異質な他者 敵視し断罪 欧米自由主義に疑問符
差別と性暴力の嵐の中で「盗賊の女王」となり、後に投降して国会議員にまでなったプーラン・デーヴィー。その生涯をたどる「盗賊のインド史」の中で竹中千春は、彼女のような存在が生まれるのはインド社会の特殊性などではなく、そこには近代国家そのものがはらむ矛盾が露呈しているという洞察に達する。
平地では農耕や市場経済が発達する中、水不足地域に暮らす「山の人々」は、放浪を余儀なくされ、定住者側からは犯罪と見えるような生業に手を染めることになった。イギリス植民地権力は、彼らを「法と秩序」への挑戦と見なし、放浪する部族を生来の「犯罪部族」と指定して、施設に収容して矯正を図ろうとさえした。
個人の権利を重視する19世紀自由主義の黄金時代に、しかもベンサムら功利主義者の強い影響下に、こうした政策が実施されたのはなぜか。人々のふるまいを監視し、規則正しい存在にするための「パノプティコン(一望監視装置)」をベンサムは考案したが、そこで行使されるような規律化権力が植民地に持ち込まれたのである。この権力は独立後の国民国家にも継承され、人々は正しい国民となることを強制される。
しかし、そこに実現する「法と秩序」とは何なのか。正当な法的訴えさえ聞き入れられず、警察署で陵辱された若き日のプーランの姿は問いかける。
9・11の連続テロなどをきっかけに、異質な他者との共存という文脈で、「寛容」への言及が多くなっている。寛容は無条件でよいものと受け止められがちだ。しかし、ウェンディ・ブラウン「寛容の帝国」によれば、寛容は現在、強い立場の人々が世界を自分たちに有利な形で管理する仕組みになってしまっているのである。
ホロコースト告発団体が設立した「寛容博物館」では、「寛容な」側に属するとされる集団や国家と、「不寛容」な側との間に、明確な境界線を引く形で展示がなされているとブラウンは指摘する。文明と野蛮といった二分法と連動しながら、特定の集団が断罪される。
一部の人々がテロに走ったとしても、背景には貧困や歴史的な経緯があるはずだが、それらは無視され、アラブ人などが本来的にテロリストであるかのように、「犯罪部族」のように扱われる。ここに寛容を自称する側の不寛容が浮き彫りになる。欧米の自由主義者たちは、個人主義と世俗主義という自分たちの思想の普遍的正しさを信じるあまり、それ以外を特殊で危険なものと一方的に決めつけるのである。
もちろん(ブラウンも認めるように)、寛容を否定すればいいということにもならない。あらかじめ特定の人々を敵視するのではなく、彼らの苦難に寄り添いながら、しかも共存のための秩序をつくるには、どうすればいいのだろうか。
(北海道新聞「現代読書灯」2011年03月06日朝刊)
|