フィレンツェ近郊のプラトに行ってみて驚いた。以前から聞いてはいたのだが、まるで中国そのものの大きなチャイナタウンがある。活気に満ち、すべてが安い。
プラトは、ドォーモ(大聖堂)の美しい、典型的なトスカーナ地方の中世都市である。伝統的に繊維業が盛んだが、これがそっくり中国人の手に渡った。多くの衣料品はメイド・イン・イタリー・バイ・チャイニーズなのだ。
地元警察の見積もりによると、人口18万人強の小都市に、合法で1万人、不法滞在を含め3万5000の中国人がいる。実に5人に1人の計算だ。移民が始まったのは1980年代後半で、90年代に本格化した。温州出身者が多いが、最近は多様化している。
現地のイタリア人にとってショックなのは、中国人の数だけではない。生き方や働き方が根本的に異なるのだ。チャイナタウンと少し離れた大規模な工場・倉庫群では、基本的に職住一致だ。狭い部屋に何人も住み、繁忙期だと寝食時以外は働く。彼らの低賃金労働も相まって、この10年で衣料費は格段に下がった。
イタリア人と中国人の間に対話はほとんどない。多くの旧住民は、チャイナタウンに近寄りもしない。かつて移民を送り出す側だったイタリア人も偏見と闘ってきたのだが、そんな歴史はお構いなしだ。
何の解決にもならないはずなのに、ベルルスコーニ首相は、50人ほどの軍隊をプラトに派遣した。連立を組む移民排斥政党のご機嫌と、国民からの人気を取るためだ。派遣を要請したのは、現地で半世紀以上続いた左翼市政を最近倒した右派の市長である。
もっともイタリアにいる外国人は中国人だけではない。正確な数は不明だが、トスカーナ在住の日本人も約3000人に上ると見られる。むろん、短期滞在者を含めるともっと多い。高級衣服店はもちろん、ワイン専門店、ジェラート屋、パン屋、はては八百屋など、いたるところに日本人、特に長期滞在の女性が入り込み、親切に手助けしてくれる。
不法滞在というと、他国の人を思い浮かべる人が多いが、星の付くレストランで修業している日本人男性の多くは、超過滞在で警察に追われた経験を持つ。
グローバル化は人の移動を伴う。イタリアにおける日中の例は、ありふれた一例に過ぎない。一方でそれは、共生の問題を提起する。他方で、廉価で時に高品質な衣服が中国人によってグローバルに作られているのと同様、おいしいイタリア料理や安心の観光旅行は、在外の日本人に支えられている。
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