日陰の労働者に寄り添って
格差を肯定する人は、勝者が高い報酬を得るのは当然であり、敗者には再挑戦の機会を与えればよいという。これに対し労働の光と陰を研究者の立場から見つづけてきた著者は、格差が拡大するなかで敗者を駆り立てるのは、勝者への憧(あこが)れではなく今の生活「から脱出しなければ……という切実な思い」であり、「ちゃんと生活できる」なら「大切なものを犠牲に」してまで「再チャレンジなどしたくないと考えるのがふつうでしょう」と反論する。
非正規労働者の増加についても、「IT革命によって高度な労働と単純な労働が分化し」たからという説明は安易すぎると批判する。実際、「半日ほどの訓練でできる」単純労働でも「責任は求められ」る。データの入力作業では「桁(けた)を間違えることは許されないし」、製品検査でも不良品を見過ごすことはできない。精神的な疲労に苛(さいな)まれる点ではどの仕事も同じなのだ。
働く者の権利を行使して、経営者に雇用条件の見直しを要求するのは労働組合の責務である。その意味で、企業や政府だけではなく、正社員中心の組合にも責任があるという著者の指摘は、現在の日本における格差問題の本質を突いていると言えよう。
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