一連の政治改革により、意図的に誘導されてきた二大政党制に近い形で選挙を迎えます。結果次第では、これまでとは逆の形で一党的になる可能性もある。二つの安定した政党が、何回か政権交代をしなければ二大政党制になったとはいえないわけだから、その方向に向かっているのかどうかは、まだ分からない。
ただ、世論調査などを見ている限りは、与党がダメなら、別の党という可能性が出てきたことについては、かなり積極的に評価しているんじゃないでしょうか。一度変えてみようという感じが出てきているのは間違いない。
争点が見えないという言い方もされますが、大きな対立軸はある。私たち自身の社会の在り方をどう変えるか、あるいは変えないのか、です。
企業に期待し、企業をもり立てることによって人々にも利益がいくというのが自民党。個人の生活の方を守ることにより国内需要を喚起していけば、企業も潤うというのが民主党。もちろん、両方やらなければ駄目ですけど、どちらに重点を置くか。自民党はいわゆるマクロ経済重視に対し、民主党はミクロ重視という言い方もできる。
政策実現のため、自民党はどちらかというと官僚機構が団体におカネを回すという形でやっている。それに対して民主党が言っているのは、もう少し個人に直接、判断を委ねる、生活についての判断がもう少し個人ベースになる。
家族像、労働像についても違いがある。夫が1人で稼いできて妻は専業主婦、あるいはパート労働という限られた枠の中で働いている、というのが自民党が守ろうとする従来の姿。民主党は、夫婦2人とも働いている家族像を前提にして、どう考えていくかに変えようとしている。
そういう自分の問題として考えたときに、かなり対立軸は明確化してくるわけです。ただ、あまりにもマニフェストだけが強調されると、いろいろ問題点がある。あいまいで美辞麗句であったかつての公約を批判し、変えるということには意味はあるし、政策的なことを考えるきっかけになっているのはいいんですが。
一つは政策的な硬直性がある。今決めて、何年間か後までずっとその通りやります、ということだったら困るわけです。政治は生き物だから、状況が大きく変わればマニフェストとは違うことをやらざるをえないこともある。もちろん、変える場合にはちゃんと説明しなければいけませんが。
だから、マニフェストから見えてくる社会の方向性、社会像をもっと議論するべきです。現状はこうで、こういう方向にもっていきたい、という大きな総論があって、そのうえでの各論でなければいけない。
民営化や新自由主義の時代を経て、不況による貧困時代というような大きな経済状況の変化を経験した。その中で、私たちはいろいろな社会を見、勉強しました。
政治の持っている可能性には幅があり、決して選択の余地がないわけじゃない、ということを知った。そのことを思い起こし、自分としてはどういう社会が望ましいのか判断するということでしょう。
(談)
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