老人がひっそりと人知れず亡くなっていたというニュースを近頃よく耳にする。こうした孤独死が多発する背景に、有史以来のある現象が起きている。それは、日本で近年、1人暮らしの「ハウスホールド(家庭)」の数が増え、全体の4分の1を超えたことである。この現象には、少子化、高齢化、晩婚化、都市化などさまざまな要因がまとわりついている。
実はこれは、日本だけの現象ではない。隣の韓国、台湾、香港、そして中国大陸の沿岸部も、軒並み同様の傾向を示している。グローバル化の下で、投資、それとともに人が都市沿岸部に集まり、気がつくと似たようなマンションに、単身者、子供のいない共働き夫婦(いわゆるDINKS(ディンクス))、あるいは夫婦に子供1人の家庭が数多く再生産されている。
それが「不健全だ」などと、どこかの大臣のような説教をしているのではない。これらは一連のプロセスとして目の前に存在している事実なのだ。そこでは世代間のバランスが崩れ、人口構成が逆ピラミッド型となる少子高齢化社会がひたひたと忍び寄る。いきおい関心は年金制度に向かいがちだが、ここで興味深いのは、これらの家庭が少人数化してきたプロセスに伴い、介護、子育て、家事手伝いなどの広い意味でのケア労働が、国境を越えてグローバルに提供され始めていることだ。
この現象を「グローバル・ハウスホールディング(家庭のグローバル化)」と呼ぼう。ハウスホールドは、血縁家族よりも広い概念で、時に国境を越えてやってくるお手伝いさん、介護士、乳母やオーペア(家事手伝い留学生)、あるいは国際養子縁組、国際結婚などを射程に含む。この領域に着目するとき、グローバル化はもはや金融や技術の話だけではなくなる。それは、少子高齢化の下で供給されるケア労働を通じて、ハウスホールドのような親密圏にも浸透しつつあるのだ。
高齢者介護を誰が引き受けるのか
周知のように、日本では、1995年以降労働力人口が、2005年からは総人口が減少し始めた。予測では、2050年には、65歳以上の人口が42%を、そして80歳以上が3分の1を占めるようになる。この状況は、東アジアの他の先進諸国・地域でも同様である。韓国では2050年までに、65歳以上の人口が33%に達するという。台湾における予測も似たり寄ったりだ。
急速に進む少子高齢化は、それぞれの国の政府や社会に多くの課題を突きつけることになる。年金制度は持つのか。出生率をどうするのか。労働力をいかに確保するのか。とりわけ、誰がどのように高齢者の介護をするのかといった問題は、生産労働人口の減少と相まって、これからますます深刻なものとなろう。
この高齢者介護という問題に対する1つの答えは、男女間の不平等に終止符を打ち、家事や介護などのシャドーワークを男と女で分かち合うことにあるだろう。もう1つの答えは、それぞれの国の資源を動員し、政府のような公的機関が高齢者の介護に責任を持つことにある。前者はジェンダー(性差)、後者は国民国家の観点からアプローチした理想的な解となろう。ただし、現実がそう動くかどうかは相当怪しい。というのも、東アジアの隣国をのぞくと、その実態がまったく異なる解、すなわち「グローバル・ハウスホールディング」を指し示しているようにも見えるからである。
現在、アジアのNIES(新興工業国・地域=韓国、台湾、香港、シンガポール)には、約53万人の外国人家事・介護労働者がいる。その雇用規模は、シンガポール15万人、香港24万人、台湾13万人、韓国1万人――である(マレーシアにはさらに24万人がいる)。そのほとんどは女性で家事や介護などのケア労働に携わっている。こうしたタイプの移民が急増したのは80年代後半以降のことで、それはアジアNIESの経済発展と軌を一にする。
これらの女性移民の導入は、受け入れ国・地域の政府が主導する形で進められた。74年の香港を皮切りに、79年はシンガポール、92年は台湾、02年は韓国が、それぞれフィリピンなどの送り出し国と協定を結び、続々と途上国女性の受け入れに乗り出していった。
NIESでは高度成長の下、労働力確保が重要な課題となり、自国女性を活用するためにも、比較的廉価で安定的に雇える途上国女性を家事・介護などのケア労働に導入し、雇用主の家庭における肉体的および精神的負担を低減する必要があったと思われる。こうした必要を背景にして、ケア労働の「官製市場」がつくられたのである。
NIESでは、もはや外国人女性の移民労働者が家庭や施設の一風景をなしている。経済成長が一段落しても、あるいはアジア通貨危機が吹き荒れようとも、その風景に変わりがない。女性の社会進出が当たり前となり、高齢化が進行するにつれ、外国人女性のケア労働が定着していった結果といえよう。
