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C'ville日記
[2000年3月〜9月/10月〜2001年7月]
  

2000年3月から2001年7月にかけて、米国University of Virginia School of Lawにて在外研究に従事するために、Charlottesville (こちらの人はC'villeと略記します)に家族と一緒に滞在しました。私にとっては、1989年〜1991年のUniversity of Michigan Law Schoolへの留学以来のアメリカ長期滞在となりました。このページは、研究面を中心にその様子を折に触れて書いてきたものです。帰国にともない、一応終了いたしますが、後日、若干の整理をして最終的に完結ということにしたいと思います。ご愛読いただいた皆様、どうもありがとうございました。  

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ファイルが大きくなってきましたので、2000年3月〜9月分はまとめて別ファイルにしました(12/15/00)。ココをクリックしてください。

Last Updated: July 20, 2001



2000年3月〜9月の「C’ville日記」についてはこちらをご覧ください。
  

 2000年 [3月〜9月]  10月  11月   12月   2001年 1月   2月   3月   4月  5月   6月  7月


2000年10月
3日(火) 大統領ディベート(第1回) @University of Massachusetts, Boston, Massachusetts
 ブッシュが嫌がっていたテレビ・ディベートが、いよいよ始まりました。どちらが勝ったかという問いがよくなされますが、このイベントは「ディベート」という名称はついているものの、実質は"joint press conference"だといわれることもあるとおり、議論の中身で勝敗を決するような性質のディベートではないように思います。
 そもそも、この90分のディベートで政策の優劣を判断して、それをどちらの候補者に投票するかを決めることは難しいように思います(日本だと大学ESS等が行っている"academic debate"では、必ず勝敗を決定しますが、それはあくまでも議論教育上の勝敗であって、実際の行動に結びつくわけではありません)。とくに、ゴアは数字をちりばめた政策論を駆使して、政策通だとの印象は受けましたが、その議論が正確であるのかは証拠も示されないのでとても判断できませんし、ブッシュも、ゴアに対して"fuzzy math"を使って有権者を怖がらせようとするなという程度の反論(?)しかできていなかったので、なおさらです。(Nightlineのあのテッド・コッペル氏でさえ、後日、CNNのLarry King Live に出演して「数字を使った議論についていくことは難しかった」と正直に告白していたので、私もほっとしました。)それに、ディベート後の報道によると、ゴアは単純な事実についても誤りや誇張を述べていたということですので、ますますこのディベートだけから政策の優劣を判断するというわけにはいきません(ゴアは"serial embellisher"と呼ばれることもあります)。さらにいうと、政策の優劣がポイントなのであれば、大統領候補者によるディベートである必要はないわけですし。結局、このディベートの意義は、どちらの候補者がより「大統領の器」であるかを見極める機会を有権者に与えることにあるということになるのだと思います。
 そういう観点からこのディベートを振り返ってみると、このディベートは「ドロー」ということになるように思います。ゴアは、政策に通じているとの印象は受けましたが、ブッシュが話している最中のアノ態度(rolling his eyeballs、ため息)や、必ず自分が最後に発言したがる態度など、みっともないように思えました。他方、ブッシュは、最も得意とする教育問題で提言しているvoucher制度の問題点をゴアから指摘されてもまともに答えていませんでしたし、政策面では弱いところがあるのは明らかでしたが、政策面で弱くても、大統領になれば回りに優秀なスタッフがいるわけですし、少なくとも、ゴアよりは明らかに「好人物」という印象を与えていました。まあ、「大統領の器」という点からいうと、どっちもどっちで引き分けかなと思うわけです。もっとも、ブッシュは、このディベートで再起不能のダメージを受けるのではないかと思われていたので、その意味では予想外によくやったといえ、その意味ではブッシュが勝ったといえるかもしれません。
 ちなみに、このディベートのトランスクリプトはCommission on Bipartisan Debates のホームページでみることができます。なんと、そのなかには「日本語訳」まであります。自動翻訳ソフトで訳したものだそうで、いきなり「ボストンのマサチューセッツの大学のクラーク運動中心からのよい夕方」と始まります(原文は、"Good evening from the Clark Athletic Center at the University of Massachusetts in Boston".)。笑えます。

なお、このディベート前に互角であった、両陣営の支持率は、ディベート後も変っていません。

4日(水) "Comparative Law" のゼミで、20名の学生たちが課題であるレポートのテーマをごく短く説明しました。現実の社会における具体的問題に意欲的にアプローチするものが多く、日頃から社会に対して関心を持っていることがよく分かります。どちらかというと人権法・刑事法のテーマ--正義感情に直結するテーマというと語弊があるでしょうか--を選んでいる学生が多いです。日本における民法の授業でも、広い視野から社会現象の法的分析に取り組む授業もしたい反面、学部レベルである程度テクニカルな解釈論を身に付ける授業をしなければならないという側面もあり、バランスの取り方が難しいところです。なお、この授業は、比較法の授業ですから、大抵の学生はアメリカ法と他の国の法を比較するレポートを書くわけですが、それぞれの学生のエスニシティと選択した外国法が対応関係にあるというのも、おもしろかったです(外見から判断したかぎり、Caucasianはヨーロッパ、African-Americanはアフリカ、Indian-Americanはインド、Korean-Americanは韓国を比較対象に選ぶなど )。
5日(木) 副大統領ディベート  @Centre College, Danville, Kentucky
共和党のチェイニー候補と、民主党のリーバーマン候補のディベートが行われるのは、この一回だけです。随分と和やかに大人の雰囲気で進みました。両陣営の大統領候補よりも、この2人の方が「大統領の器」(presidential)だと思ったのは、私だけではないようです。大統領ディベートはあと2回ありますが、ブッシュにもゴアにも見習ってほしいものです。
■11日(水) 今日から15日(日)まで、ロースクールの授業は休み(Fall Break)です。この時期、学生たちのロー・ファーム等との就職インタビューのために全米各地を飛び回るわけですが、どうやらこの休みはそのために設けられたもののようです。日本でも、学生の就職活動のために学部4年前期の授業が成り立たないという現象が問題になっていますが、アメリカのロースクールでも同様の問題があるということのようです。先月、ハーバード大学から集中講義でいらしていたムヌーキン教授も、ハーバードでも同じ現象があって、授業に差し支えるようなインタビューのスケジュールを組むロー・ファームに対しては、大学施設を用いたインタビューを以後認めないという措置をとったそうです(ロースクールは職業学校という側面が強いので学生の就職支援に熱心で、インタビューのために、大学施設をローファームに提供しています。バージニアでもインタビュー用の部屋がたくさん用意されています)。

大統領ディベート(第2回) @Wake Forest University at Winston-Salem, North Carolina. 
第1回のディベートで、議論の中身では勝っていたとしても、態度がirritating, annoyingとの評価を得たゴアも、今回は極端に抑制のきいたパフォーマンスでした。しかし、前回とはがらりと変ったゴアの態度に、「どれが本当のゴアだ?」というコメントがマスメディアでは投げかけられています。私が思うに、前回のゴアが本当のゴアです。今回は無理をしているだけです。(当たり前ではありませんか!(^^;;)。 議論の中身は、ブッシュは終始リラックスはしていましたが、議論の中身は受け売り的で、私は当然ゴアが勝っていると思ったのですが、世論調査では今回のディベートは、ブッシュが勝ったという評価が一般的のようです。そういわれて、ビデオを見直してみると、たしかにゴアは抑制が効きすぎていて、ブッシュの方が際立っていたかもしれません(私はCNNで放送を見ましたが、ブッシュの方がテレビに写っている時間が長かったという印象さえあります)。

両候補の支持率は、このディベート後、ブッシュが若干リードしているようです。

■13日(金) 学生のゴスペル・グループのコンサートに行ってきました。冒頭に、これはコンサートではなくて、神に祈りを捧げる礼拝だとの説明があって、キリスト教徒ではない私たちは困ったことになったと思ったのですが、何の事はない、「だから皆さん一緒に歌って踊ってください」ということでした。
■14日(土) シェナンド−ア国立公園にドライブ。紅葉がきれいでした。このシェナンドーア渓谷は、ジョン・デンバーの曲「カントリー・ロード」にも出てきます。
16日(月) Panel Discussion, Law and Religion in America: TheHistory of the Mormon Community (featuring Barry Cushman (Virginia), Sarah Gordon (Penn), Charles McCurdy (Virginia))
モルモン教が現在のユタ州の地において実践していた一夫多妻婚(polygamy)が、19世紀における連邦の拡張とともにどのようにして封じられて言ったかという話でした。共和党は設立当初、「奴隷制度」と並べて「一夫多妻婚制度」の廃止を目玉政策としていたそうで、南北戦争後の南部の再編入(Reconstruction)とユタ州の再編入(?)の比較、白人キリスト教徒であるモルモン教徒とインディアンに対する扱いの比較など面白い話もありましたが、歴史がよく分からないので、十分にフォローできなかったのが残念でした。

ところでこのパネル・ディスカッションは、ペンシルバニア大学のゴードン教授が執筆中の本を題材としたものでしたが、パネル・ディスカッションの進め方は、まずコメンテーター2人が合わせて45分ほど本の紹介とあわせてコメントをしたあとに、ゴードン教授がコメントに対する応対をするというものでした。こういう進め方は、予めペーパーが用意されている場合にはなかなか効率的かもしれません。]

なお、バージニア大学ロースクールは、「法と経済学」が非常に強いことが特徴ですが、「アメリカ法史」でも強力なファカルティが揃っています。パネリストであったCushman, McCurdyのほか、Edward White, Michael Klarman教授などがいます。とくにホワイト教授は、多くの著作が賞を受けている博識な方です。Creating the national pastime: baseball transforms itself, 1903-1953. などという野球の関する著作まであります(関係ありませんが、日本法制史がご専門の新田一郎先生が『相撲の歴史』という面白い本を書いておられます。)次学期にはホワイト教授の授業があるので、ぜひ受講してみたいと思っています。

(余談:バージニア大学が強い分野として、もう1つ"National Security Law"(安全保障法!)という分野があります。また、ロー・スクールの隣には、"Judge Advocate General School"という軍の法律家教育機関があります。バージニア大学のホームページにも登場しない謎の施設です。そんなこともあって、ロースクールでも制服組をたくさん見かけます。【11/26/00追記: このJAG Schoolは、大学とは別組織なのだそうです。実質的には同じキャンパスのなかにあるのですが。】)

