― 幸福、政府、結婚「通年」疑う必要性 ―
「ゆたかな社会」は、日本でも有名なアメリカの経済学者ガルブレイスの代表作。原著の初版は1958年の公刊だが、その後何度か改訂され98年には40周年記念の新版が出版された。ガルブレイスは新版の序文で「初版で書いたことの多くを今でも承認している」と述べ、もっとも「満足」しているのは、「通念(conventional wisdom)」に関する章だと回顧している。
通念とは議論が正しいかどうかよりも、大衆の人気や賛成を得られるかどうかを基準に政治家や官僚および専門家が多用する観念であり、「われわれの幸福にとってもっとも有害なもの」だとガルブレイスは批判する。その代表が「消費者主権」であり、通念は消費者の欲望が企業の生産を規定しているというが、ガルブレイスは生産を拡大するために企業のほうが宣伝や販売術を駆使して消費者の欲望を刺激していると反論する。つまり「ゆたかな社会」においては、生産の拡大(経済成長)によって民間企業の利益は増加しても、消費者の福祉(幸福)が向上する保証はないというのだ。
ガルブレイスが「消費者主権」の虚構を指摘したのは50年近く前だが、生産の拡大を経済政策の目標に掲げる通念はいまも健在である。消費者の欲望をあえて創出しなければ売れないものを、企業がますます多く生産することにどのような意味があるのか、「ゆたかな社会」では改めて問い直してみる必要がある。
もちろん「ゆたかな社会」で生活する国民にも不満や不安はある。特に日本では老後の生活を保障する年金制度に不安を抱く国民が多い。その背景には保険料を納めても、それに見合う年金がもらえないのではないかという制度不信がある。これに対し社会学者の盛山和夫氏は「年金問題の正しい考え方」で、日本の制度は「多くの一般の人にとって…損はしないようにできている」という。ただ、「大きな政府」にして消費税を年金の財源とすれば高齢者も消費支出に応じて負担するから世代間の公平を確保できるとか、「小さな政府」にして各世代が自分の責任で老後の資金を積み立てれば負担と給付の世代間格差は解決できるといった経済学者の「通念」はいずれも誤っており、現役世代の所得の一定割合を年金として給付する賦課方式こそ公平かつ持続的な制度だと主張する。公平や正義の問題を長年考察してきた盛山氏にとっては、「大きな政府」か「小さな政府」かを問う二者択一論ほど、ミスリーディングな「通念」はないのである。
日本の将来を考えれば、老後の年金と並んで構造的な少子化も深刻だ。その原因に関して「一般に流布しているのは『仕事をしたいから女性は結婚しない』という説」である。しかし、パラサイト・シングル論で一世を風靡(ふうび)した山田昌弘氏は「少子社会日本」で、9割の女性が結婚願望を持ちながら、30代前半になっても3割の女性が未婚を続けているのは、結婚後の生活に不安がないだけの所得を稼ぐ男性が少ないからだという。保育所や育児休暇など働く女性の支援も重要だが、少子化対策としては独身男性に、もちろん独身女性にも安定した就業と所得の機会を提供するほうがはるかに有効かもしれない。通念を打破しなければ、「ゆたかな社会」は生まれないのである。
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