Globalization & Governance
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財政部档案
 
一、 沿革

 財政は庶政の母であり、財政部は全国の財政を管理する最高機関であり、全国の財務行政掌握並びに各地方の最高行政長官に対して財政部主管事務を執行させ、指導・監督を行なう責を有した。伝統的に中国では戸部或いは度支部が国家財政収支を管轄し、民国創建に至って初めて財政部という名前になった。財政部は総長が部務を統括し、その下に次長2名が設けられた。その一人は部務を管理し、もう一人は塩務署を専門に管理した。部内は秘書・参事のほかに、総務庁及び賦税・会計・貨幣・公債・庫蔵の5司が設けられていた。そのほか塩務署が置かれて塩務を専管し、財政総長が督?を兼務し、次長が署長を兼務した。また税務処は各地の税関税務司を専管し、その督?は財政総長の地位に匹敵し、財政部の管轄ではなかった。

 北京政府時期には、財政部は国務院に属したが、軍閥割拠により、財政部の管轄範囲は僅かに北洋軍閥の勢力が及ぶ地域だけであり、旧例にとらわれ、昔のやり方を踏襲し、官署組織の変革は極めて少なく、財政権は名目上独立していたが、実際は地方に行くほど弱まり、その系統も混乱していた。民国7年に金本位制の実行準備のために、金券条例を公布して、幣制局を設置して、財政総長が督?を兼務して、別に総裁一名を任命した。9年に副総裁一名を増設して、財政部貨幣司管轄の貨幣・紙幣の業務が幣制局の管轄となった。この後、貨幣司は銀行及び部局会商の貨幣に関する要件のみを専門に扱うことになった。12年末、金本位改定政策が困難なため、幣制局を撤廃し、その業務は再び貨幣司の処理へと帰った。9年には部内の煙酒処(地位は各司と同じ)を独立した官署に改定し、督?一人を任命して、その下に三庁を置き、煙草・酒税務を専管した。

 民国14年広州国民政府が成立し、その下に財政部が設けられて革命政府の財務行政を管理し、秘書処と国庫主任が置かれた。16年国民政府は首都を南京に定め、財政整理・権責統一のために、新たに成立した財政部の内部組織は時代を画する革新があり、総務・参事両庁、賦税・公債・貨幣・国庫・会計の5司、関務・塩務・禁煙・土地の4処がそれぞれ設けられた。10月にまた改組が行なわれ、秘書・煙酒税・印紙税・巻き煙草統税・石油特別税・禁煙の6処、関税・塩務両署、賦税・公債・国庫・会計の4司が設けられ、貨幣司は金融監理局に改定され、賦税司の土地処を併合した。17年5月、再び総務処を設置し、10月に五院制が実施され財政部は行政院の所属となった。12月にまた修正が加えられ、1庁(参事)2署(関務・塩務)3処(煙酒税・印紙税・巻き煙草石油税)6司(総務・賦税・公債・貨幣・会計・国庫)となった。18年2月、税関新税制の実行と石油特別税率の採用によって、税関徴収は財政部の管轄となり、元の巻き煙草石油税処が巻き煙草統税処に改正された。同時に塩務査察総所が設立され、塩政の整理を図った。同年夏、立法院は実際の状況に照らして、財政部組織法を修正し、国府に提出して公布したが、大部分は以前のままであった。19年に、印紙税・煙酒税両処を合併し、印紙煙酒税処とした。20年、巻き煙草統税処を統税署として、巻き煙草・麦粉・綿糸・マッチ・セメントの5種の租税を専管させた。21年印紙煙酒税処を統税署に編入して税務署と改称し、同時に賦税司所管の鉱税を合わせて税務署の管理とした。

 民国25年、財政部組織法が修正され、再度組織の調整が行なわれ、塩務署は塩政司に、会計司は会計処に改定され、1庁2署6司2処の組織機構を構成した。29年、組織はまた改定され、国庫司は国庫署に改正され、ほかに直接税処を設けた。30年には統計処が増設され、31年には密輸取締署が設けられた。33年また組織法が修正され、専売事業司を増設し、直接税処が直接税署に、賦税司が地方財政司に改定され、人事処が設置された。34年密輸取締署を撤廃し、専売事業局を管理局に拡大したが、すぐに撤廃され、塩政司と塩務総局が合併して塩政局になり、ここで1局1庁4処4署4司の組織が構成された。37年、直接税署と税務署が合併して国税署となり、38年には、田糧署が増設され同時に撤廃された糧食部の業務を引き継いだ。大陸撤退以前、財政部は直属機関以外に、歴年にわたって前後して田賦管理委員会、貿易委員会、貨運管理司、金融研究委員会、塩務総局、外匯管理委員会、財政部研究委員会、花紗布管制局、貨運局、公債徴募委員会、債務審査許可司、発行準備委員会、整理公債委員会附属機構を設け、時に増減があった。しかしその業務の最大時には、法定定員は3,171名に達し、実際の人数も2,644名に達した。