17日(水) 大統領ディベート(第3回) @Washington University in St. Louis, Missouri
大統領ディベートの最終回が行われました。第1回は伝統的なpodiumに両候補が立って発言する形式、第2回は、テーブルに並んで着席して発言する形式、今回はtown meeting 形式でした。ゴアは、第1回ほどではありませんでしたが、少し bully の側面を見せていましたが、まあ許せる範囲なのかもしれません。ブッシュは、人柄が誠実だといわれますが、どうも、deflectiveな発言の仕方をみていると、それも演技にみえてきます。最初の方の発言で健康保険がらみの政策について、ゴアとの違いを問われたブッシュは、"the difference is is that I can get it done.  That I can get something positive done on behalf of the people.  That's what the question in this campaign is about.  It's not only what's your philosophy and what's your position on issues, but can you get things done?  And I believe I can." と述べていましたが、こんな発言にアメリカの国民は納得するのでしょうか。「何を」成し遂げられるかが大事ではありませんか、全く。他方、たとえばクリントン大統領が中東和平に向けて間に立って交渉の手助けをしているような役割をゴアが果たせるかどうか、人柄からみると不安が残ります。 〔注意:以前にも書きましたが、大統領選関係のコメントは単なる居酒屋政談としてお読みください。〕

ところで、民主党の副大統領候補リーバーマン氏は、現在、コネチカット州の現職の上院議員ですが、この議席についても大統領選挙と同時に選挙が行われることになっています。彼は、何と、こちらの選挙にも重複して立候補しているのだそうです。副大統領になれない場合の保険をかけていることになりますが、こんな自信のない態度で大統領選挙に挑むこともこの国では許されるのか感心しました。

20日(金) Faculty Workshop:Robert E. Scott, The Limits of Behavioral Theories of Law and Social Norms 
ごく簡単にまとめますと、法規範が人々の行動に対して与える影響については、法と経済学・合理的選択理論が用いる「インセンティブ」に着目する分析に加えて、規範の内在化(internalization)による「選好(preference)」に着目する分析が近年アメリカで興隆している行動科学(認知心理学等)を用いた社会規範研究において盛んになってきていますが、後者はコンテクスト依存性が強いために一般論を展開することが難しく、法制度設計に用いるには限界があるという話でした。こんな簡単にまとめてしまうとまずいのでしょうけど。
■24日(火) 10月31日はハロウィーンです。パンプキンで jack-o-lantern を数日前に作ったものの、少し早く作りすぎたせいか、カビが生え初めてきて、ハロウィーンまで持つか心配していましたが、本日、自分の重さに耐え切れなくなって陥没して崩壊してしまいました(^^;;
■29日(日) 今日で夏時間が終了です。時計を1時間戻しました。パソコンは自動的に夏時間に対応してくれました。
■31日(火) ハロウィーンです。先週末から子どもたちがtrick-or-treatをする催しがいろいろとあって、子どもがお菓子ばかりを食べていますが、今日がtrick-or-treatの本番です。バージニア大学の中心にあるRotundaと呼ばれる一角には、芝生を囲む形で学生寮があり(ちなみに、この寮の建物はとても古くて、決して快適とはいえないのですが、成績優秀者しか入れない寮とのことです。)、そこに住む学生たちがたくさんのお菓子を用意して町の子どもたちを迎えてくれます。わが家も仮装して出かけてきましたが、大変な賑わいでした。集まったお菓子の他にも、自分の家に近所の子どもが来たときのためのお菓子の残りが大量にあり、これらをどう処分するかが難問です。


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2000年11月
1日(水)〜7日(火) 11月1日〜4日 Centennial World Congress on Comparative Law @Tulane University, New Orleans 

1900年にパリで開催された比較法会議の百周年を記念した比較法会議が開催されました。扱われたテーマは、比較法の意義や方法論に関わる一般的なもので、若干盛り上がりに欠けたように思いましたが、錚々たる人たちが集まっていましたし、旧友との再会があったりして楽しめました。

(余談 その1:飛行機と山火事) 1日は開会式だけの予定だったので、1日の夕方にニューオリンズ入りする予定で飛行機を予約していたのですが、飛行機の出発が3時間半も遅れてしまい、ホテルに着いたのは深夜でした。遅延の理由:パイロットがいない! いったん飛行機に乗ってからパイロットがまだ到着していないとのアナウンスがあるというお粗末でした。航空会社はユナイテッド航空でしたが、アナウンスでは、「ユナイテッド航空は大きな会社で、複雑なオペレーションなので、パイロットのやりくりが大変。どうかご理解ください」というような趣旨のことを言っていました。子どもがお遊びでやっているような会社です。なお、帰りもユナイテッド航空でしたが、こちらはとてもスムーズなフライトでした。 ところで、飛行機はシャーロッツビル空港ではなくて、ワシントン・ダレス国際空港を使ったのですが、1日にそこに自動車で向かう途中、霧のように煙が立ち込めている地域がありました。後日知ったのですが、シェナンドーア国立公園で山火事が起きたのだそうです。7日に帰ってきたときも、まだ煙は収まっていませんでした。

(余談 その2:観光) 会議終了後2日間は、ニューオーリンズにとどまって家族と一緒に観光をしました。ニューオリンズといえば"ジャズ"ですが、フレンチ・クォーターという一角にあるバーボン通りには、生演奏の店がたくさん並んでいて、しかも、店に入らなくても外から音楽を聴くことができます。ジャズばかりというわけではなくて、いろんな音楽をやっていました。生演奏は迫力がありました。また、滞在中はケイジャン料理ばかりを食べていましたが、Gumboというスープ、これはいけます。

(余談 その3:大統領選挙) 7日(火)は大統領選挙の日です。この日は帰宅してから、深夜の4時過ぎまで起きて、テレビを見ていましたが、ブッシュとゴアのどちらが大統領になるのか、結局まだ明らかにならないほどの接戦です。実は、途中でうたた寝をしてしまって、ふと気付くと、テレビでは"Gore Retracts Concession"との表示が出ていました。一度ブッシュ当確の報道がなされ、ゴアがブッシュに祝福の電話をかけたあとで、フロリダ州での開票が僅差すぎるということで、2度目の電話をかけて、さきほどの祝福を撤回したとのことのようです。この二人は本当に相性が悪いようです。

9日(木) 大統領選挙の結果はまだ明らかになりません(マスコミでは"History on Hold"という表現が使われています)。フロリダ州がどちらの候補に転ぶかで次の大統領が決まる状況になっていますが、同州では僅差(327票差!)のための再集計に時間がかかっています。また、在外選挙権者から郵送されている不在者投票が到着するまで待たなければならないため、11月17日まで最終的な結果は分からないとのことです。

そればかりか、フロリダ南部のパームビーチ郡で使われた投票用紙が紛らわしいものであったために、ゴアに投票したつもりが改革党のブキャナン候補への投票として数えられたり、無効票となってしまったとする主張がゴア支持者からでて、混乱が続いています。たしかに、パームビーチでは他の地域と比べてブキャナンの得票数が異常に突出して多いですし、無効票も多いです。(投票用紙が、全米規模はおろか、州レベルでも統一されていないというのも驚きです。しかも、パームビーチ郡の投票用紙はフロリダ州の定める様式に沿っていない違法なものであったという話もあります。) ブッシュ陣営は、この投票用紙は過去にも用いられてものであることや、民主党も事前に機会があったにもかかわらず投票用紙を承認していたことを指摘して、ゴア陣営の引き際の悪さを批判していますが、ゴア陣営は法廷闘争を辞さない姿勢を示しています。

なお、以前のブッシュ政権で重要な役割を担った閣僚たちの多く(副大統領候補になったチェイニーをはじめ、パウエル、スコウクロフト等々)が、今回の選挙でも活躍していましたが、元国務長官のジェームズ・ベーカーの姿が見えないと思っていましたら、土壇場でブッシュ陣営側の弁護士として登場してきました〔1992年の大統領選挙の時に国務長官の職を辞して選挙戦の指揮をさせられたことから、ブッシュ家との関係がぎくしゃくしていたといわれます〕。相変わらず風格があります。フロリダ州の再集計等を目を光らせることになります。ちなみに、民主党側のリーガル・チームを率いるのは、これも(クリントン政権の初代)国務長官を務めたウォーレン・クリストファーです。スター・ウォーズ風に言えばオビ・ワン・ケノービ級の二人の衝突です。

ロースクールでもこの話題で持ちきりで、今日のComparative Lawのゼミは、授業開始前の学生のおしゃべりに先生が巻き込まれて、急遽「比較選挙制度」がテーマとなってしまいました。

それにしてもアメリカの選挙でこのようなことが起こるとは思いませんでした。友人(留学生)の一人、は国連の選挙監視団が必要ではないかとアメリカの学生に言って顰蹙を買ったそうです。

■21日(火) 週末にウィンドウズが起動できなくなり、結局、ウィンドウズの再インストールを余儀なくされたのですが、何とか復活しました(日本にも電話をかけたりして、何人かの方をお騒がせしてしまいました。どうもありがとうございました!)。ファイルのバックアップをきちんととっていたなかったので、本当にどうなることかと思いましたが、幸いなことに、自分で作ったファイルは大部分が生き残ってくれたようで、ほっとしています。バックアップの重要性を改めて実感いたしました。
■23日(木)  今日はThanksgivingで、七面鳥の丸焼きに挑戦しました。中に詰めるスタッフィングには、パン、セロリ、クランベリー、リンゴを使い、4時間半ほどオーブンで焼きました。仕上がりは、なかなかの出来だったと思うのですが、食べるときに肉を切り分ける作業には技を要することを発見しました。何人かの友人に来ていただいて一緒に食べました。

ところで、このThanksgivingはもともと1620年にマサチューセッツに移民してきたPilgrim Fathersが秋の実りをインディアンとともに祝ったのが始まりで、アメリカの歴史教育では、まるで彼らがイギリスからの最初の移民たちであったかのような印象を受けるほど、彼らの存在は強調されます。でも、実際には、1607年からすでにバージニア州のジェームズタウンにイギリスの植民地があったわけで、なぜPilgrim Fathersばかりが大きく取り上げられるのか不思議に思っていましたら、それは宗教上の迫害を逃れて新大陸にやってきたというPilgrim Fathersたちのストーリーの美しさによるところが大きいとCushman教授が教えてくれました。ジェームズタウンの植民地を築いたのは「バージニア会社(Virginia Company)」という商事会社なのです(^^;;

■24日(金) スピルバーグの映画『アミスタッド』をビデオで見ました。1839年に奴隷貿易船アミスタッド号でおきた反乱をめぐる裁判をめぐる映画です。アンソニー・ホプキンス演じるジョン・クインシー・アダムズ元大統領が、合衆国最高裁で弁論を行うシーンは圧巻でした。(cf. Findlawの"The Amistad"ページには、判決United States v. The Amistad, 40 U.S. 518 (1841) やリンク集があります。)

