Globalization & Governance
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国民大会档案
 
一、 沿革

 国民大会は孫中山先生の権能区分学説に基づいて創立された政権機関である。民国5年7月孫中山先生は上海で両院議員に対して「自治制度は建設の礎石である」という演説を行ない、わが国の国土が広くて人口が多く、地方において直接民権を行なうことができ、中央では国民大会によりその権を行使させるのがよいと示した。民国13年、民権主義の第5、6講中で、権能区分の理論と方法を説明し、五権憲法の理論を完成して、同時に国民大会のためにより具体的な提示を行なった。

 民国25年、国民政府は孫中山先生の遺教に基づいて、立法院で中華民国憲法草案を完成させ、これがいわゆる「五五憲草」である。それに伴い国民大会代表選挙が行なわれ、26年11月12日に国民大会を開催し、憲法を制定公布することを予定したが、思いがけず抗日戦争が勃発し、そのために延期されることとなった。民国29年、国民政府は国民大会準備委員会を成立させ、11月12日に国民大会開催を予定したが、日本軍が全面的な爆撃を行ない、重慶と各地の交通が阻害され、国民大会の代表が期限どおりに重慶に集まることが困難になり、再延期せざるを得なくなった。32年、中国国民党五期中執会は「国民政府は戦争終結後1年以内に国民大会を招集し憲法を制定公布せねばならない」と決議した。34年8月の抗戦勝利後、国民政府は一方では政治協商会議を開催して憲法の内容について党派協商を進め、同時に35年1月に国民大会準備委員会を設立して、国民大会代表選挙及び国民大会開催の準備を推し進め、35年11月15日に制憲国民大会が南京において正式に開幕した。同年12月25日に「中華民国憲法」全14章175条が可決され、同時に36年12月25日を憲法施行日とすることが決議された。

 民国36年1月1日、国民政府は「中華民国憲法」及び「憲法実施準備程序」を公布した。3月31日には「国民大会組織法」を公布し、11月21日には全国各地で行憲国民大会代表選挙が実施され、総定員は3045名であったが、中共の撹乱のため、最終的に選出されたのは2961名であった。民国37年3月11日、第1回行憲国民大会準備会が南京に設立され、同月29日に国民大会第一次会議が南京において正式に開幕した。憲法の規定によれば、国民大会の職権は、(1)総統・副総統の選挙、(2)総統・副総統の罷免、(3)憲法修改、(4)立法院が提出した憲法修正案の複決、であった。行憲第一期国民大会第一次会議の主要任務は、(1)4月18日に憲法第174条第1項の規定により、「動員戡乱時期臨時条款」を制定し、総統に憲法第39条及び第43条に規定された手続きの制限を受けない緊急措置権を与えた。これは一面では先に施行されたばかりの憲法の条文を変更せず、一方で総統に当時の中共の反乱に緊急措置をとることを可能にするものであった。(2)総統・副総統選挙。37年4月19日に蒋介石が中華民国第一代総統に選出され、29日に李宗仁が副総統に選出された。

 民国39年2月1日、台湾に移った国民大会代表は、代理総統李宗仁がアメリカに滞在して帰国しないため、蒋介石に再び政治を執行し、引き続いて総統の職権を行使することを請求した。42年3月2日、第一期国民大会代表は台北で第二次会議を開催した。3月23日蒋介石を第二代総統に選出し、陳誠を副総統に選出した。

 動員戡乱時期臨時条款第九項の規定により、国民大会の閉会期間に、研究機構が設置され、憲政問題が検討された。それは国民大会全体代表を委員として組織され、憲政・内政・外交・国防・財政・経済・教育文化・交通・辺境・僑務・司法等の事項が分かれて研究された。これにより国民大会閉会期間、民国36年に憲政実施促進委員会が設置され、49年には憲政研究委員会が設置された。

 国民大会は秘書処により事務業務が行なわれ、秘書処は秘書長一人、副秘書長二人を設け、その下に文書・議事・資料・総務・会計・人事の各組室が置かれ、会議期間は実際の需要に応じて、臨時の任務を執り行う組織が増設された。

 現在の政治・社会の需要に応じるため、李登輝が第八代総統に就任した後、積極的に憲法改正を推進し、民国79年から89年にかけて6回の憲法改定を行い、将来は国民大会を常設とせず、その任務の必要によって臨時に開催することとした。

 民国79年第一期国民大会の第一次憲法改正では、総統緊急命令権の行使を再規定し、第二期中央民代誕生の法的根拠を提供した。民国80年には第二次臨時会が開催され、動員戡乱時期臨時条款を廃止した。

