市場経済礼賛論の感染予防に最適
300年にわたる資本主義的な近代化が、生産の拡大に関する人間の能力を飛躍的に「向上させた」ことは間違いない。しかし、資本主義は貨幣の尺度で測られた「社会の利益」を最大化する一方で、その「能力を万人の生活改善に用いることは……できなかった」と、過激な社会批判で知られる哲学者の著者は指摘する。そもそも「資本主義は勝つか負けるかの……ゲーム」であり、「はじめから勝者よりも敗者を多く生み出してきた」からだ。それは「市場経済(資本主義)そのものの本性」がもたらす帰結でもあり、根本的な解決には資本主義を「停止させるほかない」と著者はいう。
もちろん、冷戦に勝利した資本主義は現在も繁栄を続けており、「訣別」の必要はないという声の方が多いかもしれない。しかし、著者によれば蒸気機関の発明により人間の筋肉を機械に置き換えた第一次産業革命や、オートメーションにより人間の労働力を合理化した第二次産業革命のときには、社会保障やケインズ政策による福祉国家が資本主義をも救ったが、新自由主義的な自己責任論が蔓延する今日では、IT革命による第三次産業革命で「人間の労働力」が次々と「余計なものに」されても、それを社会的に補償する「運動」は期待できない。この結果、大量の労働者の「貧困」が不断の価値増殖を求める資本主義を瓦解に導く恐れもあるという。
資本主義のオルタナティブ(代替策)として、著者が示すのは社会の全構成員による生産の自主管理(レーテ)である。訳者の渡辺一男氏はこの結論を最初に原著のエピローグで読んだとき「少々がっかりした」と述べているが、すぐに補足しているように「本書の価値と魅力」は、その前の800余(訳書では910)ページに及ぶ壮大な「資本主義」300年の歴史の批判にある。
8年前に出版された原著は、当時ドイツでベストセラー入りしたそうだ。大部の著作を紐解くにはそれなりの覚悟も必要だが、本書は猛威を振るっている市場礼賛論の感染予防には最適である。
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