さて、大統領選挙は、投票日から2週間以上たつものの、いまだにフロリダ州の開票結果が固まりません。当初は、一部の郡で用いられたbutterfly ballotという投票用紙に問題があるとされ「再投票」を求める動きがみられましたが、いまは、パンチカード形式の投票用紙のなかにきちんと穴が空かずに機械で読み取れないものがあることを理由として、機械ではなくて、手作業による「再集計」を求める動きに焦点が移っています。この過程で裁判所が果たしている大きな役割は、実に印象的です。12月1日には合衆国最高裁でも弁論が開かれます。
 なお、不在者投票--多くが海外にいる軍人からの票で、彼らは伝統的に共和党支持が多いようです--のなかに形式面で不備のあるものをカウントしないとする決定がなされ、ブッシュ陣営が攻撃しています。「アメリカを守っている軍人の投票を認めないのか!」ということですが、投票者が軍人かどうかで答えが変わってくる二重の基準を採用しろとでもいうのでしょうか。

■29日(水) アパートの階上でボイラーが破裂したとかで、水漏れ事故発生。幸い、天井から水が滴り落ちる状態にはならず、建物の構造内を通って落ちた水が、床下から浸みだしてきて、カーペットが水浸しになりました。アパートのマネジメント会社はすぐに対応してくれましたが、このような事故は毎週起こっているのだそうです。おいおい。家中でも靴をはいたまま生活するので鷹揚なのでしょうか。【金曜日まで大型ファンを2つ回しぱなしにして、ようやく乾きました。】 この日の夕食はとても自宅でとれる状況ではなかったのですが、スイスから来ているPeterとDechenが食事に呼んでくれました。友情に感謝。


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2000年12月
1日(土) 大統領選挙のその後 フロリダ州の各郡が集計結果を州務長官に提出する期限をフロリダ州最高裁が延長したことが、司法権の逸脱であったかどうかについての口頭弁論が合衆国最高裁でなされ、音声のみですが、その模様が放送されました(合衆国最高裁の口頭弁論が音声のみとはいえ、放送されるのは初めてのことだそうです)。事実審理を行うtrialは、ニュースや映画でもすでにお馴染みですが、法律論の戦いのみが繰り広げられるappelate courtは、ギリギリとした知性の衝突--上訴人・被上訴人の弁護士のみならず、矢継ぎ早に質問を放つ裁判官も含めた「三つ巴」、いや、裁判官同士もぶつかり合いますから「バトルロワイヤル」です--の迫力があります。
 
ところで、アメリカのロースクールで行われる模擬裁判(moot court)も、このappelate レベルでの議論がなされます。日本の大学で行われる模擬裁判との違いとして、私はこれまで日本の模擬裁判は「劇」だが、アメリカでは「シナリオのない競技」だということを言ってきましたが、日本では証人尋問の場面にクライマックスを求める「模擬事実審」であるのに対して、アメリカでは「模擬法律審」だということも強調しなければなりません。実務教育という観点からは「事実審理」も大事であることはもちろんですが--アメリカのロースクールでもtrial practiceについての授業があります--、法律学の基礎固めという観点からは、まず「法律審」かな、という気もします。
4日(月) Olin Student Lunch Discussion, Ed Kitch "Can the Internet Reduce Transaction Costs Enough to Matter?"
Kitch教授の論文"Can the Internet Shrink Fair Use?" (78 Neb. L. Rev. 880 (1999))に基づく報告。日本にも日本複写権センターがありますが、アメリカでもCopyright Clearing Center (CCC)という機関のサイトが、さまざまなコンテンツの複製に関するサイトライセンスを提供していますので、コンテンツの使用許諾を得るための取引費用はミニマルになりつつあります。「フェアユース」が、取引費用との兼ね合いでいちいち許諾を得るのが経済的に見合わない著作物使用を認めるためにあるのだとすれば(Wendy Gordon説)、CCC等による取引費用縮減は、「フェアユース」の範囲をも縮減することになるのではないかという問題を扱いました。結論としては、(academic discount 等の価格設定や許諾条件の遵守についての)モニタリング費用が残るので、インターネットによる取引費用縮減は、フェアユースを縮減するには不十分--「取引費用」はもっと具体的にみる必要がある--というものでした。明示的には述べていませんでしたが、American Geophysical Union v. Texaco, Inc., 60 F.3d 913 (2d Cir. 1994); Princeton Univ. Press v. Michigan Domument Servs., Inc., 99 F.3d 1381 (6th Cir. 1996)に対する批判ということになろうかと思います。 
6日(水) 授業は今週でおしまいです。街角では、屋根にクリスマスツリー用の木をくくりつけて運んでいる自動車をよくみかけるようになりました。
 
今期聴講したCushman教授American Legal Historyは、実に有益な授業でした。18世紀末から19世紀半ば(南北戦争前)までを対象としたアメリカ私法史の授業でしたが、とくに産業化の度合いや奴隷制度の存続をめぐる南北の対立がアメリカ私法に及ぼした影響がよく分かりました。外国法を研究するためには、その国の社会・歴史に対する深い洞察が必要であることを改めて実感しました。(なお、こんな面白い判決も知りました。)
 
Stephan教授Comparative Law は、もともとは「ソビエト法」の授業であったものが発展的に解消していまの形になったものだけあって、新鮮な比較法でした。旧社会主義諸国に対する市場経済の導入における法制度の役割あるいはイレレバンシーについての議論(これは、開発法学の視点から重要な議論ですし、国家法によらないprivate orderingの視点からも興味深かったです)、法制度のシステム間競争による法発展の視点(これは、国際的法統一作業に対する批判に通じます)など、必ずしも賛成できないものの新しい知見を得ることができました。今日は、夜にStephan教授の御自宅で夕食をいただきながらのゼミ開催となりました。
■14日(木) 眼が覚めると、昨晩降った雨が凍り付いてダイナミックな樹氷になっていました。自動車の窓にも分厚い氷が張りついていて、札幌と金沢の冬に慣れているはずの私たちもびっくりしてしまいました。実は、今日からボストンに家族とでかける予定でしたが、子供が熱を出してしまって残念ながら中止です。そのかわり、子供の病院帰りにBoston Marketなるファスト・フード店で昼食をとりました(^^;;。 (リンクをはるほどのことでもないのですが)

大統領選挙は、12日午後10時に下された2つ目の合衆国最高裁判決(再集計を命じたフロリダ州最高裁の判決を破棄差戻)をうけて、昨晩13日ゴア副大統領がconcession speechを行いました。Concession自体には何の法的効果もないはずですが、これで事実上、ブッシュ氏が第43代合衆国大統領ということになります。CNNとABCでその報道を見ましたが、華やかなファンファーレもなく淡々とした報道ぶりで、ようやく終わったという解放感がアンカーたちの表情ににじみ出ていました。

今回の一連の騒動、そのなかでもとくに合衆国最高裁が果たした役割や選挙人制度をめぐっては、今後多くの研究があらわされることになると思います。考えようによっては、こういう異例の大統領選挙が行われた年にアメリカに滞在できたのは幸運だったかもしれません。でも、憲法論や連邦制度論の前に、アメリカにはまず何よりも2004年までにパンチカードによる投票制度を何とかしてほしいものです。

■21日(木) 「産業構造審議会情報経済部会第ニ次提言案」に対するパブリックコメントを提出しました。
■23日〜25日(土〜月) ロースクールの図書館は、この3日間、クリスマス休みです。23日は、子どもの友達の家族に来ていただいて、パーティをしました。caponという鶏の丸焼きに妻がチャレンジ。なかなかの味でしたが、私が作ったアップル・パイは火の通りが悪くて失敗。底のパイ生地にまで火を通すにはどうしたらよいのでしょうか。

しばらく前に子どもに、サンタクロースに何のプレゼントをお願いしたいか尋ねたところ、すかさず「フライパン!」という返事が返ってきました。どきどきしながら目の覚めた25日朝、サンタさんは願いを聞いてくれていました。

■26日〜27日(火、水) 1泊2日でワシントンDCへ。スミソニアンの航空宇宙博物館自然史博物館アメリカ歴史博物館をみました。歴史博物館の、第2次世界大戦中の日系アメリカ人の強制収容に関する展示コーナーは良かったです。子どもがちょうど寝ていてくれたので、ゆっくり見ることができました。強制収容経験者の話がビデオで流れていたのですが、皆さん"scarely" とか言いながら見ていました。また、今回のワシントン訪問では、まだクリスマス飾りの施されたホワイトハウスの中も見たかったのですが、列のあまりの長さに断念。寒風のなか、2時間も屋外で待つのはちょっと無理。帰りに、韓国系のHan Ah Reumというスーパーで買出しして帰りました。(韓国ロッテ製の『カスタード・ケーキ』を買ったのですが、日本で売られているものよりもしっとり感が少なく、なかのクリームも硬いように思いました。嗜好の違いなのでしょうか。)
■31日(日) 大晦日は、シャーロッツビルのダウンタウンで行われるVirginia First Nightという催しを見に出かけました。夕刻から各種コンサートやマジック・ショー等が行われます。息子はアフリカン・ドラムのコンサートが気に入り、一緒に出かけた友達と一緒に、文字通り狂喜乱舞しておりました。そして、新世紀へのカウントダウンは、花火の打ち上げを見ながら・・・。 


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2001年1月
■1日(月) 明けましておめでとうございます!
元旦は、日本から送ってもらったおもちでお雑煮をいただきました。

テレビでは、もちろん、『2001年宇宙の旅』を放映していました。

2日(火)〜10日(水) アメリカでは、さすがに元旦は休みですが、小学校等はもう2日から始まっています。でも、この間、お客さんに来ていただいたり、お呼ばれで友人宅にお邪魔したり、それなりに新年ムードであります。ちなみに、ロースクールも、図書館が今週いっぱいは夕方5時までしか開いていないなど、まだ完全な始動態勢には入っていません。

21世紀最初の大失敗 サンフランシスコでは、3日〜6日にかけてAssociation of American Law Schools (AALS) の年次大会が開かれていました。年末年始の予定をたてていた段階では、あまり興味のあるセッションがなかったので参加しないことにしていたのですが、なんと、4日午後には、"Perspectives On The Uniform Laws Revision Process"というセッションが開かれ、錚々たる面々を集めてUCCやUCITAをめぐる議論などもなされていたようです。これは迂闊でした。いったいいつの間に決まったのでしょうか。急遽、サンフランシスコ行きの飛行機を探してみましたが、安いものでも往復2500ドルほどするので断念。でも、幸い、バージニア大学からはScott先生がパネリストとして参加されていますので、そのうち様子を聞いてみようと思います。このセッション自体は、Minnesota Law Reviewに近いうちに掲載されるようです。