なお、途上国女性は労働者としてだけでなく、婚姻を通じても越境し、ケア労働の担い手として期待される。台湾では、新たに結婚する7組に2組は国際結婚であり、とりわけ最近はヴェトナム人との国際結婚が増えている(過去3年で8万人のヴェトナム女性が台湾人と結婚した)。その結果、台湾の新生児の7〜8人に1人は、外国生まれの母親から生まれるようになった。
また、伝統的に民族的な紐帯を大切にするといわれてきた韓国でも、05年現在全婚姻の13.6%が国際結婚で、特に花嫁に不足する地方では40%近くが国際的な見合い婚である。その結果、同国では、2020年までに、200万の混血児、いわゆる「ハーフ」の誕生を見積もっている。ちなみに、日本における国際結婚も、新規ベースで5%に上っている。
海外送金に支えられる送り出し国の内実
ケア労働者の送り出し国に目を移せば、主な国として挙げられるのは、フィリピン、インドネシア、ヴェトナム、中国、スリランカである。
なかでも最大の送り出し国がフィリピンである。同国の移民労働者は、実に約500万人に上り、全労働力人口の1割に相当する。その約3分の2が女性で、ほとんどが家事・介護などのケア労働に従事している。かれらが滞在している国からの海外送金によって、全人口の34〜54%が家計を支えているといわれている。その総額は同国のGDPの約10%に当たる。
また、インドネシアでは、89年からの5年で65万人が、95年からの5年で146万人が海外へ出稼ぎに出た。そして、最近特に自国労働者の送り出しに熱心なのがヴェトナムである。2010年までに100万人を海外へ送り出す計画といわれる。
こうして国策として労働者の送り出しに努めるのは、政府から見れば、自国の失業を抑え、外貨を獲得する手っ取り早い方策だからであろう。他方、移民の側から見ると、グローバル・ハウスホールディングは生き残りと社会的上昇の機会を意味する。
この際、送金は最も安定した収入源となる。たとえば、フィリピンの小学校の先生が香港で住み込みのケア労働に従事した場合、15倍の給料をもらえる。それは、教育などを通じて、多くの場合次世代への投資にも使われるのだ。
この海外送金は、途上国の発展と南北格差の緩和に役立っている。周知のように、90年代以降、政府開発援助(ODA)は削減傾向にあり、当分劇的な回復は望めそうにない。また、途上国の発展に寄与するものとして一時期待を集めた直接投資(FDI)も、アジア通貨危機以降、その脆弱性が意識されるようになった。
そうしたなか、海外送金の規模は、04年の段階で、全世界で1258億ドルに達し、22の最富裕国によるODAの合計786億ドルをはるかに上回っている。送金が、危機に対してもっとも安定的に、そして(中間的なアクターを通さないという意味で)直接に途上国住民に届くことも併せて考えると、送金先の国(民)にとって、途切れない発展に資する最大の要素だといえる。
家庭のグローバル化が招くケア流出と差別
それでは家庭のグローバル化は、バラ色の現象だろうか。送り出し国と受け入れ国の双方における問題点をいくつか洗い出してみよう。
まず、送り出し国における最大の問題点は、いわゆる「ケア流出(Care Drain)」である。家庭のグローバル化は、実態としては多くの場合、送り出し国における母親の出稼ぎを意味する。それが、富裕国の家庭の子供や高齢者にケアを供給する一方、途上国の多くの家庭で、自らの母親のケアを受けられない子供を数多く生み出している。
ただし、これゆえに出稼ぎを未婚の女性に限ろうとする政治家等が後を絶たないこと。その一方、出稼ぎが途上国女性の自由・自立や社会的地位上昇につながりうること。また、海外送金がカットされた際に真っ先に削られるのが途上国の女子の教育費であることをも併せて考える必要があろう。
もう1つ、グローバル・ハウスホールディングの中核の部分には、市場を介したケア労働の商品化、その女性化・外国人化があるのは否めない。この性分業の固定化と外国人の(本国人がしたがらない)労働への固定化という二重の過程は、性差別と人種差別の再生産をもたらす可能性が高い。これが受け入れ国側の最大の問題となるだろう。
差別に対する万能薬は存在しないが、すくなくともそれは家事・ケア労働の認知、それに携わる人の尊重を含むだろう。そもそも他国女性を導入する際の主たる理由は、自国社会のケアや家事の赤字補填なのである。また、当然のことだが、外国人労働者は、出身国の文化もろともやってくる。そこで外国文化に対する感受性を上げ、国や地方の政府、また地域共同体が積極的にその保護や受容に取り組む必要が出てこよう。
