珠玉の論文が並ぶ、「発見の宝庫」
学会が音頭を取って叢書をつくるとなると、得てして笛吹けど踊らずか、さもなくば自己顕示欲の発露となりがちであるが、アジア政経学会が監修したこの本はまるで違った。東アジア共同体論の高まりを念頭に、アジアにおける越境現象について、経験・理念の双方から地に足のついた好論文が並んでいる。
扱われるトピックは、多岐にわたる。東アジアの経済金融協力、企業ネットワーク、環境・テロ・疫病といった定番メニューはもちろん、食・農業、海賊、ゲームソフト、インターネットといった越境的問題群や、華人華僑、インド人、ケア労働者等の人の移動を一つひとつ実証的に検討し、最後に人権、アジア観念、東アジア共同体論などの価値・アイデンティティ面における考察が加わる。
全一八章、五〇〇頁近い大著のすべてを紹介できないが、本書は発見の宝庫である。第五章の明日香壽川論文は、中国を酸性雨のような環境汚染の元凶とし、日本を被害者としてイメージする認識がいかに歪んでいるか強調する。四章の大島一二論文は、日本の食の安全に関する議論や施策を介して、中国の農業が大規模ビジネス化の方向に変容してきているさま、また日本の安全な食が越境しているさまを分析する。はたまた七章の高埜健論文が明らかにしたように、海賊現象は近年世界・東アジアの双方でじつは減少傾向を示していた点、あるいは一四章の青山瑠妙論文が分析したように、インターネットの普及が中国における民主化の潜在力を引き上げる一方、統治権力の管理能力も強化されている点など、現在進行形の外交政策に示唆を与えるものも多い。
理念的にも考えさせられる。たとえば一六章の川島真論文は、日本で当然視されているアジア主義なるものがいかに日本的視座に拘束されているかを説き、中国に自国のアイデンティティにかかわるようなアジア主義談義があると前提視するのは間違いであるとする。これは、日本における東アジア共同体に関する言説が独りよがりにならないための重大な警句とも受け取れよう。
後続の二巻(『市民社会』)および三巻(『政策』)にも、アジアの現在を活写・分析した論文が数多く収録されている。併せて参照されたい。
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