■13日(土)〜21日(日) この間、休暇を取ってちょっとpilgrimage(?)。帰ってきたら、授業が始まっていました。今学期は、授業は聴講せず、研究に専念します。

■20日(土) とうとうブッシュ新大統領の就任です。旅先の宿で、就任式を見ました。

22日(月) Student Scholarly Lunch Series, John Harrison, "No One for President"
合衆国憲法の起草者は、先般の大統領選挙をめぐるような事態は想定しておらず、その解決は憲法第2条の解釈からは導けないというような話でした。Harrison教授は、昨年の大統領選挙をめぐる混乱の際に、何回かABC放送のNightlineにも登場していたました。

ちなみに、その頃、NBCではミシガン大学のRichard Pildes教授がよく登場していましたが、ミシガン大学ロースクールに留学していたときに、Pildes教授のアメリカ法思想史についての授業をとりました。大変有益な授業でした。

25日(木) Robert Gordon (Yale), "Critical Legal Studies: Dead Horse or Live  Ghost?"
CLSに関与していたGordon教授による講演。CLSは消えたが、一定の影響は残したという話でした。話好きの愉快な方という印象でした。
30日(火) Chair Lecture, Paul Mahoney, 1929 And All That: Revisiting the New Deal Securities Reforms
このロースクールでは、チェア・プロフェッサーに就任した教授が、記念講演をするのが慣例になっているようです。今日は、Brokaw ProfessorになったMahoney教授による講演でした。この方は、奥さんもロースクールの教授ですが、聴衆のなかにはその奥さんと、小学生くらいのお子さん(多分)もいました。話は、1929年の大恐慌(Black Tuesday)のイメージは後年になってつくられたもので、当時の新聞をみても、そんなパニック状態の新聞とは思えない平穏なものであったこと、とくに自殺者が増えた気配もないという話から始まりました(高校時代に課題で調べたのだそうです)、これのどこがlegalなのだろうと思っていましたら、途中で話の展開が分からなくなってしまいました。下記をご参照下さい。UVA School of Law Websiteの、"News Aroung the Law Ground"というセクションからの引用です(<http://www.law.virginia.edu/> visitied 2/5/01)。
"The conventional notion that the stock market's infamous crash in October 1929 was caused by its own corrupt habit of withholding critical information from investors, or flat out lying about it, is "demonstrably  false, "according to professor Paul G. Mahoney, who went on to demonstrate the point in a lecture to a packed house in Caplin Pavilion January 29.

The standard explanation exists because President Franklin D. Roosevelt needed a villain to blame for the agony of the Great Depression, Mahoney said. Wall Street was a plausible culprit and it neatly suited Roosevelt's New Deal agenda for proving the social instrumentality of the federal government. Securities reforms convinced the public, to this day, that markets that are not strictly regulated are indeed dangerous.

In fact, before the crash companies issued audited financial statements and banks in particular read them closely. The crash itself was not a single catastrophe but a deteriorating series of declines, interrupted by a healthy rebound in stock values that even convinced such savvy investors as John Maynard Keynes to buy in heavily. And, in fact, investors at the time of the crash, taken as a whole, can be shown to have acted with a sober understanding of stock values.

Financial historians have advanced three basic theories for the state of the stock market at the time of the crash. One argues that stocks were fairly priced given earnings expectations for 1929 and that policy blunders by the Federal Reserve steered the nation into deflation. A second implicates the Fed but points to its earlier actions creating unsustainable levels of credit in the economy. The third, Keynes's, argues that human nature had caused a bubble in prices, a state in which values become detached from anticipated future earnings.

"None of these explanations involves chicanery or misbehavior by financial intermediaries or poor disclosure by companies," Mahoney said. Rather it was contemporary policymakers and the press who were misguided about stock prices and in their misunderstanding is the root of subsequent market regulation. Indeed, scholars now see informational efficiency as characteristic of markets as far back as London's in the 1600s "The classic picture of investors as an impetuous, imprudent and unsophisticated lot who were saved from themselves only by the intervention of an enlightened group of regulators is not merely wrong -- it's absurd," Mahoney said.

He posited three likely factors behind regulatory growth. One is public choice: legislators "sell" regulation to producers at the expense of consumers. Mahoney's current research explores public choice explanations for securities regulation. A second, related factor is the tendency of expanding government power to coincide with the increasing cartelization of its economy. The Securities and Exchange Commission clearly established the government as a gatekeeper whose decisions canmean prosperity or extinction for a business. After its creation Wall Street would never ignore Washington as it had so blithely before the Crash of '29. The third factor is human nature itself.
Research in cognitive pyschology, Mahoney noted, finds that people commonly make elementary logical errors. Could public opinion be persistently illogical too? "Is the entire regulatory state as we know it the consequence of human irrationality?" Mahoney asked.

Mahoney spoke as part of the Law School's Chair Lecture Series, in which new holders of endowed academic chairs lecture on an area of their expertise. Already the holder of the Albert C. BeVier Research Professorship and the School's associate academic dean, Mahoney is now the holder of the Brokaw Professorship in Corporate Law as well."


■Greg Winter, "Jury Awards Soar as Lawsuits Decline on Defective Goods" NYT 1/30/01 pp.A1 & C4
90年代の不法行為法改革の結果、原告側弁護士が慎重になって、アメリカのPL訴訟の数は減っているが(過去4年で半減)、勝訴率も上がり、賠償額も高額になっているという調査結果。訴訟数の減少は、expert witnessの厳重な信頼性確保が必要となって、その費用も上昇しているからということのようです。賠償額が高額になっているのは、企業に対する陪審員の不信感が総じて高まっているからかということのようです。


2000年 [3月〜9月]  10月  11月   12月   2001年 1月   2月   3月   4月  5月   6月  7月

 2001年2月
4日(日) Lori Montgomery and Daniel LeDuc, Sentences Without Finality: Judges Can Cut Terms for Whatever Reason - or No Reason, Washington Post, 2/4/01, pp. A1, A18-19
メリーランド州では、刑事裁判で有罪判決の言い渡し後、裁判官の自由裁量による減刑ができるのだそうです。ですから、最初に言い渡す判決は、犯罪被害者の感情に配慮して厳しいものにして、ほとぼりが冷めたころに減刑をするということも行われることがあるようで、1995年以降、有罪判決の10%以上がこの制度に基づいて減刑されているとのことです。この減刑を答弁取引(plea bargaining)の内容にしておく例もあるようです。すごい制度だという気もする反面、仮釈放(parole)と機能的には変わらないような気もします。
5日(月) Student Scholary Discussion, George Cohen, Whose Word is Law?
Cohen教授が、Susan Koniak (Boston U), Thomas Ross (U of Pittsburg)両教授と執筆中の論文に基づくディスカッション。 行政庁や弁護士が示すnon-official interpretation of lawに従って私人が行動したところ、その解釈が誤っていたためにその行為が違法であった場合、その行為がnon-official interpretation of lawに従った行動であったことが抗弁となるかという問題を扱いました。とくに驚いたのは、弁護士からうけた法的助言を信頼して行動した依頼人は、その助言が誤っていても弁護士の助言に従った行為だったことを抗弁として用いることができる場合もあるということです(例、特許権侵害訴訟では懲罰的損害賠償を免れ、不当提訴をしても民事責任を免れ、税金訴訟では刑事責任を免れる等)。弁護士にしてみれば、これはmalpracticeの責任が発生しないと言う天国のようなルールです。
8日(木) Panel Discussion,Bush v. Gore: Rule of Law or Rule of Judges? Panelists: Prof. John Harrison (UVA Law), Prof. Mike Klarman (UVA Law), and Prof. Alan Meese (College of William & Mary Schoo of Law)   例の大統領選をめぐる裁判所の役割をめぐるパネル・ディスカッション。皆さん、多弁です。

私と同じ研究室のを共同で使っている姜先生が、近く韓国に帰国されるので、このパネル・ディスカッションのあと、客員研究員で集まって送別会をしました。

■9日(金) 作家のジョン・グリシャムのサイン会が、町の本屋さんで開催されました。新著"A Painted House"の出版を記念した催しです。もっとも、新著を買わなければサインしてもらえないということで、拝顔するだけで帰ってきました(写真で見るより、少し老けているかなという気がしました)。新著は、リーガル・スリラーではありません。グリシャムの少年時代をベースにしたほのぼのとした小説のようです。アメリカに来てから、彼の小説は"The Testament"と"The Brethren"を読みましたが、後者はテンポよくて、娯楽小説として面白かったですが、前者は途中から、自堕落だった主人公が信仰心厚いヒロインに感化されて心を入れ替えるというような話になっていって(まだ読んでいない方、ごめんなさい。でも、このくらいは良いでしょ?)、正直いって退屈でした。新著を買わなかったのは、この経験からして退屈そうな予感がしたからです(帰宅してNYTを読んでいたら書評が載っていて、「何も起こらないので、気候の描写ばかり」というようなことが書いてありました)。やっぱりグリシャムは娯楽小説で頑張って欲しいです。

ちなみに、グリシャムは、このシャーロッツビルに住んでいます。飾り気のない評判の良い方のようです。(トム・クルーズもこの町に家を持っているとかいう噂もあります。) 阿川尚之『変わらぬアメリカを探してのなかでも、グリシャムが子どもの学校の野球チームのコーチをしている話とかがでてきます。阿川さんは、バージニア大学ロースクールで客員研究員や講義をされたことがあって、この本はそのときの体験記です。

■11日(日) 自宅から1時間ほどのところにある、Wintergreen Resort[注意!音響付きのHPです]に家族で行ってきました。ここには人工雪で作られたスキー場があります。結構混んでいて、ずっと降雪機が雪を吹き出しつづけていました。私たちはスキーはしませんでしたが、タイヤ・チューブのそり遊びを楽しみました。(ここだけの話ですが、スキーヤーの皆さん、あんまり様になっていませんでした(^^)。)
■15日(木) ロースクールの学生(Christian DeFranciaさんといいます)が監督したドキュメンタリー映画"Mirror to History: Confronting War Crimes in Bosnia"上映会がありました。これは、彼がロースクールからも財政的支援を受けて行った、旧ユーゴにおける戦争犯罪を裁く国際刑事裁判所(International Criminal Court (ICC))とNATO空爆直後のボスニアの現地取材(1999年夏)に基づく映画です。とても素人の作品とは思えない出来でしたが、わたしにはこの作品の出来や内容よりも、DeFranciaさんのバイタリティと学生のこのような活動をロースクールが支援しているということの方に大きな感銘を受けました。(でも、同時に、「こういう若者がいれば未来も明るい」的な、精神年齢の高い感概(?)を本気で抱いている自分に気付いて愕然としました。)

