本当に穀つぶし?氷河期世代に光
ロストジェネレーション。ヘミングウェイの長編小説「日はまた昇る」のエピグラフに掲げられた言葉だ。定訳は「失われた世代」だが、本書の取材班が「今、25歳から35歳にあたる約2000万人」に名づけたロストジェネレーションの意味は「さまよう世代」である。言葉の由来を辿(たど)れば翻訳家の高見浩氏が、「日はまた昇る」の解説(新潮文庫)で示しているように「自堕落な世代」とか「だめな世代」が正解かもしれない。しかし、本書の取材班は、若い芸術家にパリの自宅をサロンとして開放していた女性作家スタインから「だめな世代」のレッテルを張られたヘミングウェイよりも、そう言われて「くそくらえ」と反発しノーベル文学賞を受賞するまでに変身した「さまよう世代」のヘミングウェイに光を当てる。
一握りのIT長者を除けば、本書に登場するロストジェネレーションの生活は総じて貧しい。それは、彼ら/彼女らが社会に出た時代は「就職氷河期」と呼ばれ、新卒者にとっても正社員の道は極めて狭かったからだ。その結果、前後の世代と比較すると「さまよう世代」には、日雇いや派遣といった非正社員だけではなく、生活費を親の年金や生活保護に依存する者も少なくない。そんな世代を見る「大人たちの感想」は厳しく、その典型が石原慎太郎・東京都知事の「フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀(ごく)つぶしだ……働く場所がいっぱいあるのに、なぜ働かないんですか」という言葉に表れている。これに対し本書の取材班は、「本当なのだろうか」と疑問を呈し、「3カ月で16社の面接を受けたが、すべて落ちた」り、「さまざまな分野についての知識や経験を身につけることができます」との宣伝文句に惹(ひ)かれて人材サービス会社に登録しても、紹介される仕事は日替わりの派遣ばかりというフリーターやニートの実態を次々と明らかにする。
「人は生まれてくる時代を選ぶことはできない」。だから、運が悪かったとあきらめるのではなく、「穀つぶし」のレッテル張りには「くそくらえ」と反発し、新たな生き方に挑戦するべきだ。その一例が本書でも紹介されている社会的企業ではないか。「担い手の多くがロストジェネレーション」の「新しいタイプのカイシャ」では、利益最大化よりも「福祉や雇用、教育、貧困といった社会の難題」解決が目的だという。また、「群れたくない」と言って人との関係を避けてきた世代が、取り壊し寸前の店舗を「素人の乱」で再興し、東京の商店街の一角に生活必需品を相互に融通しながら「月収15万円以下で暮らせる場所を……作り上げてしまった」のも、突飛(とっぴ)だが、既成概念に対する挑戦だと思う。
豊富な取材によって「見えにくい存在だった」ロストジェネレーションを可視化した本書は、日本におけるロストジェネレーションの潜在力を見事に描き出している。2000万人という巨大な人口の塊が、個の殻を破り共鳴し始めたとき、日本の社会に新たな日が昇るに違いない。
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