今月初め、20年前のドイツ統一をめぐる公文書が英労働党政権によって公表された。当時のサッチャー英首相とミッテラン仏大統領による反独発言や行動が広く報道されたが、それ自体は当時から知られていた。史料公開は通常30年ルールに拠るので、何らかの意図があるとみるのが普通だ。
一つは英国外務省益の絡みである。保守党のサッチャー首相による反独政策は全く機能しなかったが、彼女に異議を唱えた英外交官がいたのを強調したいのだろう。いま一つは労働党益だろうか。保守党は来る総選挙で勝利し、反欧的な態度をとる可能性が高い。それに対し、20年前、結局は仏独枢軸が復活しさらなる欧州統合に向かう中で英国が外された事実を、国民に想起させたいのかもしれない。
ともあれ、こうしてかつての歴史的出来事は、現在の政治闘争の対象となるのだが、見方を変えると、公文書に基づく歴史的評価は常に重視され、実務家に一定の緊張感を与えてもいる。
一般に政治家や官僚は、三重の検証をくぐる。かつて英国に3年滞在した際、最も羨ましかったのは、三重の検証がきちんと作動していたことだ。
第1は、批判的ジャーナリズムである。これは、現場から現状と問題点を同時代的に伝える。ときに画一的な報道に陥る米国に比べて、英国の水準は高い。
第2は、数年内にあるべき政策的検証である。例えばユーゴ紛争の1年後、オックスフォード大学では点検セミナーを開いていた。時の外相、NATO司令官、EUや国連の行政官、NGO活動家などを連続招聘し、問題点を洗い出す。自由闊達な議論は、呼ばれた実務家が嘘をつかず、その発言を研究者が引用しないというルールで可能になっていた。
しんがりを務める第3は、歴史家による検証である。これは最終的な審判といってもよい。英国をはじめ欧米諸国には、政策決定の過程を公文書の形で残し、ほぼ30年の時を経て公開する仕組みが整っている。日本でも、福田康夫元首相が主導し、やっと公文書管理法ができたのは記憶に新しい。
戦後の日本では、ながらく思想(史)系の知識人が時代を括り意味づけてきた。欧州では、歴史家の比重が高い。公文書がひもとかれ、そこから出てくる歴史解釈でようやく、政治家や行政官の評価が定まってゆく。だから歴史論争はいつも激しく戦われ、自然と実務家は歴史の審判を意識する。
新しい政治が日本でも始まっている。政治家や官僚は本当のところいま何を考え、どのように動いているのだろうか。幾重もの検証のまなざしに堪え、それを乗り越える成熟と気概が求められる。
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