イタリアも3度目の滞在となると、驚きもほどほどになる。そう予想していた。しかしかの国はあらゆる期待を裏切るのだ。
1994年に初めて住んだときに驚いたのは、政治家の顔触れのフレッシュさであった。司法による汚職政治家の一掃のおかげで、社会党のクラクシ元首相はチュニジアに亡命(のち客死)、戦後ずっと政権を担っていたキリスト教民主党(DC)は消え失せた。
ぽっかりと空いた権力空白は、ビジネスの成功神話を引っさげたベルルスコーニ氏が、ワイドショーさながらにどこからともなく現れ、埋めていた。こんなことが起きるのか、と信じられない気持ちだった。
2000〜01年に滞在したときも、ベルルスコーニ氏が首相になった。お前が来ると彼が首相になるからもうこの国に来るなと、友人に言われる始末。09年に来てみると、確かに同氏が三たび首相をしていた。
今回驚いたのは94年の反対の理由である。首相を初め、顔ぶれが同じなのだ。フィーニ、ボッシ、ダレーマ、アマート、ボニーノ等々。
ベルルスコーニ氏は、ただ長期政権を築いているのではない。賄賂、女性、マフィア等あらゆる醜聞の対象となり、国家とメディアを私物化しても、首相職にとどまるのだ。最近の少女や娼婦との醜聞で若干弱り気味だが、それでも過半の市民の支持を得ている。
なぜか。まず彼は希望のセールスマンである。自ら創った党の名は「がんばれイタリア」。元気のもとだ。そしてたたき上げの最富裕者として、イタリアン・ドリームを体現してきた。
また無限の自信家の彼いわく「愛させる術を知っている」と。相手が女性でも有権者でも、求めるものを即座に理解し提示してみせる。脱税する国民の心性を「わかる」とし、過去の脱税をわずかの罰金で免除すると静かな喝采が拡がった。
利益誘導が基本なら、イメージ操作も得意だ。今度のG8サミットの開催地も、地震の被災地ラクイラに突如変更し救済するとして人気を得たが、本当は予定地だった離島が随行員や報道関係者を収容不能だったのだ。
さらに、左翼が内部対立に明け暮れる中、どんな批判もその左翼の議論として閉じ込めるのに成功した。それが事実でも、裁判所の判決でも、彼によれば左翼の個人攻撃でしかない。
最後に、かの国の政治は生活に縁遠い特殊業界に映る。先日見た伝統の競馬の祭典、シエナ・パリオでは、負け組の大人がはらはらと涙を流していた。大切なのはそっちだ。国政は他の誰かがそこそこうまくやってくれればいいのだ。
驚きの劇場はまだ幕を下ろさない。
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