「非暴力的」な文化が生んだ安全保障
本書が示す統計によれば、アメリカの警察は職務遂行に際し88年から92年の間に毎年平均「375人の重罪犯を殺している」。これに対し日本の警察が85年から94年の間に「殺したのは、全部で6人――1年に1人にもならない」。
もちろん、日本の警察も戦前は、多くの左翼活動家を「投獄し、拷問し」た。しかし、敗戦後は「どのような代償を払ってでも暴力を避け」、市民に「親しみやすいイメージを慎重に育て」てきた。その結果、定期的な家庭訪問で警察官が「緊急連絡先や電話番号だけでなく、家族の名前や本籍地、生年月日、職業」を聞いても、回答を拒否する人はほとんどいないはずだ。また、犯罪予防のためなら捜査令状がなくても、多くの人は住宅への立ち入り調査に協力するという。
一方、日本の軍隊は、戦後、自衛隊に変わっても反軍事的な世論によって活動を厳しく制限されている。「危機のときですら、自衛隊は、日本で自由に行動するための法的根拠を持っていない」。社会に溶け込んでいる警察と比較すれば、自衛隊は「大衆から著しく隔離されている」と言える。この一見すると異なる二つの現実の背景には、戦後の政治的闘争を経て日本の人々が共有するに至った「非暴力的」な文化という共通の要因があると、社会に与える文化の影響を重視する「社会構成主義」の研究で有名な著者は指摘する。
綿密な調査を積み重ね、安全保障を題材に日本を論じた本書の原著が出版されたのは96年である。人間の心が移ろいやすいように日本の文化も不変ではない。凶悪な犯罪が頻発するようになり、暴力を避ける警察では安全を確保できないと人々が思い始めれば、非暴力的な警察への信頼は低下する恐れがある。また、外敵から日本を守るためには軍事力の強化が必要だという世論が高まれば、改憲によって自衛隊が正式な軍隊に生まれ変わる可能性もある。
そう考えると、小泉政権以降の日本社会に見られる右旋回を主導しているのは、政治家ではなく、むしろ国民なのかもしれない。
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