インド洋での海上自衛隊による給油活動継続の是非が争点となっている。燃料が目的外のイラク戦争に転用された疑惑や防衛省関係の不祥事も生じ、国会論戦は紛糾しつつある。
北村淳は、継続論が対米協力論に流されることを警戒し、「国益」本位で考えるべきだとする(1)。海上給油活動の最大の目的は、日本に石油を運ぶシーレーンの防御にあり、さらに、多くの国と「同盟」的な関係を持つことで、南シナ海での中国の動きを牽制(けんせい)する副次的効果もあると言う。
一方、田岡俊次によれば、アルカイダやタリバーンを封じ込めるには、今では「海上哨戒は意味を失っている」(2)。仮に日本が撤退しても、「孤立化」批判を恐れる米当局は殊更に問題にしないし、少額の給油ごときで日米安保にひびが入ることもない、と言う。給油問題は「会費1万円の政治家を『励ます会』に顔を出すか否か」という程度の問題であるとするのである。北村と田岡の結論は逆だが、日本にとっての利益を最優先しようとする姿勢は共通している。
集団的自衛権への視点
これに対し、民主党代表の小沢一郎は、集団的自衛権と集団安全保障とを峻別(しゅんべつ)する視点からこの問題にアプローチする論文を発表し、波紋を投じた(3)。「日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されない」と集団的自衛権を否定し、アフガンでの作戦に、ほとんどの国が「集団的自衛権の行使として」参加している以上、「日本が支援できるはずがない」とする。
ただし小沢の主張は、いかなる理由でも自衛隊の海外派遣には反対という、護憲派の一般的な議論とは異なる。「国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致する」とし、アフガン現地での警察行動とされるISAFや、スーダンPKOへの自衛隊派遣にさえ言及する。他国が独自に決定する自衛隊行使への協力と、世界の「警察官」たる国連による集団安全保障に加わることとは、根本的に異なるとするのである。
小川和久は、給油活動について、小沢とは違う位置づけをする(4)。ヨーロッパ諸国が、「NATO条約に基づき集団的自衛権の行使として」作戦に参加したことは彼も認めるが、「集団的自衛権や武力行使について国内のコンセンサスが得られていない日本」では、それは集団的自衛権の行使でなく、「国際平和協力活動や集団安全保障として考えるのが自然」と言う。ここで小川は、二つの概念を厳密に区別せず、活動を正当化する上での便宜を優先しているように見える。
もっとも、憲法に平和の理念を掲げる日本だからこそ、国際社会で責任ある行動が求められるという論点は、小沢と小川のいずれにもある。小川が危惧(きぐ)するのは、給油に代わる具体的な方策が実現せず、自衛隊の撤退が「日本の不在」を印象づけるだけに終わることである。小沢は先の提案に加えて、アフガンで井戸を掘る中村哲らの活動にふれ、「紛争やテロの根底にある」貧困の除去を通じた平和構築の可能性について述べるが、小川は井戸掘りのためにも治安回復が必要であるとし、議論は水掛け論になっている。
国際法的には、集団的自衛権はどう捉(とら)えられているか。国連憲章は、国連軍による集団安全保障を原則としつつ、各国の自衛権や集団的自衛権の存在も認めている。森肇志によれば、国際法学上、両者の関係を矛盾とする見方と、補完的とする見方とがある(5)。
補完説に立つとしても、集団的自衛権に「戦争を誘発しかつ拡大させる危険性、さらには集団安全保障体制を瓦解(がかい)させる危険性がある」以上、その扱いには慎重でなければならない。しかし森によれば、冷戦後の現在、二つの概念を区別することは実際には難しくなっている。湾岸戦争が集団的自衛権と集団安全保障のいずれの事例であったか決め手がなく、アフガン攻撃についても、集団的自衛権の行使を「批判する国家はほとんどない」のである。
憲法との調和に課題
もちろん、憲法問題は、国際法上の問題とは別に存在する。危険を伴う場所に自衛隊を送るとすれば、武器使用の局面も想定せざるを得ないだろう。安念潤司は、憲法9条にいう「武器の行使」に関する政府解釈の変遷を追う(6)。かつては、侵略などの特定の場合以外には武力行使は可能としていたが、ある時期から、原則として行使できないとの説明に変わったと言う。安念はこれを、米の過度の協力要請を断るための日本政府の「予防線」であったと解釈する。小沢の政治家としての思惑がどこにあるかはともかく、彼の議論の射程は、こうした線の引き直しにまで及びうる。
西側諸国との片面講和に反対し、吉田茂に「曲学阿世(きょくがくあせい)」と評された南原繁は、日本国憲法案を審議する帝国議会の際には、軍隊の保持を禁じる9条2項に反対の論陣を張った人物でもある。将来、国連の集団安全保障に参加できなくなることを恐れたのである。以来60年余を経て、なお集団安全保障は実現していない。自衛隊や同盟的な関係、世界的な集団安全保障体制、そして非軍事的な平和構築などをどう関係づけるか。答えはまだ出ていない。
今月の注目論文
- 北村淳「テロ特措法論議は対米協力問題ではない」(正論11月号)
- 田岡俊次「『給油をやめると日米同盟は危うい』は本当か?」(世界11月号)
- 小沢一郎「今こそ国際安全保障の原則確立を」(世界11月号)
- 小川和久「『テロ特措法問題』の本質。」(潮11月号)
- 森肇志「国際法における集団的自衛権の位置」(ジュリスト1343号)
- 安念潤司「日本国憲法における『武力の行使』の位置づけ」(ジュリスト1343号)
- 「特集 温暖化の真実―環境問題の発見」(現代思想10月号)
- 鷲谷いづみ「セルロース系エタノールへの期待」(科学10月号)
- 青沼陽一郎「中国産“毒菜”がいやなら、もう日本人は飢えて死ぬしかない」(諸君!11月号)
- 柳原三佳「変死体に『犯罪』は隠されている」(論座11月号)
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