6月23日早朝、欧州連合(EU)の指導者たちは、連夜の難交渉の末、新条約の基本内容について合意した。これは、05年春にフランスとオランダで行われた国民投票が欧州憲法条約を葬り去って以来の迷走に、一応の終止符を打つ。
憲法条約を改革条約と改名し、EU国旗や国歌の規定は削ったが、改革そのものは多岐にわたる。欧州理事会常設議長の新設、より強力なEU外交上級代表の設置、EUへの法人格の付与、多数決による政策領域の拡張、欧州議会の権限強化、欧州委員会スリム化などだ。これらを今年末までに正式にまとめ、09年までに批准する見込みだ。
合意について、メディアの評価は割れた。EUの復活をうたうものもあれば、統合の夢が消えたと嘆くものもあった。
妥協の末であり、解釈が分かれて当然かもしれない。確かに改革条約へ動き出したが、ポーランドや英国などが拒否権をちらつかせ、自国に有利な「おみやげ」を持ち帰ったことを、疑問視する者もいた。
しかし、この解釈の違いの背後には、より本質的な問題が隠されている。EUという奇妙な政治体をどうとらえるべきかという基本的視座に、落ち着きが見られないのだ。
合意文は、まず「憲法の概念は放棄された」と宣言した。EU指導者たちが、更なる国民投票を避けるためとはいえ、「憲法」を丸ごと放棄したのは注目に値する。憲法を兼ね備えた(連邦)国家に向かって粛々と進む統合神話は、明確に否定された。
だが同時に、現実のEUは強靭である。年間予算は20兆円弱で、日本の4分の1近い。規制力は、大多数の化学物質からマイクロソフトのような巨大企業にまで及んでいる。単一通貨ユーロは着実に地歩を固め、キプロスとマルタが来年ユーロ圏に加わるだろう。27カ国に拡大したEUを機能させようとする意志が、まがりなりにも健在であることは、見たとおりだ。
つまりEUは、なみの国際機関を超えて、強靭な統治枠組み(これを英仏語でconstitutionという)を形成しており、いうなれば憲法体制は、憲法なくして既に存在しているのである。この体制は、国家に向かう統合神話が崩壊しようとも、簡単には揺るがない。加盟国のエリートは、域内で国政とEUの統治が融合し、域外ではEUなくして影響力を発揮し得ないことをわきまえている。すなわちこの統治/憲法体制はすでに所与なのだ。ここには一種の権力体が生成しているわけで、そうであるからこそ、民主的統制の問題が生じているといえよう。
いま問われているのは、EUという奇妙なハイブリッド体を見る際の視線である。もはや統合神話から逆算してEUを推しはかるべきではない。EUは国家でもなく単なる国際機関でもない。その中間に、すでに十分に強固な統治枠組みが出来上がっている。神話を脇にのけたとき、等身大のEUが見えてくるだろう。
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