上記上映会の会場はロースクールではなく、少し離れたメイン・キャンパスのなかにUniversity Book Storeという場所だったのですが、ここでは、学部生用のテキスト等も販売しています。上映会のあと、人文・社会科学系の科目用のテキストを置いている書棚を散策してみました。ここでも、改めて感銘を受けたのは、学生たちが「分かりやすい教科書」ではなくて、研究書や古典を読んで鍛えられているということです。日本の法学教育も「法科大学院」以前の段階を、もっと考えなければなりません。

■16日(金) 研究室でご一緒していた姜先生が韓国のテグ大学にお帰りになるということで、とうとうお別れをしました。わたしも帰国までの残された時間の少なさが、切実に感じられてきました。
■22日(木) ロー・スクールの現DeanのRobert Scott先生が今年6月に退任されることが数ヶ月前に発表され、それ以来、後任のDean探しが行われていましたが、このたび、John C. Jeffries, Jr.教授次期ディーンに決まりました(任期は6月から)。日本の学長や学部長の選出方法とは異なり、ロー・スクールと他部局(今回はビジネス・スクール)のファカルティと、ロースクールの学生代表からなる委員会が、全国の研究者のなかから複数の候補者を選んで、インタビュー等を行ったうえでの決定のようです。9年間にわたって要職を務められたScott教授は、名ディーンとしての評価も高く、学生の間でも人気抜群--あだ名:Boomer--ですが、Jefferies教授は少し無愛想なところもあって、学生のウケはいまいちのようです。(Scott先生は、2001-2002年は、コロンビア大学でvisiting professorをされるそうです。そのまま帰って来ないなんてことになると、UVAのcommercial law陣は大打撃です。ここ数年、commercial lawの専門家が、どんどん他の大学に移っているのです。)

話は変わりますが、韓国から客員研究員で来られている検察官の柳(ユウ)さんが、わたしの研究室に引越してきました。ユウさんの弟さんは、韓国で大人気のアクション・スター、劉五性(U Oh Sung)なのだそうです[HP]。ちなみに、ユウさんご自身も俳優の石原良純によく似ています。

■24日(日) Semifinal Argument, 72nd Annual William Minor Lile Moot Court Competition
今年の模擬裁判大会の準決勝が、昨日と本日行われていました。前にも書きましたが、これは、appelate advocacyの競技、つまり、事実認定などは全く触れない法律論の競技です。論点は、憲法に関するものでした。試合は、申立人と被申立人の代理人(それぞれ2人1組)の間ではやり取りはなく、基本的に3人の現職裁判官からなるパネルに対して、代理人が法律論を展開する形で進みます。といっても、自分で用意してきた原稿はほとんど使えなかったようで、各チーム25分(30分だったかも)の持ち時間の間中、裁判官からの矢継ぎ早の質問をさばいて時間切れでした。勝敗は、どうやら、「弁論の質」ではなくて、「議論のメリット」に基づいて判断されるようですが、被申立人側の勝訴で終わりました。

ところで、弁論をしている学生は、ステージの上にいる裁判官に直面して弁論しますので、聴衆からは弁論者の顔は見れません。で、被申立人側の学生の一人は、後姿も、しゃべり方、アクセントともに、デンゼル・ワシントンにそっくりでした。ロースクールの3年生であると同時に、現役の陸軍大尉だそうです。

27日(火) 講演 Lucy Reed, "At the Intersection of Private and Public International Law: the Swiss Bank Holocaust Tribunal and the North Korean Nuclear Energy Project"
スイスの銀行の秘密口座に眠っているホロコースト犠牲者・被害者の預金の払い戻しのために設立された"Claims Resolution Tribunal for Dormant Bank Accounts in Switzerland (CRT)" [ICEPのHPも参照]―仲裁機関ですが、日本語では何と訳されているのでしょうか―や、朝鮮半島エネルギー開発機構(The Korean Peninsula Energy Development Organization(KEDO))設立交渉に関わったアメリカの弁護士Reedさんの体験談を聞きました。こういう話を直接聞ける学生たちは幸せです。さぞや正義感をくすぐられたのではないかと思います。(講演のメイン・タイトルは今ひとつ内容とマッチしていませんでしたが、public interestのためにprivate lawの手法を使う話題2題ということだったようです。)


 2000年 [3月〜9月]  10月  11月   12月   2001年 1月   2月   3月   4月  5月   6月  7月


2001年3月
5日(月) Student Scholarly Lunch Series (Olin), Ed Buscaglia, "The Impact of the Judiciary on Economic Development in LDC's"
経済発展のためには真っ当に機能する司法が必要だという、それはそれで、クラシカルな話しでしたが、ブスカグリア教授――今は客員教授としてUVAにいます――の主たる研究対象であるラテン・アメリカ諸国、アフリカ諸国の様子をきくと、司法府の汚染や裁判の遅れなどがすざましいようで、このクラシカルな議論がとてもdesperateに響きました【こういうのを世銀型「法の支配」観というそうです;ブスカグリア教授も、世銀関係の仕事を多くされています】。彼には、たとえば、Law and Economics in Developing Countries (with William Ratliff) Hoover Institution Press, 2000_という著作があります。(途中で、日本の商事裁判では、出訴から2年以内に95.24%の事件の第一審が処理されているという数字がでてきました。こんなに好成績なのでしょうか。もっとも、これは訴えの取り下げや、控訴された判決も含む数字のようですし、「商事事件」を他の事件と統計的にどう区別したのかは分かりませんでした。) ブスカグリア教授は、なかなかダンディーな方です。研究会の後、研究室にお邪魔して話をしていましたら、奥さんのClarisa Long教授がやってきました。とても仲が良さそうです(^^)。

Judges Use Laptops in Microsoft Appeal, NYT 3/5/01 p.C5
数日前U.S. v. Microsoftの控訴審がDC Circuitで始まり、口頭弁論が延々とC-Spanで放送されていましたが、この審理では、裁判所が当事者に対して準備書面をCD-ROMで提出することを要請していたのだそうです。合計4枚のCD-ROMが提出され、判例法、証拠、ビデオによる証言等々への15,000のリンクが記録されているとのことです。このようなケースは初めてだそうですが、情報化時代の訴訟はこうなるのですね(でも、本件は当事者が連邦と州の政府とマイクロソフト社ですから、これが可能だという面もあります)。ちなみに、この裁判所では、7名の裁判官中6名(1名は盲目の裁判官)が、普段からラップトップコンピュータを法廷に持ち込んで、Lexis や Westlawにアクセスしたり、law clerkたちとinstant messageでやりとりをしながら審理を議論をしたりしているのだそうです。

■13日(火) 今年5月にワシントンDCで開かれる第10回ALEA総会と、8月にWest Virginia州White Sulphur Springsで開かれるNCCUSL総会への参加申込をしました。後者は、金食い虫であります。参加費からして400ドルですが、今年の開催地は相当に高級なリゾート地のようで(Greenbrierという所です)、1泊259ドルもします。これが、1週近く続くのです。費用の工面が頭痛の種です。UCC第2編改正が本当に大詰めのようなので、ぜひ出てみたいのですが。
14日
(木)
Elizabeth Rosenthal, Without 'Barefoot Doctors,' China's Rural Families Suffer, NYT 3/14/01, p.A1 & A8
中国の市場化政策は医療の分野にも及んでいるそうです。そのため、かつては安価な医療提供がなされていたのに、とくに地方では、医療費が高騰してちょっとした風邪を診てもらうだけで2ヶ月分の収入が飛ぶのだそうです。そのため、患者は本当に深刻になるまで(つまり手遅れになるまで)病院にかかることを避けるようになり、また病ゆえに貧困から抜け出ることもできないという悪循環になっているとのことです。
■18日(日) 10日から今日までSpring Breakで、シャーロッツビルの町も閑散としていました。日本から留学生のなかには、ブラジル旅行という意表を突く旅行をされた方もいらっしゃるようです。われわれは、4月以降、いくつか学会参加のための旅行があるため、今回はそれらの学会準備にあて、おとなしくしていました。ただ、わたしの研究室は図書館のなかになるのですが、この休み期間は5時に図書館が閉館するので参りました。
 
この間、いくつかの映画(ビデオ)をみました。"Erin Brokovich""The Talented Mr. Ripley"はなかなか。ついでにいうと、息子が"Toy Story 2"にはまっています。これも、実によくできた映画です。
23日(金) ロースクールの学内紙Virginia Law Weeklyに、3名の助教授(Associate Professor)がテニュアを取得したと報じられました。その記事によりますと、テニュアの審査は初任(entry level)助教授の着任から5年目におこなわれ、候補者の研究、教育、それに"law school community service"が審査対象になるとのこと(ただし、研究面が最も重視される)。審査中は、授業参観も行われるそうです。かつて、UVAでは3人中1人の割合でしかテニュア取得がなされない時期もあったようですが(そういう前提で助教授採用がなされていた)、現在は、テニュア取得が否定されることはまずないそうです。
■26(日) 金沢大学で同僚だった伊勢田道仁先生が遠くから訪ねてきてくれました。旧友の来訪はうれしいものです。モンティチェロをぜひ見ていただきたかったのでお連れして、トーマス・ジェファーソンの博物学的な興味関心の広がりと発明好きをさして、私が「レオナルド・ダビンチみたい」と申し上げたところ「平賀源内でしょう」と返されてしまいました。知る人ぞ知る『平賀源内先生遺品館』(香川県高松市の近くの志度町というところにあります)に行ったことのある私としては、その比較は少し不満です(^^;  何の脈絡もありませんが、金沢市には「加賀の平賀源内」とよばれた大野弁吉の発明を展示する大野からくり記念館[たとえばこちら]なんてものがありました。こちらの方が平賀源内先生遺品館よりも楽しめます。
 
