いまから40年近く前、夕張の親元を離れて一人で札幌に下宿し、通学していた高校の地理の授業で、内地(本州)から見れば津軽海峡を渡ると「北海道」と札幌があるという話を聞いて「なるほど」と得心したことがある。「北海道」の炭鉱町で生まれ育った私にとって、札幌は別世界だったからだ。
子供のころ、バスや汽車に乗れば片道1時間半ほどだが、家族総出で札幌に出かけるのは年に1、2回の大行事だった。何カ月も前から日程を決め、精いっぱいのおしゃれをして札幌のデパートへ行ったのである。そこにはあこがれのおもちゃ売り場があり、屋上に行けば遊園地もあった。食堂ではグラタンとソフトクリームのランチを楽しみ、地下の食料品売り場に行けばしゃれた洋風の総菜や、クリスマスでもないのにデコレーションケーキが売られていた。
進む札幌との格差
驚きやあこがれの大都会札幌だったが、生活の拠点はあくまでも「北海道」にあった。その意味で札幌と、それ以外の「北海道」の間にはすみ分けが成立していた。ところが、1972年の札幌オリンピックを境に「北海道」が停滞し始めるなかでデパートではなく、日々働き生活する場所を求めて「北海道」を離れ、札幌を目指す人が増え始めた。
実際、私が高校生だった70年には国勢調査によれば「北海道」対札幌の人口は417万人対101万人だったが、2005年においては375万人対188万人と札幌への集中が進んでいる。
小泉改革の旗振り役だった竹中平蔵元総務相は、都市と地方の経済格差が拡大したり、一極集中が進んだりするのは成長に伴う一時的な現象にすぎず、地方の活性化には強い者をより強くする改革の継続が必要だと主張する。その根拠が、強者の富が増えれば弱者にも滴り落ちるというトリクルダウン説である。
ストロー説に実感
しかし、札幌よりも「北海道」で長く暮らした経験のある私には、札幌が強くなればいずれ「北海道」も元気になるというトリクルダウン説よりも、札幌が強くなると「北海道」の富はますます札幌に吸い取られるというストロー説のほうがはるかに説得力がある。北海道に限らず、日本中でさまざまな地方の活性化策が講じられてきたのも、トリクルダウン説に依拠するだけでは都市と地方の格差は縮小せず、一極集中が生じる恐れが強かったからではないか。その意味で、トリクルダウン説は強者の論理にすぎず、それをベースにした改革も、また強者の改革と言える。
水は高きから低きに自然と流れるが、人は市場原理に任せれば低き「地方」から高き「都市」に流れてしまう。その流れをせき止め地方の生活を守るためには、あえて地方重視の政策が必要だと説いたのは田中角栄元首相である。いろいろと問題のあった政治家だが、少なくとも小泉純一郎元首相よりは地方の実情をずっとよく知っていたように思う。
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