北大西洋条約機構(NATO)は先月60周年を迎えた。アメリカとヨーロッパを結ぶ大西洋共同体の象徴であり、日米安保条約と並ぶ長期の軍事同盟である。
その起源は、冷戦の激化の中、米国主導で西側が結束し、ソ連率いる東側に対抗するものであった。驚くべきは、60年の歴史のうち既に3分の1の20年ほどが、その主敵がいなくなった冷戦後に当たることだ。
長寿は価値を保証するだろうか。加盟国の政府や専門家は、こぞってNATOの存在価値を喧伝する。確かにそれは強固に制度化され、冷戦後の無価値論を退けてきた。
これは部分的には、安全保障面における欧州連合(EU)の未発達や、全欧安保協力会議(現機構)、あるいは国連の力不足の反映であった。また、民主国の連合として大西洋共同体の価値を体現し、旧東欧の新興民主国を包摂・統合する枠と目されたのである。
けれども、冷戦後の20年をよく見てみると、前半の90年代にNATOは一時的復調を見せたものの、21世紀に入ってからは、再びその存在価値に疑義が挟まれ、土台が揺れている。
連動しているのは、アメリカ一極支配の終焉である。2001年の9・11では、それまで問題を抱える外地へ救済に出ていたアメリカ自身が攻撃され、他から助けられる存在になった。イラク戦争やグアンタナモ基地については言うまい。ハリケーン・カトリーナは、同国の社会的惨状を世界にさらした。そしてサブプライムローンに端を発するアメリカ発の恐慌である。これは、アジア通貨危機などとは根本的に構図を異にする。
これらの出来事はどれもアメリカがモデルであり得ないことを示した。目を見張るようなオバマ劇場は続くが、アメリカ帝国の基盤は深く掘り崩されている。
「正しさ」を失った帝国を前に、米欧関係も変質さざるを得ない。4月の仏ストラスブール首脳会議はオバマ新大統領への賛辞で埋め尽くされたが、「NATOの試金石」とされるアフガニスタンへの増派に関しては、彼へのご祝儀の色彩が濃い。アメリカからの2万1000人の戦闘要員に対し、ヨーロッパは最大5000。うち3000は今夏のアフガン選挙への短期監視用で、他は民生要員である。背後には主要国有権者の過半が増派に反対しているという事情がある。
ますます「アメリカの戦争」となるアフガン戦争を前に、ある論者は同盟が「既定値として有志連合」となりつつあると警鐘を鳴らした。
NATOは脳死状態にある。これに再び生命を吹き込むのは、オバマ氏をもってしても難しいだろう。
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