「欧州統合の父」に収まらないグローバルな生涯
ジャン・モネ (Jean Omer Marie Gabriel Monnet, 一八八八―一九七九) は、言うまでもなく欧州統合の父と称されるフランス人である。しかしながら、モネは、九〇年ほどの長い人生の中で、欧州統合の父であることを超え、二〇世紀のグローバルな歴史により深い刻印を残している。
モネがコニャック商人であったことを知っていても、その同じ彼が国際連盟発足時の筆頭事務次長であったことをどれほどの人がご存知だろうか。あるいは、モネが公共政策にはじめて関わったのは、第一次大戦時における連合国の物資共同調達のときであり、いわばロジの専門家であったこと。戦後、連盟を辞したのち、東欧諸国の通貨安定のために、いまでいう国際通貨基金(IMF)のような機能を果たしていたこと。そののちバンク・オブ・アメリカの副社長となり、ウォール街の最深部に浸透した百万長者であったこと。大恐慌で破産しかけたのち上海にわたり、蒋介石や宋子文らとインフラ整備のための投資呼び込みを企図し、日本には反日と記憶されていたこと。のちに独仏和解の演出者として名をなすモネが、第二次大戦中および戦後、英仏両国の統合を図って失敗していたこと。その後、フランス国籍にもかかわらずイギリスの行政官としてアメリカにわたり、枢軸国に抗する「民主主義の兵器廠」という有名なキャッチフレーズをローズヴェルト大統領の演説に提供したこと。そして航空機一〇万機、戦車六万両といった巨大な生産目標で知られる「勝利計画」に外延から関わり、アメリカの潜在的生産力を最大限引き出すようホワイトハウスを説得し、後日ケインズに「戦争終結を一年早めた男」と称されたこと。その後、アルジェにわたり、のちに対立することになるドゴール中心の亡命政権樹立に尽力していたこと。戦後、欧州統合に取りかかる前に、計画庁長官としてフランスの国民経済の立て直しを図っていたこと等々。
これら一連のドラマツルギーは、モネという人物が欧州統合の父という一般的なレッテルに収まらないスケールを持ち合わせていたことを指し示している。そもそも、モネが石炭鉄鋼共同体(ECSC)につながるシューマン・プランを起草していたのは、六二歳という普通ならば引退するような年になってからのことだ。それまでの人生はECSCの理解のカギになるのだが、にもかかわらず、彼の前半生を追跡するための基本書である回顧録の日本語訳は、いままで薄い抄訳(『ECメモワール――ジャン・モネの発想』黒木寿時訳、一九八五年)しかなかった。しかもそれは相当に恣意的に欧州統合の父としての側面に限定されたものだったのである。その意味で、今回初めて全訳が入手可能となり、モネの人生の全体像をたどれるようになったのは喜ばしい。
ただし、回顧録に自己正当化や都合のよい省略はつきものである。この本を手にするものは、例えばモネが、一九四四年当時米財務長官モーゲンソーから、ナチス下の独ボッシュ社との取引と脱税の嫌疑をかけられていたことなどはわからないままだろう。イタリア人の妻シルビアとの結婚の経緯もほとんど出てこない。この略奪婚の過程は、有用な資源や回路ならば何でも使う人間モネをよく伝えるはずのものであった。彼は、上海のソ連領事に話をつけ、カトリックの母国で離婚が許されないシルビアにソ連市民権をとらせ、モスクワに飛んで結婚するのである。
ECSCの構想の記述も例外ではない。回顧録においてモネは、独仏和解の側面を強調し、平和のエージェントとして自分を見立てている。しかしその反面、「ヨーロッパ」という枠の中で、いかにフランスの戦後復興や安全保障のためにドイツの石炭を利用できるよう腐心していたか、イギリスとの主導権争いの中でフランスの立場を強化するよう設計していたのか、冷戦が本格化する中でアメリカの利益に沿った形で西側をエンパワーするようアピールし資金援助を引き込もうとしていたかなどは、さらっと書かれているか、はたまた後景に退いている。願わくばこうした点には解説をつけ、読者に回顧録の記述を相対化する機会を与えるべきであった。
もちろんこのような問題点は、モネの回顧自体の価値を下げはしない。それは、モネの見た世界、書き残したかった世界を教えてくれるからである。
それとは別途、翻訳上の問題点に触れないわけにはいかない。訳はしばしば日本語として読みにくく、人名表記はフランスの首相級まで間違ったままである。そもそも底本情報が不完全だ。仏語の自伝は一つなので、Jean Monnet, M?moires, Fayard, 1976 の訳だと推定できるが、英訳Memoirs, trans. by R. Mayne, Collins, 1978を参照したのかなどは不明だ。これらは、読者のために記しておくのが親切であったろう。官僚出身の訳者は、現在大学教授であるにもかかわらず、「うるさい学者に詮索され、……訳語が適切でないと責められたらどうしようか」と不安げであるが、 文字と事実へのリスペクトは基本である。ダイナミックな現代史の格好の材料であるだけに、早めの改訳が望まれる。
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