何が「強い」首相をつくるのか
この20年ほど、政治改革、行政改革、構造改革の下で首相の権力はクローズアップされ続けた。伝統的に英国首相に比して弱いとイメージされた日本首相の権力は、小泉政権の下で評価が一変し、その後の3代にわたる首相交代を経てまたイメージが変転した。
実務家・研究者を問わず、皆一家言を持つこの論争的なテーマについて、著者の高安は正面から取り組み、緻密で説得的な政治科学の良書に仕上げている。
何百とあるアプローチの中から高安が慎重に選びとったのは、新制度論とプリンシパル・エージェント理論の組み合わせである。それによれば、首相は、一定の公的権力資源を持ち、大臣や官僚に対し主人(プリンシパル)であるのと同時に、政権党の代理人(エージェント)でもある故、自らの政策を遂行する上で、政権党との関係を重視し、地位維持ゲームに腐心せねばならぬ存在と仮構される。
この仮説は、日英の制度配置が類似していた1970年代において、4人の首相(ヒース、キャラハン、田中、大平)が、外交、財政、エネルギーの三主要領域にていかに権力行使したかという計12の比較事例検証にかけられる。その結果導き出されるのが、公的な権力資源とともに、政権党の組織の在り方が決定的に首相権力の差異を説明するという結論だ。
一見穏当に見えるこの結論は、日本の首相は弱いとか、結局支配しているのは官僚だとか、はたまたパーソナリティが首相のパフォーマンスを決めるといった議論や、それらを前提とした政官関係論、リーダーシップ論、人物(首相)中心の歴史記述に対する鋭い批判を潜めている。
もちろん、政治を科学し、変数を絞り込んでいくとき、そこからこぼれおちる要因(たとえば制度の使い方における首相個人のスキル、1970年代と現在との環境の差異等)は気にはなる。あるいはまた、日英比較を超えた首相論の一般化を目指すとき、政権党を自ら作ってしまったベルルスコーニ伊首相などにも政権党の拘束力という枠組みが当てはまるのかといった理論の射程の問題もある。
しかし他方で、高安の研究はそうした他の要因や理論の射程の問題を含め、検証可能なかたちで開かれており、それがこの研究の価値をさらに高めているといえよう。
第一級の政治学者の誕生を心から祝福したい。
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