周知のように、アイルランドがリスボン条約を否決した。3年前にフランスとオランダが欧州憲法条約を否決したのと同様、ヨーロッパ統合を前に進めんとする政府間合意が、国民投票で葬り去られた。それは、数年にわたる熟考期間を経て、憲法条約の主内容を維持しつつ穏健化し、すでに批准しやすいものに修正済みのものであっただけに、深刻な事態である。
まだその帰趨は明らかでないが、27カ国からなるEUが、すべての国を満足させるフォーミュラを見つけるまでには、再び多大な時間とエネルギーが注がれなければならないだろう。アイルランドの国民の不満のかたちが明確ではないため、条約を修正しようにもそう簡単ではないはずだ。条約修正の是非や批准方法をめぐり、統合賛成派と懐疑派の間の綱引きが、各地で頭をもたげている。
この体たらくを見て、またかと訝しがる向きもあろう。しかし、大文字の「統合」というのが連邦国家という目標に向かう過程であるとすると、それは「憲法」条約の挫折とともに、もはや死んでいるのだ。理解すべきなのは、さらなる統合が死んでも、EUが強靭に生き残っていることだ。
戦後のヨーロッパ統合は、冷戦の下でアメリカの後押しを受け、西欧に領域を限定し、主に経済分野で、成長してきた。そうした「囲い込まれた統合」は、乗り続け前進しないと倒れる自転車乗りに喩えられてきた。実際に、1954年の防衛共同体の挫折、65年の空席危機など、幾度も倒れそうになりながら、その度に危機を乗り越え、関税同盟や単一市場を整備し、共通農業政策や法的統合を推進してきた。
冷戦後も成長を続けたEUは、21世紀初頭には、かつての東欧諸国に拡がり、単一通貨ユーロを手にし、世界標準の設定を左右し、各地での平和構築を主導する存在となっている。
この影響力は、加盟国が過去半世紀にわたりジョイントで積み上げたもので、EUの存在を通じ初めて可能となる。EUは、加盟国にとって簡単に手放しえない政策資源であり、それは今も生きた政治体なのだ。
たしかに、市民の支持が希薄ななか、誰の何のためにこのEUがあるのか自明ではなく、精神的な混迷は深い。また、27カ国でより効果的に共同行動するため、制度的に改善する余地は大きい。今回否決されたリスボン条約はまさにその方向への改革を求めていたのではあった。
けれども、改善すべき問題点を前提にして、条約を改正し、その度に上向きの成長(統合)を期待する時代は終わった。逆に、その条約改正が挫折した時、成長不良(統合の停滞・危機)を過度に喧伝する時代も同様に過去のものなのだ。
EUは、連邦国家ではなく、単なる国際機関でもない。その中間に、半世紀にわたり構築されたEUという独特な政治体が、乱高下せず、日々静かに影響力を行使している姿を直視する時期にきている。
大文字の統合は死んだ。けれども、どっこいEUは生きている。
(2008年6月28日朝日新聞夕刊(東京・名古屋版))
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