 民国81年第二期国民大会の第二次憲法改正では、国民大会の職権が調整されて、総統・副総統の中華民国全国民による選挙の原則が規定され、司法院の大法官に憲法法廷が増設され、考試院の職権も調整され、監察院は国家最高の監察機関であると再定義され、直轄市市長及び台湾省省長の人民直接選挙への改正が規定され、障害者及び原住民の権益の保障が規定された。

 民国83年第二期国民大会の第三次憲法改正では、中央政府の体制の規定に若干の補強修正が行なわれ、その中で最も重要なものは、総統・副総統の中華民国全国民の直接選挙が決議され、主権在民が明確になったことであった。

 民国86年第三期国民大会の第四次憲法改正では、総統が行政院長を任命する際に、立法院の同意が不要になり、最も重要なのは、省レベルの選挙を凍結し、省府組織を簡略化したことであった。民国88年の第五次憲法改正では、国民代表と立法委員の任期が延長され、立法委員の任期は4年に改正された。

 民国89年第三期国民大会の第六次憲法改正では、国民大会の非常設化が決議され、任務型の国民大会に改定され、大法官の終身職待遇を取り消した。これにより段階をおった憲法改正の任務は完成し、国民大会もまた正式に新世紀に突入した。

二、移転の過程と整理の方式

 国史館所蔵の国民大会档案は、国民大会秘書処が民国81年から82年にかけて分割移転した大陸から台湾に移送された旧档案及び、台湾時期の既に時効となった档案であって、目録記号は〇五三、〇五四であり、全部で405巻76冊24包あり、期間は民国27年から49年までである。既に国史館が全て初歩的な整理を完了させている。

三、档案内容

 国民大会档案は、主要な内容は以下のものを含む。

 一、民国二十九年国民大会準備委員会案巻:国民大会準備委員会各機関調用人員規定、国民大会準備委員会組織条例施行命令、国民大会準備委員会各項文巻公物移交台帳、国民大会準備委員会第一次から第六次会議議事日程、国民大会各省代表選出派遣状送付、国民大会延期通知、国民大会準備委員会終了?法、国民大会各級政府組織条例修正、国民政府各級官吏違法懲罰規定などの档案を含む。

 二、民国三十五年制憲国民大会案巻:国民大会制憲審査修正案、国民大会憲草審査及び意見、国民大会準備委員会臨時人員調用、国民大会各組審査委員会会議記録、国民大会第二次予備会議、国民大会準備委員会会務会報記録、総合委員会会議記録、国民大会準備委員会会務終了移交?法、国民大会会場出入証、国民大会警衛処任免などの档案を含む。

 三、民国三十六年憲政実施促進委員会案巻:憲政実施促進委員会会議記録及び提案、憲政実施促進委員会常務委員会召集案、憲政実施促進委員会聯席会議召集案、憲政実施促進委員会各委会業務会議記録、憲政実施促進委員会研究審査宣伝委員会議の召集、憲政実施促進委員会代表引継ぎ、憲政実施促進委員会組織規定、憲政実施促進委員会省区分各界建議、憲政実施促進委員会業務規則及び業務方案、憲政実施促進委員会人員任免、憲政実施促進委員会人民訴願及び検挙案処理、憲政実施促進委員会委員補充、憲政実施促進委員会宣伝綱要、憲政実施促進委員会業務終了などの档案を含む。

 四、民国三十七年第一期行憲国民大会第一次会議案巻:国民大会名称確定、国民大会開幕典礼事項、国民大会憲法提案、国民大会普通提案、国民大会制憲各代表提案、第一次から第五次予備会議記録、第一期国民大会第一次より第十六次会議記録、第一次より第六次審査委員会審査報告提議、国大代表姓名分類、国大代表資格審査、国民大会実録、憲法提案原文に関するもの、政府施政報告などの档案を含む。

 五、民国四十二年から四十三年第一期行憲国民大会第二次会議案巻:憲政督導委員任職年齢資格貯蓄登記、国民大会欠員補充資格審査、一期国大二次会議人員出向、一期国大二次会議各代表人員紹介来会服務、一期国大二次会議代表質問及び建議説明、一期二次会議提案及び臨時動議目録草稿、人民訴訟請願案、一期国大二次会議議事録草稿、一期国大二次会議日程及び議事規則及び?法、大会宣言及び審査委員会審査報告、施政報告に関するもの、専題報告及び、主席団開会通知、年鑑編纂審査通知及び移動配置業務、一期二次会議法規提要、一期二次会議参考資料、一期二次会議議案索引などの档案を含む。

 六、その他:中央機関公用車会計帳簿処理?法及び支給規定、第一次会議議事簡表、代表移動名簿、国民大会代表提案及び各会議記録、国大代表病没及び罹難案、国民大会各代表欠員補充、国大代表建議及び提案(李宗仁副総統の罷免案を含む)憲法解釈及び国大組織条文修正などの档案を含む。

 
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