「成功」の裏に「看板会社」
自らの逆櫓(さかろ)を外しても改革に邁進(まいしん)したのは、国民生活に不可欠な鉄道輸送を守るためだったと、6年前の前著(『未完の「国鉄改革」』)で著者は回顧している。組織(国鉄)の方針に反抗して、分割民営化に傾斜する著者の将来を心配した上司に、「日本国家の国民であることこそが最終の組織人です」と答えた理由もそこにあったはずだ。
分割民営化から20年が過ぎた今日、著者は自分も知らないところで進められたもう一つの改革を明らかにする。それはJR東日本を国鉄改革成功のシンボルにする「看板会社構想」だ。その影響で著者が移籍したJR東海は、東京駅や品川駅の用地および在来線の分割で不利な扱いを受けたほか、東北・上越新幹線の建設に伴う債務のうち、2.3兆円弱も肩代わりさせられたという。
それでも、「日本経済の大動脈」から生じる膨大な需要と新車開発による輸送力増強が奏功して06年にJR東海は東日本、西日本に続き「完全民営化」を達成した。むしろ本当に深刻なのは、上場見通しも立たずにジリ貧が続く北海道、四国、九州のJR3島の各社である。改革の真実というなら自立の展望もないまま、なぜ3島が切り離されたのかも教えてほしい。
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