グローバル化した世界では、主権国家以外にさまざまな超国家的な主体も関与する形で、世界大の政治経済体制としての「帝国」が成立している。こうした議論で知られるイタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリの来日が、土壇場で中止となった。政治テロ事件への思想的影響力が疑われ有罪となった経歴が問題にされたようだが、7月のサミットをにらんだ入国管理の引き締めも関係していると見られる。
グローバル化へのネグリの評価は両義的であり、一面的な批判ではないが、「帝国」に対する「マルチチュード」(多数の、多様な人々)の「反乱」の可能性についての彼の議論は、反グローバリズム運動に想像力を提供してきた。日本でも、格差社会や不安定雇用を生む市場万能論への批判が強まりつつあり、ネグリ来日はその意味でも期待されていた。
自らの強力さを「演出」
日本では一大イベントとされるサミットだが、吉田徹は、「社会経済が高度に複雑化して流動化するグローバルな時代に」おいて、一握りの政治家の会合が世界を動かせるという発想自体がナイーブであると指摘する(1)。小倉利丸も、サミットが一枚岩ではなく、「むしろその内部に常に対立と矛盾」があることに注目する(2)。一方で自由貿易を強調しつつ、他方で「国益」を追求するということになれば、自国産業保護などをめぐって、矛盾した対応となるのは不可避だからである。
にもかかわらず「サミットが続いているのは、国際社会の一体感を演出」する狙いがある、というのが吉田の見立てである。サミットとは、「帝国」権力の中心というよりも、むしろ、旧い権力が自らの強力さを「演出」する場だ、ということであろう。
ネグリの入国中止も、日本の国家権力の強大さより、その陳腐さを象徴する出来事なのかもしれない。多くの国を自由に訪れている国際的な学者の講演活動を警戒する必要がどこにあるのか。サミットに向けて、札幌の繁華街等で「自粛」や排除の動きが始まっていることを紹介しつつ、吉田は、そこに「漠然としたセキュリティー意識と事なかれ主義」を見いだすが、それと通底したものがありそうだ。
2月には、日教組の教研集会が、会場ホテル側の一方的な解約で中止に追い込まれた。街宣車の騒音や警察の警備が近隣の「安全安心」を脅かすから、というホテル側の説明では、仮処分決定さえ顧みない理由としては薄弱であり、なんらかの恫喝に屈したのではないか、との見方もある。しかし、当事者に取材した斎藤貴男は、右翼からの圧力は一切なかったというホテル側の主張は、「もしかしたら本当だったのかもしれないと思えてきた」と言う(3)。むしろ、漠然としたセキュリティー意識の暴走だったのか。
近年、少年らによるホームレス(野宿舎)への凄惨な襲撃事件が相次いだ。「社会のゴミを退治するという感覚だった」などと嘯(うそぶ)く犯人らの偏見が、厳しい現実をふまえずに野宿者を怠け者として扱う大人たちの態度の反映であったことを生田武志は示す(4)。実際に、生田の授業で野宿者と接することによって、子どもたちの偏見は払拭されていったが、一部の親や政治家からは、接触そのものを危険視し、妨害しようとする反応があったという。
こうしたセキュリティー意識は、一般の人々の間に深く根を下ろしているが、それは現在の政治経済体制のあり方と無縁ではなかろう。そこでは、連帯は無用であり、「雑音」や「異物」を排除し、周囲を蹴落とすことで、競争力を高め続けなければならないとされている。こうした体制下で疲弊しながらも、それに代わりうる選択肢が見えないという事情が、人々を頑なにしてしまっているのではないだろうか。
競争と平等の両立
ロバート・カトナーが紹介するデンマーク・モデルは、この点で注目される(5)。通常、競争と平等は二者択一的に捉えられるが、デンマークでは、グローバルな競争力を高めつつ、格差の小さい社会を実現しているというのである。「フレクシビリティー(柔軟性)」と「セキュリティー」を結びつけた造語「フレクシキュリティー」がこのシステムの中心にある。
そこでは解雇は自由なので、雇用主は好況期には安心して採用できる。労働者は失業しても国による保障が一定期間あるし、スキルを高める制度の充実もあって、再雇用を見つけるのが容易なため、解雇を恐れる必要はない。こうして、労働市場の柔軟性と社会民主主義の安定性が両立するとされる。
もっとも、長い歴史の中で形成されたシステムを外に移植する可能性については、カトナーも慎重である。「協力の文化」を共有する国民の存在を前提としてきたシステムが、近年の移民人口の増加に伴い、困難に直面しているとも言う。閉ざされた境界線の内部を最適化するモデルのすぎない、という批判も可能であろう。
それでも、政策的な努力の積み重ねで、主権国家レベルとはいえ、せめぎ合う原理の調停が進んだとすれば、その意義は小さくない。排他的なセキュリティーに閉じこもることなく、「反乱」を待望するのでもなく、一歩を踏み出すことはできないか。
今月の注目論文
- 吉田徹「グローバル時代の政祭(まつりごと)としてのサミット」(論座4月号)
- 小倉利丸「グローバル化する治安警察体制とG8サミットの役割」(インパクション162号)
- 斎藤貴男「プリンスホテルの恐るべき『善意』」(世界4月号)
- 生田武志「学校で野宿者問題の授業を」(世界4月号)
- ロバート・カトナー「コペンハーゲン合意」(フォーリアン・アフェアーズ3・4月号)
- 山形浩生「少数精鋭による見事な国家運営」(Voice4月号)
- 藤井良広「日銀人事騒動が示した中央銀行総裁の『資質』」(エコノミスト3月4日号)
- 和田耕治「感染爆発から企業はどう守るか」(東洋経済3月8日号)
- 「特集 理想の書評」(論座4月号)
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