経済立て直しに不可欠 市民社会と国家の連帯
菅直人首相は所信表明演説で「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」の「一体的実現」を打ち出した。注目されるのは、これまでその負担面だけが強調されてきた社会保障について、それが人々を安心させて消費の増大をもたらしたり、新たな雇用を生み出したりする面もあるとしている点である。
菅首相が助言を求めたといわれる財政学者の神野直彦は、「『分かち合い』の経済学」で、経済を立て直す上で国家財政や社会保障が果たしうる積極的な役割について述べている。かつての日本では、擬似共同体としての企業が、終身雇用・年功序列を通じて、人々の生活を一定程度保障していたし、家庭内では女性が無償労働を担当していた。しかし、今や企業も家庭も変化し、人々の生活を守る普遍的な社会保障の枠組みをつくることが急務となっている。
また、大量生産・大量消費体制から、より付加価値の大きい産業構造への転換を進めるためには、「知識社会」が実現されなければならず、そのためには人を育てる教育分野への投資が必要である。ところが、神野によれば、市場的な競争の原理ではこうした対応は無理であり、国家の財政が担うしかない。市民社会的な分野と国家財政が連携する「分かち合い」の経済の意味が大きいというのである。
政治学者・宇野重規の「<私>時代のデモクラシー」は、現代における社会的連帯の喪失を、<私>をキーワードにして読み解いている。かつて人々はさまざまな中間集団によって包み込まれていたが、それらがなくなり、今では人はたったひとりでリスクを背負って生きていくしかない。
こうした中で人々は、さまざまな不満をもちながらもそれを「私事」ととらえ、政治という「公」の領域に、そうした不満を反映させることができないでいる。孤立感に苦しむ人々は、他者との具体的なつながりなしに、いびつなナショナリズムにとらえられがちである。
こう診断した上で宇野は、デモクラシーの活性化に活路を見いだす。ここでデモクラシーとは、単なる意思決定過程ではなく、「一人ひとりの<私>にとって不可欠な社会を再確認し、再創造するためのもの」でもあるとされる。他者とふれることで、自分自身が社会に存在していることの意味を相互に確認することができるし、問題の共通性に気づくことで、政治的な解決につなげていくことができるということであろう。
2冊の著書と所信表明演説とが一致してふれている「派遣村」は、あらゆるつながりが失われた後の連帯の可能性を追求するものであった。一過性の運動を安定的な制度へとつなげて行くことができるのか。さまざまな観点からの議論が求められている。
(北海道新聞「現代読書灯」2010年7月4日朝刊)
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