔵です。

すぐ近くの公園にも、別の地蔵尊がありました。



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〈齊藤正彰@北海道大〉