《再訪時》
一 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
[略]
2 本件会館は、被上告人が泉佐野市民の文化、教養の向上を図り、併せて集会等の用に供する目的で設置したものであり、南海電鉄泉佐野駅前ターミナルの一角にあって、付近は、道路を隔てて約二五〇店舗の商店街があり、市内最大の繁華街を形成している。[略]
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[1] 京都での研究会に出席した後、大阪の南海電鉄なんば駅に向かいました。エスカレータは右側に立って左を空けるのが、大阪の流儀。関西でも節電中で、エスカレータの半数が停止、南海電車は車内照明を消灯していました。
[2] なんば駅から、和歌山市行きor 関西空港行きの特急電車で約30分、空港急行の関西空港行きで約40分。泉佐野駅は、大きな高架駅になりました。住友銀行は、三井住友銀行になりました。銀行の手前の小さな2階建ての建物が、新しい交番。
[3] かつて駅舎があった部分は広場となり、タクシー乗り場が整備されていました。
[4] 駅周辺の建物には、あまり変化がないようです。アコムの看板の右にある白い建物と、黒とオレンジ色の看板の載った白と緑色の建物の間の、建物が途切れているところに、泉佐野市民会館が建っていたはずです。
[5] この景色にも、あまり変化はないようです。バスの右側の道路を真っ直ぐ進むと、市民会館跡地です。
[6] 「市内最大の繁華街」ですが、シャッターの降りている店が多いように見えます。
[7] 上の[6]と同一の建物です。建物の中央部、「駅上名店街」の看板の真下にも、商店街への入口があります。
[8] しかし、閑散としています。金曜日の午後です。
[9] さて、泉佐野市民会館跡地の角にあった交番ですが、駅前に移転して、元の建物は閉鎖されていました。
[10] 左の旧交番の後方に泉佐野市民会館が建っていたものと思われます。「道路を隔てて約二五〇店舗の商店街があり」とされているのが、右側の駅上名店街のことでしょうか。
[11] 左手前の、フェンスで囲まれた所が泉佐野市民会館跡地。中央の白と緑色の建物が駅上名店街。「南海電鉄泉佐野駅前ターミナルの一角にあって」とされる市民会館ですが、右の小型トラックが停まっている所が駅前広場の端にあたります。
[12] 市民会館跡地の全景。
[13] 駅上名店街の他にも、周囲には、狭い道路を挟んで店舗が並んでいます。泉佐野市総務部長が、「泉佐野商業連合会等の各種団体からいわゆる極左暴力集団に対しては本件会館を使用させないようにされたい旨の嘆願書や要望書も提出されていた」としているところです。
[14] 「本件不許可処分は、……、本件集会が本件会館で開かれたならば、本件会館内又はその付近の路上等においてグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果、グループの構成員だけでなく、本件会館の職員、通行人、付近住民等の生命、身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが、具体的に明らかに予見されることを理由とするものと認められる」
[15] 現在は市営駐車場になっています。ここから少し離れた場所に、泉佐野市立文化会館・泉の森ホールが建設されています。
[16] ところで、泉佐野は、「長者伝説の町」だそうです。[6]の画像にある赤い幟にも、「長者の御利益巡り」と書いてありました。
[17] 泉佐野駅の反対側に出ると、こういう感じでした。
[18] 泉佐野市民会館ホールで「関西新空港反対全国総決起集会」を開催しようとしたわけです。しかし、会館の使用が不許可となったので、泉佐野市内野出町の海浜において集会を開催したのです。つまり、泉佐野から橋を渡れば、人工島にある関西空港です。ここから飛行機で札幌
(新千歳空港)に帰ります。
離陸したところで、眼下に仁徳天皇陵
(左手前)をはじめとする古墳群。左上に見えるのは、大阪府立大学のキャンパス。
[19] 外堀は埋まった!