 中央政府の台湾移転後、業務の減少により、人員の多くは削減されて、新たに機構が調整され、それにより無駄を省いた。元々あった視察室・財政研究委員会・貨物評価委員会・国定税則委員会等の機構は全て撤廃された。また国税署・田糧署・地方財政司合併して賦税署に改組し、参事庁を参事室に改め、秘書人事両処を秘書室及び人事室に改めた。会計・統計両処は合併して主計室に改組され、全各署の内部で一律に処科の改設が行なわれ、各司室も科の設置を取りやめ、戡乱時期暫行編制及び職掌区分?法が定まった。50年代の内部組織は、概ね秘書室・参事室・国庫署・関務署・賦税署・総務司・貨幣司・公債司・人事室・主計室の10機関であり、人数はわずかに123人にすぎなかった。

二、移転の過程と整理の方式

 財政部は民国62年の「各機関は大陸から台湾に移送された档案及び台湾時期の既に時効となった档案を国史館に移送する」という行政院の文書を受け取った後、幾度かに分けてその進行に着手した。64年まず塩務総局の35年から36年までの档案191巻が移転され、10月財税センターの58年から61年までの档案22巻が移送された。66年から82年までの間に、当部の大陸から台湾に移送された档案及び台湾時期の既に時効となった档案37,217巻が移送され、68年に中国農民銀行の45年から66年までの旧档案15巻が移転され、68年から76年までの間に中央信託局の44年から72年までの档案計525巻が移送された。期間は民国元年から72年まで(その中で30年から37年までのものが最も多い)、現在国史館に所蔵される档案の中で、最も数量が大きいものである。しかし大陸から台湾に移送された档案は幾度かの移転を経て、一部分の档案は汚れ腐食し、或いはカビが生えたり虫に食われたりしており、整理が極めて困難である。業務人員の初歩的な整理を経た後、目録記号は二四六から二七〇・二七三で、全部で3,453巻ある。詳細な整理が完了しているものは464巻である。

三、档案内容

 国史館所蔵の財政部档案は、財政部の所属単位により区分分類され、国税・国庫・貨幣・塩務・地方財政・財政研究・参事・秘書・統計・人事及び総務の11種類に分かれる。

 一、国税:元々は財政部国税署により所蔵されていた档案で、民国25年から37年まで、財政部档案中で最大を占め、全档案のおよそ五分の二を占めており、国民政府時期の国家税政改革及び税収を研究するための、最も貴重な一次史料である。それが含む税収は煙草税・巻き煙草税・糖税・酒税・マッチ税・鉱産税・営利税・特種過分利得税・新統税・綿糸税・印紙税・総合所得税・遺産税・直接税・貨物税等がある。それが含む法令章程は、徴税・補徴・免徴・退税・税率・徴実・折徴・折耗・考査・徴収検査・賞罰・記帳・報表・証書・統計・密輸取締・奨金・特許権益・紛争・訴訟・印型・印章・税証・税務指導・税務行政・税務改革・情報収集等の案件及び各省市税務機関の人事組織動態・福利・事務・文書・歳計・建議・物資処分・報告・財政年鑑編纂原稿等がある。このほか、国税機構調整案、新税制及び新税計画案、新税則法則、各種税収条例、税関会計制度、直接税署署務会議記録、超収税奨金案、各省区糖類徴実状況、各地区税収納庫月報表、各地区年度税収成績考査表、印紙抜き出し調査業務報表、鉱産税条例起草解釈案、建国特別税務署政績表、税務調整建議意見、東北税務接収、タングステン・アンチモン・ウラン・チタン鉱産管理?法、各区税務状況視察報告、台湾省専売条例、総合所得税草案、貨物税条例及び戦時財産税条例などの档案を含む。

