大資本に翻弄される弱者を赤裸々に
9・11同時多発テロに遭遇し、世界貿易センタービルが倒壊する一部始終を著者は隣のビルから目撃した。「しばらく後遺症に苦しん」だという著者が、2年後に訪れたアメリカで見たのは「貧しくてふみつけられて、搾取されてる」弱者だった。その悲惨な現実を命がけの取材で抉(えぐ)り出した前著(『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』海鳴社)のあとがきで「まだ希望がある」と著者が語っていた言葉は、今でも評者の心に残っている。
新たな取材を基にした本書においても、著者の視線は「人間らしく生きるための生存権を奪われた挙げ句、使い捨てにされてい」る弱者に向けられている。実際、現在のアメリカは束の間のマイホームの夢と引き換えに、膨大な借金を背負って破産する貧しい移民や、人災とも言えるハリケーンの被害で、住み慣れた土地を追われ路頭に迷う国内難民、また保険会社だけが潤う医療保険の下で過酷なノルマを強いられる医師や、高額の医療費を払えずに病院から排除される患者、さらには甘言に弄されて学費欲しさに軍隊を志願し、帰還後は心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ廃人と化す若者や、目先の職と高賃金に引かれて戦地に「民間人」として派遣され、生命を落とす失業者などで溢れていると著者はいう。
そうした現実は、教育や医療、果ては国家間の戦争までを民営化したアメリカにはびこる新自由主義の顛末(てんまつ)でもある。いまや「この世界を動かす大資本の力はあまりにも大きく」、かつて福祉国家の領域だった公共サービスの分野に、利益第一の民間企業が次々と侵入しているのはアメリカだけの現象ではない。同じことは小泉改革後の日本でも生じているのだ。
大資本のビジネスに翻弄される弱者の姿を、著者があえて赤裸々に描くのは読者の同情を買ったり、恐怖感を煽ったりするためではない。抗う勇気を読者に抱いてほしいと願っているからだ。その勇気に著者は希望を託し、弱者の現場で懸命に取材を続けているのである。
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