社会との連帯どう回復 若者に二つの処方せん
ほぼ50歳という同年代の政治学者と社会学者が、若者に向けた本を相次いで出版した。それぞれの著者が抱く現状への危機感が背景にあることは間違いないが、その示す方向性は微妙なずれを見せている。
山口二郎の「若者のための政治マニュアル」は、「社会の荒廃で様々な被害を受けている若い人々に対して、政治のスキルを提示」しようとしたという。そのスキルを定式化した10個の「ルール」には、「自分が一番―――もっとわがままになろう」や、「権利を使わない人は政治家からも無視される」などが含まれ、自らの利益のための権利主張が、政治的行動様式として奨励される。民主政治では、多様な利益主張のぶつかり合いの中から、公益は発見されて行くとするのである。小泉元首相らの「構造改革」路線の下で、リスクが「自己責任」として個人の負担とされる一方で、特定の個人や集団の利益が公益であるかのように偽装された、という判断がその基礎にある。
山口の議論では、世代や時代による世界観や価値観の違いはあまり想定されていない。「衣食足りて、家族や仲間と楽しく生きることを最も大事だと考える普通の人の生き方」をどう保障するか、という観点から社会的な連帯の回復が目指される。若者が沈黙によって不利益を蒙らないように助言したい、ということであろう。
これに対し、宮台真司は「14歳からの社会学」で、現在のような「豊かな時代」では、生活そのものをめぐる争点よりも、他者からの「承認」をいかに獲得して、「尊厳」ある存在となるかが問題となっているとする。かつては共有されていた、「いい学校・いい会社・いい人生」という前提も失われ、若者たちはどうすれば「承認」を得られるかに悩んでいる。そのため、ゲームのようなヴァーチャルな世界に逃げ込もうとする人々も現れるが、そこで「承認」を得ることはできない。かといって、自分に合った仕事を求めて転職を繰り返してもきりがない。
それではどうすればいいのか。宮台は自らの体験にふれながら、すばらしい大人と出会って、その生き方・考え方に「感染」することの重要さを説く。また、自分が必ず死ぬことを意識し、社会内で承認を求め続けることの小ささを知ることで、かえって生きていく上での力を得られる、ともしている。若者が自ら悩みながら、社会とのつながりをつくっていくのを支えよう、ということであろう。若者が社会から排除されることを心配する山口と、若者が社会から自ら離脱して行くことを憂慮する宮台。このような両者の差異は、二人の政治観の違いとも関係しているようだ。若者の政治参加によって政治が健全化されるとする山口に対し、宮台は、社会の設計、すなわちルールづくりは専門的なエリートに委ねて、自分の生活に専念せよと若者に説いている。現代における民主政治の可能性とその限界について考える上でも興味深く、年齢に関係なく一読を勧めたい2冊である。
(北海道新聞「現代読書灯」 2009年2月8日朝刊)
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