 二、国庫:元々は国庫署により所蔵されていた档案で、期間は民国17年から37年までである。主に国庫・各省省庫の庫政档案及び国庫収支档案を含む。施政計画、公庫法規、施行細則、現金収支、罰金賠償収入、専売収入、雑税収入、僑胞献金、公営事業利潤、各院部会及び所属機関の経費、予備金、各省庫収支報告・予算通知書、各機関学校補助費、国庫署統計資料及び組織系統に関するもの、国庫及び各区局歳入歳出予算案・予算通知書、各年度国庫収支利用項目、国庫会計出納報告及び収支経費報告、中央政策決定、党国機構会議臨時費決議、国民参政会予算案決議、救済委員会歳出歳入案、各項建設工程経費、公地・国有土地調査、官産・砂漠地登記、外籍顧問経費、軍需・軍備経費購入、労軍服務費、内債・国防公債、中央行庫収支報告書、外債、米ドル支払目録、賠償案、抗戦損失調査報告、戦後敵傀儡財産接収などの档案を含む。

 三、金融:元々は貨幣司により所蔵されていた档案で、期間は民国14年から72年までである。貨幣司の各年度行政計画、業務報告、貨幣及び金融法規、金融会議記録、貨幣改定、廃両改元、銀本位鋳造条例、白銀問題、銀輸出禁止、インフレ、工商救済、借款合約、入札保証金、外幣、法幣政策、法幣政策基礎強化、発行準備管理委員会、為替及び外幣、外匯安定、偽造貨幣取締、幣制改革、銀幣購買捜査、金融整頓措置、金融事務、各地省幣整理、通貨禁運、インフレ、工商貸款、災害救済、中日通貨戦、金融安定、幣制研究委員会、金融顧問委員会、貨幣管理実施?法、補助貨幣条例、西藏銀幣、偽造通貨処理及び管理?法、金融業務管制強化、各銀行銭荘検査報告、中央銀行、特許銀行、中国銀行、中国農民銀行、各商業銀行、地方銀行、中央信託局、中央造幣廠、公債発行、四川省善後公債、英金公債、保険会社保証金納入、儲蓄会申儲券回収交換、中央信託局・銭荘・各地金融情勢報告、幣政委員会、四聯総処、賠償担保法規、敵傀儡銀行接収、十年来の中国金融及び財政原稿、各国貨幣制度、金庫条例、銀行兌換券発行税法、万国儲蓄会、中法儲蓄会、欧戦後法幣上昇の分析、敵人のわが淪陥区での金融撹乱状況、国内外物資調査巻、中央銀行台湾流通券発行?法及び台湾省為替管理?法、中央銀行人員派遣新台幣発行?法などの档案を含む。

 四、塩務:元々は塩務総局の档案で、期間は民国4年から57年までである。主な内容は二つに分かれ、業務部分は、局務会議記録、塩業検討会議記録、塩務業務報告、塩務改革方案、塩務施政方針及び業務、塩税制度及び税率、塩債彙編、塩斤、存塩、塩価月報表、塩価細目表、塩業貸款、塩場絵図、塩倉整建、登記簿、税率表、統計図、日・韓・琉球・香港・マレーシアへの食塩輸出、塩務機構日本籍職員留用、塩務機構外籍人員任免、塩政機関敵傀儡産業接収、各地区塩業貸款、製塩許可計画、台湾塩務管理局会議、塩務総局局務会議記録、塩務機構労工教育推進、両広・福建・両浙・淮南・山東・長蘆・両湖・河南・江西・安徽・陝西・山西・川康・雲南・西北及び台湾等の省区を含む各省区塩政案などがあり、敵傀儡塩務財産接収及び光復前後台湾地区塩務档案も含む。事務方面は、塩務総局会計部門歳出歳入分配予算、営業概算、決算等の項があり、人事部門は選抜試験・任用・免退職・異動・人員訓練班・人員待遇調整及び中共に捕らえられた人員等の項があり、工程部門は各塩務機関・塩場の宿舎修繕、道路橋梁修建及び塩倉航路建設などの档案を含む。

 五、地方財政:地方財政司の档案で、期間は民国19年から37年までである。全て全国各省市の財政税務に関する档案で、地方税務法規、法令解釈、各省税制計画、地方歳出歳入総予算案、税務政績比較、歳出歳入計政、地方財政機構各年度重要業務報告、戦時地方財政実施?法、各省徴収、土地税減免、地価税、田賦、営業税、雑税、娯楽税、契約税、公共造産、建設税、養路費、租税減免、営業許可証税取消、屠殺税、二五減租、地方租税改革、公産田租、土地税請負、地方税収報表、月報表、旬報表、経費予算表、各省自治財政報告、財政部地方税務視察報告、金融公債、救済引受、六厘英ポンド庚款公債基金、地方税務請願(免耕、徴税免除、営業許可証税・屠殺税取消等を含む)、建議、訴願案、違法案、法規法令解釈案及び地方財政貸借案、地方財政司業務検討会議などの档案を含む。

