元次官が痛感する政策「戦略」の重要性
01年1月の省庁再編に伴い、かつての経済白書は「経済財政白書」と名前が変わった。名前だけではなく、時の政権に媚(こ)びない中立的なかつての白書の分析も、当時の竹中平蔵大臣の言葉によれば「経済財政諮問会議の審議のサポート」に変容した。
変わり果てた白書を見て66年に経済企画庁に入庁し、事務次官を経て99年に退官した著者は「昔の白書を懐かしく思う」という。しかし、ノスタルジーから覚めた著者は心機一転、バブル発生以降の失敗の教訓を「公共政策に携わった者の責務」として「後進に伝え」ようと試みる。失敗の本質は「戦略性の欠如」にあった。高度成長に継ぐ目標を定められないまま、整合性を欠いた政策運営が続けられたのだ。実際、プラザ合意後の円高不況や貿易摩擦への対応を優先し、資産価格の高騰を放置した失敗がバブルを招き、その退治に固執した過度な引き締め策が、銀行のバランスシートに与える影響を看過した失敗の顛末(てんまつ)が90年代の「大停滞」だった。
30年以上に及ぶ政策現場での経験から著者が学んだのは、不況に陥れば長期の目標を棚上げしても景気対策に集中し、好況に転じれば目先の利益よりも長期の目標を追求するという、政策「戦略」の重要性である。その判断を間違えば、97年後半以降の不況の際に財政支出を惜しみ、虎の子の財政構造改革法の効力を成立後1年余りで失った旧大蔵省の轍(てつ)を踏む恐れがある。同様に、一見「勇ましい」小泉改革の行方も、格差を放置すれば必ずしも安泰ではない。「見えざる神の手」に日本の未来をゆだねる改革に批判的な著者は、「改革なくして成長なし」の帰結が「効率一辺倒・弱肉強食の格差社会」に見えるという。
本書には多くの政治家や官僚が実名で登場し、景気判断や政策調整をめぐる議論や交渉の様子が臨場感溢(あふ)れる形で再現される。そこで著者が示すのは、どんなに優れた人間でも間違うということだ。過去の失敗を責めても歴史は変わらない。しかし、失敗から学ばなければ同じ失敗が繰り返されるのである。
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