ところで、モンティチェロは何度行っても新しい発見があります。今回のガイドさんの話ですと、ジェファソンが亡くなったときに破産状態だった理由の1つは、当時の合衆国大統領は自前でスタッフ等を雇わなければならなかったために大統領を務めるだけで負債が増えたことにあるとのことでした。ちょっと眉唾のような気もしますが(他の大統領はどうだったのでしょう?)。
■28日(水) Virginia Law Reviewの編集委員会(←学生が編集する雑誌です)から、ファカルティ向けに配布された手紙がなぜかわたしにも届きました。それによりますと、学内ファカルティの投稿論文は、学外からの投稿(1900本を超えるそうです)とは別ルートで審査される優遇を受けるそうです。また、学外からの投稿者は、審査後、掲載のオファーがなされてから24時間以内に返事をする必要があるのだそうですが、ファカルティはその期限が1週間とされていて、他誌への掲載の可能性をさぐる余裕が与えられているそうです。随分とごますりやなー、と思っていましたら、最後に"many of us hold teaching ambitions"、だからファカルティとは仲良くしたいという趣旨のことが正直に書いてありました(^^)。
29日(木) J.B. Moore International Law Society Faculty Lunch Series: Professor Paul Stephan, Does international governance threaten to crowd out American democracy? 
立法による審査を経ていない国際的法規範――国際慣習法――の正統性を問題視する話。何と、ここでいう国際慣習法には、国際機関による規範定立も含み、なんで合衆国議会の審査を経ていない法規範にアメリカが拘束されるのかという話です(ちょっと乱暴なまとめですが)。えっ?、という感じですが、バージニア大学では結構、これが潮流になっていたりするところが怖いです。

Symposium: Mapping the Future of Affirmative Action in Higher Education:The University of Michigan Litigation
 高等教育におけるaffirmative actionのために、入学者選抜で人種を考慮要因とすることが違憲ではないかと問う訴訟が、ミシガン大学の学部とロースクールを被告として現在係属中です(全米の高等教育機関のなかで、ミシガンが特殊なことを行っているために被告とされたということではなく、テストケースということのようです)。学部については、数ヶ月前に合憲判決がデトロイトの連邦地裁で下されましたが、今月27日には、ロースクールについて違憲判決が同じ地裁で下されました(裁判官は別人)。
 今日は、この訴訟で、被告の弁護人を務める弁護士を招いた講演が行われました。学生の関心も高いようで、会場では立ち見が出ていました。被告側の主張の核心は、社会科学(心理学、教育学等々)のデータを用いて、人種構成の多様性を含めdiversityは教育効果を上げるために大切だということのようです(ブランダイス・ブリーフ型の議論)。講演後の質疑応答である学生が、社会科学的データの結論が逆になった場合、人種を考慮要素とすることは違憲になるのかと聞いていました。講演者はきちんと答えなかったように思うのですが、やはり、社会科学的データだけでなくてプリンシプルの問題として多様性が必要という議論もあってよいような気がします。(ふと思ったのですが、日本の大学における学生の人種構成は、どんなに頑張ってもアメリカの大学ほど多様にはならないと思いますが、ということは日本の大学は教育効果でアメリカに太刀打ちできないことになるのでしょうか。愕然。(←半分冗談です。念のため。)
(参考サイト) ミシガン大学ロースクールのHPにこの訴訟に関するコーナーがあります。

30日(金) Faculty Workshop,Jody S. Kraus, The Methodological Commitments of Contemporary Contract Theory
「法と経済学」の契約法研究とFried, Bensonに代表されるautonomy theories of contract の「すれ違い」を論ずる報告。何といってもバージニア大学での報告ですから、議論はautonomy theoryのrelevancyを問うという流れでした。「法と経済学」は、実務家に裁判の予測可能性を与えるという意味でも、また、個別のルールの正当性を検討するという意味でも有用であるのに対して、autonomy theoryは、裁判結果の予測可能性を高めるわけでもなく、また、道具建てが大き過ぎて個別ルールの正当化には使えない云々。
■31日(土) シャーロッツビル上陸1周年!


 2000年 [3月〜9月]  10月  11月   12月   2001年 1月   2月   3月   4月  5月   6月  7月


2001年4月
1日(日)〜8日  ビクトリア大学(カナダ)とミシガン大学で開かれる日本法カンファレンスに参加するため、家族を連れて旅行をしました。
 
1日: まずは、ダレス空港からシアトルへ。ここで1泊しました。シアトルに着いたのは夕方でしたので観光はせず、ダウンタウンのはずれにあるInternational Districtというところで食事だけ。ここには宇和島屋という大きな日本食スーパーと紀伊国屋書店があります。 
2日:早朝に、Victoria Clipperという船でビクトリアに向かいました。2時間半の航海です。朝は早い時間だったのですが、時差があってこちらがシャーロッツビルより3時間遅れなので(もっとも、4月1日からサマータイムが始まっていますので、身体の感覚でいうと2時間遅れ)、それほど苦にはなりませんでした。Fairmont Empress という豪華なホテル――しかし、なぜか料金は超リーズナブル――にチェックインしたあと、九州大学で同僚だったLuke Nottage一家のお宅でのbagel partyにお邪魔したました。彼は今、ビクトリア大学Center for Asia-Pacific Initiatives (CAPI) で客員教授を務めていて、ビクトリアでのカンファレンスは彼が企画したものなのです。ちょうど1年ぶりの再会を楽しみ、子どもたちもすぐに打ち解けて一緒に遊んでいました(ビクトリア滞在中、わたしの家族はずっとLuke一家に遊んでいただきました。ありがたいことです。)。このpartyには、九大で同僚だったTom Ginsburg (U of Illinois), Dimitri Vanoverbeke (Leuven U)や、北大の先輩である指宿信さん(鹿児島大学)たちも来ていて、まるで小さな同窓会でした。夜は、カンファレンス参加者のディナーに出席。ここでもとても名前を書ききれない多くの方々と再会しましたが、愛校心に燃える私としましては、九大コネクション(上述)、北大コネクション(Ibusuki、Mark Levin, Kent Anderson)、金沢大学コネクション(Ibusuki, Shinatani)という方々のお名前だけは挙げたいと思います。同窓の頑張りは励みになります。

3日:CAPI Colloquium "The Multiple Worlds of Japanese Law: Disjunctions and Conjunctions"  @ University of Victoria, BC, Canada
日本法研究の今後のあり方を探るということが主要テーマでした。海外の若手日本法研究者が、どんどんオーストラリアに職を得ていて、これからはオーストラリアにもっと注目する必要があるということを感じました(Luke Nottageも6月からUniversity of Sydneyに移ります)。なお、このカンファレンスは、1ヶ月ほど前から、参加者がオンラインでの議論をしたうえで、face-to-faceで一堂に会して総仕上げをするという新しい試みでした。Proceedingsは、Tom Ginsburg, Luke Nottageと私の共編で近刊予定です。わたくしは、"The Multiple Worlds of 'Nihon-ho'"というペーパーを提出しました。

ところで、ビクトリア大学のキャンパスは本当に広くてきれいです。芝生では、なんとウサギが走り回っていました("Teletubbies"のようと言えば、分かっていただけるでしょうか(^^))。また、シアトルでも感じたのですが、アジア系の学生が本当に多いです。東海岸とは大違いです。

4日:The 4th Japanese Law Online (JALO4) International Symposium "Legal Education in the 21st Century" @ University of Victoria, BC, Canada
これは北川善太郎先生が中心となって、コピーマート名城研究所(CMMI)が進めているオンライン日本法プロジェクトのカンファレンスです。旅程の都合で、午前中だけで失礼しましたが、午前中はロースクール構想についての話が中心でした。

午後は、家族とRoyal British Columbia Museum  を見ました。とても凝った展示で面白かったです。カナディアン・インディアンの文化は、とてもアイヌとよく似ていると感じました。また、彼らが食したというsea weed cakeなるものも展示されていましたが、これは分厚い海苔のようなものです。このミュージアムを出た後、再びVictoria Clipperでシアトルに向かい、飛行機の深夜便(Red Eyer)でデトロイトに向かいました。わたくしはビクトリアはほとんど観光できませんでしたが、とても瀟洒でロマンチックな街です。またゆっくりと訪れてみたいです。

5日:シカゴのオハラ空港経由でデトロイト空港に早朝に着きました。ミシガン大学のあるアンナーバーに着いてホテルにチェックインしたあと、しばらく昼寝。そのあと、懐かしいアンナーバーの街を散歩しました。この週末は、Hash Bashといって、本来は違法なマリファナ喫煙をするお祭りがキャンパスであるせいか、flower children風の人たちがたくさん集まって、キャンパスは活気にあふれていました(?)。

6日、7日:Conference "Change, Continuity, and Context: Japanese Law in the Twenty-First Century"@ University of Michigan Law School, Ann Arbor
ミシガン大学のMark West助教授が企画したカンファレンスで、ビッグ・ネームがたくさん集まっていました。私は、Ronald Mann教授の"Credit Cards and Debit Cards in the United States and Japan"というペーパーにコメントをしました[マン教授は、今年7月に宮崎シーガイアで開かれる電子取引国際シンポジウムにもスピーカとして来日されます。私もディスカッサントとして参加します]。同じパネルには、かつての指導教官のJames White先生がいて緊張しましたが、このカンファレンスでも多くの先生方との再会を楽しめました。とくに、かつてミシガン大学留学時にお世話になったDean Virginia Gordan、Whitmore Gray先生、James J. White先生はずっと参加されていましたし、Mathias Reimann先生とも研究室でお会いすることができました。また、留学時にJDコースにいた友人も、シカゴから会議を傍聴にきていて、思いがけない再会をすることができました。

いまミシガン大学に留学されている日本人の方々ともお会いしました。なかでも、九州大学のLL.M.コースにご協力いただいている福岡の角田太郎弁護士、長崎大学の尾関幸美助教授(商法)――なんと、わたしが金沢大学に赴任した年に金沢大学をご卒業;しかも学部時代は私の兄弟子である松久三四彦先生のゼミとのことで、大変驚きました――、また、ウィスコンシン大学に御留学中の牛嶋仁先生(福岡大学)という、不思議に縁のある方々ともお会いできました。牛嶋先生とは、昨年11月にニューオーリンズの比較法学会でご一緒して以来です。

この会議は2日間とも、朝食・昼食・夕食もついているという至れり尽せりの会議でした。この間、家族は、West先生のご家族や牛嶋先生の奥様とご一緒していただいて、楽しく過ごしました。本当に、我家は皆さんのお世話になりっぱなしです。