さらに、ケア労働の担い手のほとんどが女性であり、また仕事場が家庭や施設という比較的閉じられた空間であることから、使用者による虐待や暴行の例が多く報告されている。そうした取り扱いを受けた外国人が、介護などの重労働にあたり、さらに弱い立場にいる家族構成員や高齢者に暴力をふるうケースもある。法整備や教育を含め、こうしたリスクへの対応が、受け入れ国の側に求められよう。
東アジアの現状および将来予測を見渡すと、まったく異なる問題も提起され得る。
2005年の統計によれば、中国における4歳以下の子供の男女比はほぼ120対100となっている。このため近い将来、中国において2300万〜3000万人の男性が結婚適齢期に花嫁探しに苦労する可能性がある。同様に、インドにおいても類似の現象が報告されており、2大人口大国で男女間不均衡が存在することになる。
もしこの事態が、近接世代や国内他地域の女性(移動)によって吸収しきれず、また現在の性分業と性差別が継続するとした場合、東アジアにおいて、女性の人口移動の圧力は高まるだろう。すでに外国人女性との婚姻が「解決法」として提案されており、たとえ国際結婚はしないとしても、再び外国人のケア労働者、すなわち途上国女性の導入に至る可能性は否定できないためである。こうして家庭のグローバル化は、まだまだ続きそうなのである。
このことが示唆するのは、現在送り出し国が競争して家事・ケア労働者を「輸出」しようとしているのとは逆のシナリオである。つまり、将来の東アジアにおいて、家事・ケア労働の需要が高まり、その取り合い(「輸入」)競争が起きる可能性である。
見直しを迫られる日本の移民政策
少子高齢化の下でケア労働の需給に相当なギャップのある日本にも、北東アジアの隣国と同じようなグローバル・ハウスホールディングへの圧力は高まってゆくだろう。
すでに日本政府は、フィリピンやインドネシアとの間の経済連携協定(EPA)を締結し、その批准を待っている。この協定は、外国人看護・介護労働者の導入に道を開いた。これは、先に挙げた近隣国の例にならい、ケアを中心とする分野で「官製市場」を形成する方向に踏み出したことを意味する。と同時に、これは、わが国における親密圏のグローバル化をも示唆しており、やはり各国と同じ課題と向き合うことが必要になろう。
直近の問題から行くと、フィリピンの上院が批准をブロックしている間に、インドネシアとの協定が先に発効する可能性がある。これが意味するのは、イスラム教徒であるインドネシア人が、2年間で合計1000人(看護師400人、介護福祉士600人)を上限として来日し、我々の身近に生活するということだ。
その結果として、英語も通じない相手への言語教育の問題から、モスクや礼拝の慣習への対応、あるいはハラール肉(お祈りを受けて処理された肉)の流通に至るまで、寛容への積極的な態度を日々獲得していかねばなるまい。
多くが英語を話し、比較的なじみのあるキリスト教の信仰者が多いフィリピンとの協定が発効した場合でも、社会的なコストは決して低くない。家庭や施設などの閉じられた空間でのケア労働を外国人に任せる場合、賃金から虐待の問題に至るまで、中央・地方を問わず、政府は受け入れ態勢を早く整えるべきであろう。
この受け入れ態勢の整備の必要性は、前述のもう1つの可能性に照らしたとき、さらに高まるだろう。つまり、将来的にみて、東アジアのケア労働者の移動圧力が高まるとすると、その取り合いの様相を呈することになるというものである。
これに伴い、ケア労働者の入国制限に関する日本の議論も、相当な修正を余儀なくされよう。すなわち、いかに(選択的にしか)移民を入れないで済むかでなく、いかに有能で求められる人材を他国との競争の中で獲得するかという構図に変化するのである。
送り出し国のケア労働者に日本を選んでもらうために何をすべきなのか、今から戦略を練っておくべきではなかろうか。
東アジアとの経済統合が、事実として進行しているだけでなく、成長を続ける隣国とどのようにリンクしていくのかということが日本の成長戦略として重要になってきている。今一度、東アジアや世界全体の動向をみながら、どこでどんな人が必要とされているのかを見極め、わが国の態度を再考すべき時が来ている。
(『エコノミスト』2008年1月22日号、46−49頁)
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