民主党の原点として、「市民参加のオープンな政治」と自民党に対する「政権交代ある民主主義」の二つを指摘できます。1996年に元々の民主党が菅直人氏らを中心に結成された時点ではネットワーク型政党を標榜し、トップダウンではない党運営や市民参加を重視していました。
しかし、その後、解党した新進党の諸グループが民主党に合流すると、議員政党の色彩が強まりました。03年には、当時の菅代表が、政権交代を目指すために小沢自由党との合併に踏み切りました。市民派的「理念」は希薄化し、国会議員がつくる「政策」が重視されるようになりました。
06年に就任した小沢一郎代表は選挙至上主義へと大きくかじを切り、執行部のトップダウンを強めます。民主党は市民中心で分権的なネットワーク型政党から、国会議員中心で分権的な議員政党を経て、国会議員中心で集権的な選挙プロフェッショナル政党へと変化してきました。
背景には、90年代初め以来の政治改革の制度的圧力があります。政治改革は英国型の民主主義を目指して、小選挙区制の導入、首相権限の強化などによって二大政党間の政権交代と政治主導を実現しようとしました。有権者が政策に基づいて政党を選択し、政権の座に就いた政党がその政策を政治主導で実施する。こういうタイプの政党デモクラシーを理想としたのです。
しかし、政権交代後、そのような政党デモクラシーの様々な問題点が露呈しました。そこで、マニフェストの修正、政府・与党の一元化の手直し、官僚たたきから協力路線への変更などが行われました。しかし、特にマニフェストの修正は、それを表看板にしてきた民主党に大きなダメージを与えました。
菅氏は、マニフェストの修正、オープンな参加の政治と熟議の民主主義を唱え、軌道修正を図っています。マニフェストの実現と政治主導の徹底を掲げる小沢氏は、この軌道修正に反対しています。これが今回の代表選の主たる争点です。消費税や普天間は確かに非常に重要な問題ですが、両氏のかつての政策的立場からすれば現在の主張は逆転しており、政党デモクラシーのあり方との関連で争われているとみるべきでしょう。
マニフェスト至上主義や生硬な政治主導の問題が明らかになった以上、菅氏の考え方が望ましいという結論になりそうですが、そう簡単ではありません。菅氏は主に政権運営の観点からマニフェストを修正してきたからです。
菅氏の「オープンな参加の政治」は国会議員によるボトムアップ的な党運営を、「熟議の民主主義」は個別政策に基づく野党との部分連合を意味しているようです。分権的とはいえ国会議員中心の菅氏に対し、有権者との契約であるマニフェストをトップダウンで実現しようとする小沢氏の方が一見、民主主義的に見えるのはそのためです。
菅氏は、市民派という自らの原点に立ち戻り、選挙以外にも民意を反映する諸回路、オープンな参加・討議・合意の場を政府と党にわたって重層的につくっていく必要があります。それがなければ、選挙で約束したマニフェストの修正について民主主義的な正当性を得られないでしょう。
(朝日新聞 オピニオン 民主党「解体新書」 2010年9月10日)
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