8日:アンナーバーに来たら必ず"Angelo's"というレストランに行かなければなりません。ここで、ボリュームの大きなブランチをすませたあと、帰路につきました。


楽しい1週間を終えて、シャーロッツビルに戻ると、もう初夏のような陽気になっていました。

10日(火) Lecture, David Baldacci, The Novel Lawyer
ベストセラー・ミステリー作家のデイヴィッド・バルダッチは、このロースクールの1986年卒業生なのだそうです。彼の作品は、日本を含め世界各国で翻訳されているそうですが、イタリアでは当初David Fordという名前で売り出したのだそうです。Baldacciというのはイタリア系の名前ですが、イタリアではイタリア人にまともなミステリーは書けないと思われているらしく、出版社の意向で「アメリカ的」な名前を使うことになったのだそうです(ちなみにその大手出版社の社長の名前が「フェラーリ」だとということで笑ってしまいました)。前にも書きましたが、グリシャムもこの町に住んでいますし、シャーロッツビルはロイヤー出身のミステリー作家に縁があります。UVA卒業生では、"Broken Hearts"という本を昨年出版した1975年卒業生のBob Levy という人もいるそうです。
■14日(土) 復活祭(イースター)の催しとして、シャーロッツビル高校の広い校庭(←芝生!)で、子どもたちのEaster Egg Huntが行われたのでいってきました。Egg Huntといっても、本物の卵ではなくてお菓子の詰まったプラスチック製のタマゴをさがします。

ところで、毎年恒例のU.S. News and World Report誌ロースクール・ランキングが公表されました。UVAロースクールは、昨年よりも1順位あがって第7位(ミシガン大学と同順位)です。

■15日(日) シャーロッツビルには、ほとんどボランティアで行われている、子どもたちのための日本語補習校があります(こちらに長く住んでいる日本人の間では、子どもの日本語能力の発達は深刻な問題です)。その運動会がありました。
16日(月) Diana Jean Schemo & Suzanne Daley, Use of English as World Tongue is Booming, and So Is Concern, NYT 4/16/01 pp.A1 and A10 
英語が世界の共通言語としての立場を強くするにつれて、たとえばヨーロッパ(とくにスウェーデン、オランダ、デンマーク)では英語が話せなければ生活をフルに楽しめない状況――とくにビジネスや知的議論は英語で行われる状況――さえ生まれているそうで、英語はもはや外国語というよりも、算数のような基礎技能としてみるべきだとの見方もあるのだそうです。他方、アメリカでは、英語がどこでも通じてしまうために外国語習得に向けた努力がおろそかになっていて、たとえばテロ対策などに問題が生じているとのこと。つまり、事前にテロリストの通話を録音できても、その言葉を翻訳できる要員がいないため、結局テロを防止できなかったという例(1993年の世界貿易センター爆破テロ)もあるそうです。意外とお粗末だなーと思う反面、世界中の言葉に対応するのもまた至難の業だろうなという気がします。
■17日(火) UVAロー・スクールは現在、増築工事が行われています。これと関連して、現在のファカルティの研究室も工事をするとのことで、その間のファカルティ用の研究室として使用するため、客員研究員全員が4月27日までに現在の研究室明渡しを求められました。居候の身ですから仕方ありませんが、5月以降は仕事がしにくくなります。
20日(金) Faculty Workshop, Peter Benson (U of Toronto), Equality of Opportunity and Private Law
先月のワークショップでKraus教授が批判したBenson教授がおいでになりました。2000年5月にイスラエルのテル・アビブ大学で開かれた"Human Rights in Private Law"というカンファレンスでの報告したペーパーに基づく報告で、 まさしく日本でも盛んに議論されている、憲法の私人間効力や基本権保護義務の問題を扱いました。具体的には、雇用差別を行った企業に対して、人権保護を目的とした制定法ではなくて、不法行為に基づく損害賠償請求をできるかという問題を扱い、Benson教授の結論は否定でしたが、その理由は、不法行為法における「権利」概念にそれがマッチしないからという、とても「概念法学」的なもので、驚きました。(カナダは、他のコモンウェルス諸国や大陸法との比較法が盛んなようです。アメリカが特殊なのかもしれませんが。)
■21日(土) 友人宅の庭の芝刈りをお手伝いしました。といっても、バギー(?)のような芝刈機に乗せてもらうのが目当てです。広い庭を縦横無尽に芝刈り機で走り回るのは痛快でした。もっとも、年中芝の手入れをするのは大変そうです。庭が広いですし、芝生が伸びるのが早くて、熱心な隣人は1週間に何回も芝刈りをしているそうです。でもぜひまたバギーを乗りにきたいと思いました。
24日(火) 説明会 Teaching as a Career (という趣旨のタイトルの説明会でした)
将来、ロースクールで教えることを考えている学生に向けた説明会が開かれました。「学者たるもの云々」という精神論はなく、"how to get on the market"についての割り切った説明会で、結構多くの学生が聞きにきていました。ロースクール教員の採用は、かつてはロースクール時代の成績をもとに、研究者としての将来性を予測するという形で行われていたが、いまは「論文」がないと駄目とのことです(これは、学際分野の研究が盛んになっていて、法律学以外の分野ですでに論文や本を出版している人と競争しなければならない以上、とくにそうなっているのだと思われます)。また、就職しやすい分野としては、現在は会社法、倒産法、知的財産権法を教える人が求められている(逆に、憲法は人が多すぎる)とのことでしたが、採用にあたっては、研究分野等で候補者を絞るよりも、研究分野がなんであれ「面白い人」「優秀な人」を採用するのが基本のようです。これは、アメリカのロー・スクールでは、極端にいえば、誰でも何でも教えられるという前提があるからなのだと思われます。
 また、就職活動はアメリカ・ロースクール協会(AALS)が毎年10月末か11月始めに開催する"hiring conference"(俗称"meat market")を通すルートにほぼ一元化されているようです。就職希望者は、毎年夏にAALSの指定する1頁の様式のcv(履歴書)をAALSに提出し、それを束ねたファイルが各大学に送付され、各大学はそれをもとにインタビューすべき候補者を絞り、meat marketで1人20分程度のインタビューが行われます。そこでさらに候補者が絞られて、候補者が各大学を訪れてのインタビューがさらに行われ、その後に最終オファーがなされるということのようです。[詳細はこちら]

本日、"The Multiple Worlds of 'Nihon-ho'"to be published in the Proceedings of the CAPI Colloquium:The Multiple Worlds of Japanese Law: Disjunctions and Conjunctionsの原稿提出。

■27日(金) 授業が終了し、明日から試験期間が開始です。客員研究員の研究室明渡し期限も本日ということで、図書館内に割り当てられたキャレルに引越し。でも本の大部分は自宅に持ちかえりました。残りの留学期間の研究体制、今ひとつの不安があります。


 2000年 [3月〜9月]  10月  11月   12月   2001年 1月   2月   3月   4月  5月   6月  7月


2001年5月 
■5日(土) (論文紹介)越境する契約法をみるアメリカの眼 Symposium: Teaching Sales Law in a Global Context: The Reciprocal Influence of Domestic Sales Law (Article 2) on Private International Law (CISG & UNIDROIT) and Private International Law on Revised Article 2, 72 Tul. L. Rev. 1925-2111 (1998)」の原稿を提出しました。[2001-2] アメリカ法掲載予定〔2001年12月刊行予定〕の原稿を提出しました。
■6日(日)〜12日(土) 6日(日):ボストンに向けて自動車で旅行に出発。今回の目的は、アメリカ建国ゆかりの地を訪問すること、そして、帰路にワシントンDCでAmerican Law and Economics Association の大会に出席することです。ニュヨークを通過するのに、大変な時間がかかりましたが、Yale大学のあるNew Havenを過ぎたあたりで1泊。

7日(月):ボストンの南1時間ほどのところにあるプリマス(Plymouth)は、メイフラワー号で1620年にアメリカにやってきたpilgrim fathersが入植した土地です。ここは、アメリカ人にとっては、聖地(というのは大袈裟ですが)のようなところです(ただし、最初のイギリス植民地はバージニア州のジェームズタウンです。これについては、11月23日の日記をご覧ください。)そこに、当時の植民地の様子を再現したPlimoth Plantationがあり、入植者に扮した人たちがそこでの生活の様子を見せています。その人たちと会話を出きるのですが、日本のことを「ジパング」と呼び、数年前にジパングで死んだイギリス人は誰だったかとか(三浦安針(William Adams)のこと)、バージニア州はたばこを独占していて、イギリスではバージニア産たばこしか販売できないなど、どうも話しが良くわからないと思いましたら、何のことは1627年にタイムスリップしていたのでした。しゃべる言葉も英国風でしたので、イギリスで雇われてきているのかもしれません。このプランテーションの近くには、メイフラワー号を復元したメイフラワーII号が停泊していいます。これは、1957年に実際にイギリスからアメリカまで航海してきたそうですが、実に小さな船です。1620年の航海では、ソれに102人の旅客がひしめいていたそうですが、客室などなく、大部分の人たちは甲板で寝ていたそうです。

夜、ボストン入り。"Legal Sea Food"(←法律とは何の関係もない)でロブスターを食しました。その帰り、ホテルに向かって歩いていると、目の前になんとイチロー夫妻が歩いていました! イチローのシアトル・マリナーズと、地元ボストンのレッドソックスの3連戦が8日からあるのです。今回のボストン滞在では、第1戦を観戦することになっています。

8日(火):アメリカ独立革命への直接的な要因となったボストン茶会事件(1773年)の場所に、今はその現場となった船が再現され、Boston Tea Party Ship and Museum となっています。ボストン市内をめぐる観光トローリーの運転手さんによると、数年前に、MITの"tea professors"(?)が、その位置の海底から、木箱に詰まった茶をみつけたとか・・・。

夜、マリナーズ対レッドソックスの試合に。先発投手は野茂でしたので、野茂とイチローの対決を見ることができました。試合自体は、レッドソックスが一方的にホームラン攻勢で圧勝という大味なものでした。ボストンの球場は、大リーグの球場としては一番小さいのだそうで、左翼側は外野席もありません。

9日(水):ハーバード大学のあるケンブリッジへ。にぎやかな大学町でした。大学に入学したての頃、田中英夫『ハーヴァード・ロー・スクール』(日本評論社、1982年)や Scott Turow, One L(1977)を読んで憧れたことのある大学に、初めてやってきました。でも、ハーバード・ロー・スクールの建物は、日本の国公立大学にありそうな、ちょっと貧弱な箇所もあって、意外でした。ちなみに、ここでも有名人に遭遇。先週までCBS放送で放映されていた"Survivor II"という、リアリティ・ショーに出演していたNick氏が歩いていました。彼は、ハーバード・ロー・スクールの学生なのです。あ、そういえば、建物に入るときにドアを子どもを連れていた私のためにドアを開けてくれた人を良くみると、"Getting to Yes"―日本では、『ハーバード流交渉術』と訳されています――のRoger Fisher先生でした。

