相対的貧困や剥奪が「生きる不安」に
英国で文化論的な視点から犯罪学の研究を重ね、本書の出版によって米国に招聘(しょうへい)された著者は、欧米の社会が「幅広い層の人々(下層労働者や女性、若者)を」受け入れて同化を目指す包摂型から、1960年代後半以降は様々な次元で人々を格付けして分断する排除型へ移行したという。その時期は、歴史家のホブズボームが指摘する「世界が方向感覚を失い、不安定と危機にすべりこんでいく歴史」のはじまりとも重なっている。
実際、市場競争が厳しさを増すなかで企業はコスト削減のために、ダウンサイジング(小型化)やアウトソーシング(外部化)を進め、正規雇用を縮小しながらパートや派遣などの非正規雇用を拡大してきた。この結果、「豊かな社会にいるにもかかわらず」相対的な貧困や剥奪(はくだつ)にさらされる人たちが増えている。
経済的にも、また社会的にも排除された人々の心には不満の種が宿り、それが犯罪となって表れる。これに対し警察が監視を強化しても犯罪は減らない。なぜなら犯罪は相対的剥奪の結果であり、その原因である「物質的条件が解決されないかぎり、すぐに再発する」からだ。
だからといって現在の社会を包摂型に戻すこともできない。「私たちの作業は、現在私たちが立っているところからはじめなければならない」。そのために著者が目標として掲げるのは「富の公平な配分と多様性の自由を保証する世界」を築くことだ。「正義の領域」では、性別や学閥および遺産などによるデタラメな配分を廃して能力に応じた報酬を実現し、「共同体の領域」では、文化は本質的に異なるのではなく、変容し融合すると考えて多様性を認め合うことが大切だというのである。
「正義」の基準となる能力をどのように測るかなど具体的な考察面では物足りなさもあるが、消費者の欲望を刺激しながら労働者の報酬を削減する市場原理の浸透が、経済的な不安定に加え、生きていることに対する不安まで惹起(じゃっき)することを8年前に見抜いていた原著の邦訳は、日本の格差や貧困をめぐる論争に新たな波紋を投じるはずだ。
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