自己利益の追求に執着
理念失った米国社会
「アメリカの民主政治(デモクラシー)」の著者であるフーフンスの思想家トクヴィルが、9カ月のアメリカ視察に旅立ったのは1831年、26歳のときだ。当時のアメリカは現在の超大国からはほど遠い、独立から半世紀あまりを経た新興国にすぎなかった。しかし、そこでトクヴィルは「フランスの未来」を見たという。その未来とは「自らの利益を公共の利益のために犠牲にする精神」によって辛うじて成立する旧い共和制ではなく、自己利益の追求が「社会の繁栄と…密接に結びついでいる」新しい共和政、すなわちデモクラシーだったと、「トクヴィル 平等と不平等の理論家」で宇野重規氏は指摘する。
利己的な利益の追求が価格という「見えざる手」に導かれて社会全体の利益に結晶するためには、「他者の喜びや痛みに共感する」道徳感情が必要なことをアダム・スミスが見抜いていたように、トクヴィルも「自己の繁栄と社会の繁栄」が矛盾しないデモクラシーが成立する前提として、「身の回りの他者を自分の同類とみなす」民主的人間の精神が不可欠なことを洞察していた。
もちろん、「他者と自分とを同質的なものとみなす」デモクラシーの平等社会においても「不平等は残る」。しかし、「貴族制社会(アリストクラシー)」のような不平等社会とは違い、平等社会では「不平等に対する異議申し立てによって、平等化に向けての新たなダイナミズムがつねに生まれてくる」とトクヴィルは説く。「このダイナミズムこそ…近代社会の最大の特徴で」あり、この発見こそ…トクヴィルの<可能性の中心>であつた」と宇野氏はいう。
しかし、トクヴィルが180年近く前に「平等化のダイナミズム」を発見したアメリカは、いまや先進国のなかでもっとも大きな格差を抱える国と化している。新自由主義的な発想が蔓延するなかで、平等化よりも不平等化のダイナミズムが働きはじめているからだ。実際、飢えに苦しむ貧困者をジャンクフード(カロリーだけが高い粗末な食品)漬けにして肥満に追い込む食料ビジネス、失業者を巧みに勧誘して被災の危険が高い戦地に送りこむ派遣ビジネス、さらには年間100万円以上の保険料を徴収しながら難解な契約条項を盾に医療費の支払いを拒む保険ビジネスなど…。堤未果氏は「ルポ 貧困大国アメリカ」で、冷酷かつ残酷なアメリカビジネスの様相を、豊富な取材を基に臨場感あふれるタッチで描き出す。
貧困はけっして自己責任ではない。「ニッケル・アンド・ダイムド」はコラムニストのバーバラ・エーレンライクがワーキング・プアの「先進国」アメリカで、「肉体的に厳しい仕事」の割には賃金が低い、ウエー卜レスや清掃作業員を経験しながら書いた「潜入ルポ」である。2001年にアメリカで出版された際は100万部を超える、ミリオンセラーになったが、今では「古典」の部類に入る、つまり誰も読まないが内容は知っているかもしれない。なぜなら、ワーキング・プアはあえて「潜入」しなくても、誰でも観察できる「日常」になったからだ。
かつて、トクヴィルはアメリカにフランスの「未来」と「過去」を重ねながら、「未来」を見ようとした。しかし、少なくとも現在のアメリカに、私は日本の「未来」を見たくはない。
(北海道新聞「現代読書灯」 2008年02月17日)
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