PURPOSES OF THE STUDIES
研究会の目的

なぜ、今、東アジアの経済法の研究が重要なのでしょうか。韓国や中国、台湾の経済法の研究者は、米国反トラスト法やEU競争法の現状と課題を良く研究しておられます。私たちも同様です。欧米の競争法をみると、国際カルテル規制、知的財産とハイテク企業の単独行為の規制、規制緩和と電気通信産業、医薬品産業のM&Aなどの課題がみえてきます。欧米の競争法の最先端の議論を追うことは依然として東アジアの競争法の研究者にとって重要な課題となっています。そのような自覚をもった東アジアの国々の研究者が、なぜ、今、お互いの経済法・競争法の研究を始めたのでしょうか。何がみえるというのでしょうか。

それは過去において東アジア各国が遭遇した西欧近代との葛藤であり、そのなかで国家主導で急速な近代化を強いられた東アジアの国々の経済と経済法制度の今に至る自己像ということになります。アジア経済法の研究は自国法の課題を写す鏡にほかなりません。東アジア諸国は強力な政治権力を背景に資源の強制的で集中的な配分を行って経済発展を遂げました。その過程で、東アジアでは諸国家が戦火を交え、そこに住む人々は傷つき、引き裂かれるという経験をしました。東アジアの国々が、その底流に共有するものは、かかる苦悩に満ちた近代化という歴史的経験でした。

東アジアの国と地域が競争法を備えて本格的な法運用を始めたことは、政治権力を背景に経済発展を遂げた東アジア各国の国民経済が、今では、それを必要とする時代を終えて、経済の新たな発展段階に入ったということができるでしょう。しかし、なお、そこには拭いきれない残滓があります。日本の経済法(独禁法)をみると、地方と農村部に経済利益を再分配した社会政策的な官製談合が、公共工事の受注と天下りという官民結託による取引行為で汚染されている様子がみえてきます。2005年の今になっても、橋梁官製談合、成田空港官製談合、防衛施設庁官製談合が摘発されました。近隣に目を転じると、同じ視野に、行政独占の弊害(中国)と財閥(チボル)の横暴(韓国)という類似の課題がみえてきます。それらはアメリカン経済グローバリズムがそこから浸食しやすい脆弱部分となりつつあります。

われわれは、このような一見して遅れた課題を研究することが東アジア経済法の先端的な研究であると考え始めました。いずれ東アジアの市場は開放性と透明性を求められ、それがこの地域の人々の利益にもなるという時代がやってきます。しかし、それによって、東アジアの多様な「文化的ストック」が「経済的なフロー」により解体されることも懸念されます。市場原理の浸透が求められる時代と地域にこそ、その原理を制約する安息領域を構築する知恵も求められていると考えます。そのような意味では、我々の東アジア経済法研究は始まったばかりです。
稗貫 俊文