午後にボストン美術館へ。ここは日本美術コレクションが有名です。他に印象派の作品などをみて、夕刻、ワシントンに向けて出発。ハートフォードを過ぎたあたりで一泊。

10日(木):今日は移動日。ワシントンDCに入りました。
 
11日(金):The 11th Annual Meeting of the American Law and Economics Association (ALEA)@Georgetown Law Center
ALEAの総会には昨年も出ましたが、今年はちょっと低調かなという印象でした(日本の学会と違い、研究途上の中間報告的な報告も多くて、報告者もその分、気軽なせいか、漫談じゃないかと思われるような報告もありました。わたしの理解不足のせいかもしれませんが)。

なお、「法と経済学」といっても、日本で一般にイメージされている(と思われる)数式がたくさん出てくるタイプのものばかりでなく、統計学の回帰分析を用いた手法による研究がたくさんあれば(今回聞いたなかでは、Mark D. West, The Resolution of Karaoke Disputes: The Calculus of Institutions and Social Norms; Claire Priest, Currency Policies and Legal Development in Colonial New Englandなど)、どうしてこれが「法と経済学」なのか分からない研究もあります(今回聞いたなかでは、Curtis J. Milhaupt, Creative Norm Destruction: The Evolution of Non-Legal Rules in Japanese Corporate Governanceなど;これ、非難しているわけではありません。念のため)。

余談をひとつ。ミシガン大学のlaw & economicsの先生で、Omri Ben-Shahar という方がいますが、話し掛けようと思ったら、肩越しにもう1人Omri Ben-Shaharが眼に入りました。双子?参加者名簿を見たらDanny Ben-Shaharという名前もありました。

12日(土)Arlington National Cemetery へ。John F Kennedy大統領とRobert Kennedy司法長官のお墓などを見てきました。ロバート・ケネディはUVAロースクールの卒業生でもあります。その後、バージニア北部にある韓国系スーパーで買い出しをして、帰宅。

■15-16日(火・水) 今回は1人でワシントンに。

15日:議会図書館(Library of Congress)国立文書館(National Archives) を訪れました。とくに議会図書館の装飾は一見の価値ありです。この図書館の蔵書は、トマス・ジェファーソンから買い取った彼の蔵書が基礎になっています(その後、多くは火事で焼失したそうですが)。
 
16日:American Law Institute (ALI) 78th Annual Meeting @ Mayflower Hotel
昨年に引き続いて出席。総会は14日〜17日の予定で開かれていますが、16日は改正UCC第2編草案についての審議がありました(当初の予定では、UCC第2編の審議は11:00からということでしたので、10:00頃にのこのこと出かけていきましたら、予定に変更があったということで8:30から審議が始まっていたようです(^^;; ですから、最初の方を少し聞き逃しました。) この改正作業は、これまで第2編の"revision"とされていましたが、4月に方針変更があり、"amendment"にとどまるものになりました〔NCCUSLでは、revisionとamendmentとでは手続上の違いもあるのですが、それを狙ってamendmentにしたのか、単に小規模な改正というニュアンスを意図しただけなのかは不明〕。今回の審議で承認されれば、8月のNCCUSL総会での承認、12月のALI Councilでの承認を経て、13年間にわたった改正作業が終わることになります。Peter Linzer教授から、起草にさらに時間をかけるために承認を先送りすべきだとの動議が提出されましたが、Amelia Boss, Linda Rusch, Neil Cohen, Donald King各教授から動議についての反対演説がなされ、この動議は否決されました。とくにここ数年の改正作業の経緯を考えれば、1999年にAssociate Reporterを辞任したRusch教授の発言はなかなか格好よかったです。そして、結果的にALI総会はこの改正草案にゴーサインを出しました。その他の議論については、論文等でおいおい書いていきますが、さしあたって概要としてココをご参照ください。この日は、Henry Gabriel, James White, Bill Henning, Patricia Fry, Amelia Boss, Cem Kanerらのいつものメンバーのほかに、Richard Hyland教授とも再会できました。

なお、総会ではALIのニュースレター"ALI Reporter" vol.23, nos.2 & 3から、ALIの中立性を訴える文章が3点、とくにコピーされて配布されていました。近年、ALIやNCCUSLに対しては、業界団体等のロビイングの影響を受けすぎるという批判が高まっていますが(cf. Symposium on the American Law Institute: Process, Partnership, and the Restatement of Law, 26:3 Hofstra Law Review 567-834 (1998))、とくに数年前までのUCITAをめぐる一連の騒動でそれがピークに達し、UCC第2編でもその余震が続いています。これを受けとめたものだと思われます。わたしが見る限り、ALIの方がNCCUSLよりもよほど清廉潔白だと思いますが。

今回のワシントンDC往復では、始めてグレイハウンドバスと鉄道(Amtrak)を使いましたが、思ったよりも快適でした。それにしましても、Amtrakは、発車時間が過ぎても慌てない会社です。

■18日(金) 日本人LL.M.と客員研究員の懇親会。今年は、日本人LL.M.が5名、客員研究員が3名、UVAロースクールに滞在しました。全員この夏でシャーロッツビルを去りますので、2名が欠席でしたが、1度食事をしようということに。LL.M.の方たちは、来週からはもうbar exam向けの予備校の授業が始まるそうです。
■20日(日) 卒業式。お付き合いのあったLL.M.コースの皆さんも、晴れやかに卒業されました。この日は、Dean Scottの、Deanとしての最後の卒業式でもありました。これからのシャーロッツビルは閑散とします。
29日(火) Summer Faculty Workshop: Laura Kalman (UCSB/Yale Law School) "Lost in Cyberspace? Historians and Presidential Legitimacy"
今年も、夏のワークショップ・シリーズが始まりました。クリントン大統領の弾劾裁判の時に、400名以上の歴史学者が連名で、憲法の起草者は、クリントンのした行為は弾劾の対象にならないと考えていたとの新聞広告を出したそうです。なかには、歴史学者は歴史学者でも、中国史の専門家がこの広告に署名しているというように、この歴史に関する解釈を学者として本当に支持しているのか分からない例があったそうですが、Kalman教授の報告は、このような軽率な新聞広告への署名は、歴史学(者)の信頼性を損なうばかりか、一般人を欺くものではないかと問うものでした。学問の客観性と政治のバランスのとり方に関する報告ということになります。でも、質問者のなかには、そんなのは軽率に署名する者が自分の評判を落とすだけのことだし、一般人は、誰もそんな広告は読まないから、Kalman報告が何を問題にしているのか分からないという発言もありました。ちょっとついて行けません。ちなみに、Kalman教授は、"The Strange Carreer of Legal Realims"の著者です。


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2001年6月
2日(土) CISG-Advisory Council (CISG-AC) Formative Meeting  [工事中]
20日(水) Student Research Assistant Session on Recent Contract Cases
しばらく更新を怠っている間に、もう6月も下旬です。今日は、先生方のresearch assistantとして働いている学生たちを対象としたランチョン・ミーティングで、最近の契約法判例(Leonard v. Pepsico, Inc. 88 F.Supp.2d 116 (S.D.N.Y. 1997) [ペプシの冗談CMのケース]、Step-Saver Data Systems, Inc. v. Wyse Technology, Inc. 939 F.2d 91 (3d Cir. 1991)、Hill v. Gateway 2000, Inc., 105 F.3d 1147 (1997) [後二者はlater term/box top licenseのケース])。Scott教授のケースブックの改訂版の原稿が配布されていました。Kraus教授も編者に加わるようです。

午後は、友人たちと近くの州立公園でバーベキュー。池に人工のビーチがつくってあって、子どもたちはおおはしゃぎでした。帰路についた途端、雷がなりはじめ、家につくと雷雨になりました。

■21日(木) Dean の任期を終えるScott先生が、今週から夏休みで別荘にいかれるとのことで、お別れの挨拶をしました。秋からは1年間、Columbia Law Schoolでvisitin professor をされるそうです。そうこうするうちに、私たちの帰国もいよいよ近づいてきました。引越業者からは荷造り用のダンボール箱が届いています。
 
■William Glaberson, U.S. Courts Become Arbiters of Global Rights and Wrongs, NYT 6/21/01 pp.A1 & A18
海外でのテロリズムや人権侵害、アメリカ独禁法・証券取引法等に関するケースで、アメリカ裁判所の管轄権とアメリカ法の適用が認められるケースが近年急速に増えているという記事。しかも、それらの事案では、関与した外国の元首が多く訴えられているようです。記事の最後に、UVAのCurtis Bradley教授のコメントがでていました:「アメリカの外交官や企業の役員が海外で訴訟に巻き込まれるようになれば、アメリカも法の拡張主義をまた別の眼でみるようになるであろう。」 
■22日(金) 妻の英語のtutorをしてくださっていたシンシアさんを自宅にお招きしました。80歳を超え、人生経験豊富な面白い方です。

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2001年7月 
3日(火) Summer Faculty Workshop [工事中]
アンシャン・レジーム期フランスを素材に、契約がself-enforcingなのは、「評判」よりもノウハウを蓄積した「人的資本」ゆえであると主張する報告。報告者は、ロースクールでもよく見かけた方だったのですが、経済学部の先生だったようです。

これが最後のワークショップ参加になりますので、何人かの先生方とお別れの挨拶。

■6日(金) いよいよ来週、C'villeを後にするということで、ここ数日は、お世話になった方々への挨拶。今日は、Paul Stephan教授Michael Dooley教授と昼食等。

子どもは、今日が最後のデイケア。やさしいKristan先生とお別れをしました。

■9日(月)〜
11日(水)
月曜日に荷物を船便で発送。火曜日はアパートのそうじをして明渡し;夕刻、とうとうC'ville を後にして、ダレス空港近くのホテルに自動車に向かいました。予定よりも手荷物は増えましたが、九大での同僚のS先生ほどの眼には会わずにすみました(何のことか分からない方はコチラをご覧ください)。には炎自動車は、買い受けてくださるYさんがわざわざホテルまで取りに来てくださいました。感謝。水曜日、日本に向けて出発!
■12日(木) 夜遅く、福岡に到着! 蒸し暑いです。 今日はホテルで1泊。
■13日(金) 時差で目が早く覚めたので、8時頃にホテルをチェックアウトして、1年間留守にした我が家に。そこで待っていたものは・・・!? それはまた別のお話。
このようにして、わたしたちのC'ville滞在はおわりました。この1年あまりは、研究生活も楽しく、また、家族も多くの友人を作って美しいC'ville生活を満喫することができました。とくに最後の数週間は、多くの方々に本当にお世話になり、友人のありがたさを強く感じました。お一人お一人のお名前を記すことはいたしませんが、本当にどうもありがとうございました!

この日記もこれで終了いたしますが、後日、若干の整理をして最終的に完結ということにしたいと思います。ご愛読いただいた皆様、どうもありがとうございました。  


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