 六、財政研究:近代中国の貧弱さは、軍事及び財政が未だ近代化されていなかったことに基づいており、国民政府は南京に都を定めた後に、すぐに財政研究にかなりの注意を注ぎ始め、前後して孫科・宋子文・孔祥熙等のような党国の有能な人材を財政部の責任者に起用し、また前後して財政部研究委員会、金融研究委員会、幣制研究委員会、幣制改革研究委員会、廃両改元研究会等の多くの専門的な研究機構を成立させた。この档案は民国18年から37年までである。ただ主なものは抗戦勃発後に財政部が戦時財政の研究のために保存した档案である。敵傀儡財政経済研究、汪傀儡政権財政経済動態資料、戦時経済措置緊要方案、戦時経済政策及びその実施方案、経済参考資料、経済措置緊要方案、財政金融税制及び法規案、各地物価調査表、降敵敵側資源調査、田糧徴実徴購研究、税制研究案、抗戦損失調査研究、総動員業務計画及び生産計画、抗戦建国綱領財政部実施方案、戦後五年国防経済建設計画、敵傀儡経済政策資料研究案、財政三年計画綱要、財政研究委員会会議記録、財政経済研究委員会建議案、敵傀儡財経資料、淪陥区内敵傀儡一般財政動態及び物資管制彙報などの档案を含む。

 七、参事:元々は参事庁の档案で、参事類の多くは財政部所属各機関の法令規章、組織行政の研究、連絡等の資料にまたがるものである。賦税・直接税・税務・地税・関税・専売・貨幣・国庫・軍政・密輸取締・経済・公債・塩政・貿易・人事・会計・総務等の項の法規?法研究などの档案を含む。

 八、秘書:元々は秘書処の档案で、期間は民国元年から37年まで、その中で26年から34年までのものが最も多い。秘書処所蔵の档案は、財政部施政計画、部務会議資料、財政部業務検討会及び会議記録、財政部の歴次中国国民党重要会議への報告、財政部業務報告、財政部各年度政績比較表、抗戦建国綱領財政部分実施方案、質疑応答、決議処理状況、歴次国民参政会及び国民大会の報告及び会議決議処理案、歴次全国財政会議・経済会議資料、各戦区経済委員会業務調整案、税収損失合計、財政年鑑編纂処接収、戦時経済持久政策具体実施、政治会議及び行政会議、第二期全国財政会議決議などの档案を含む。

 九、統計:元々は統計処の档案で、期間は民国17年から37年までである。各年度中央政府総予算、国庫収支統計、財政部各機関年度統計、戦時財政金融統計、各区局税収統計及び報表、統計年報、税収旬報、国税専売利益収入統計表、各類会計報表、登記表、法規、事務、会計及び各種財務統計表、登記簿、統計資料などの档案を含む。

 十、人事:財政部人事処所蔵の档案で、民国29年から38年まで、財政部档案の約四分の一の数量を占めている。財政部所属各機関人事法規、人員の試験・採用・選抜・仕職・訓練・任命・給与・経歴証明・任命審査登記・考査・賞罰・異動・進修・調派・出張休暇・休養・救済・退職・各種補助費・代金・福利及び失職・調査・違法・汚職粛正・訴訟・指名手配・減員解雇・定員動態・救済・交代、各機関組織章程、各機関人事室業務計画、業務検討記録、人事審査会議記録、各省区税局人事管理機構設置、人事動態報告、各省報表・業務報告及び統計各類公文書審査・印鑑・電報などの档案を含む。

 十一、総務:元々は総務司の档案で、民国30年から38年まで、器材日用品購入・財産増減表・建築修繕・配置取消申請・福利及び合作社・還都復員・出納の収入支出経費・補助費・旅費・工程費・寄付・保険費・租賃費・購買費・設備費・罰金及び入札募集・公文書・電信電報・電話及び放送局のような行政庶務を含む。総務司の人事档案は、任免・定員・試験・昇進調査・報奨・救済・考査・給与・印鑑・公印などがある。その他に放送局・農本局・物資局・綿布管理局等の撤廃後の档案及び敵傀儡財産接収目録等も総務類に属する。

 
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