不況下における景気対策の有効性を唱えたケインズを、「大きな政府」や「財政赤字」の元凶のように批判するエコノミストは意外と多い。しかし、ケインズは政府による景気対策を無条件に支持したのではない。
「国家のなすべきことで最も重要なことは、…国家が決意しなければ、一人として実行できない決意に関連するものでなければならない」(『自由放任の終焉』)と述ベているように、民間にできることば民間に任せ、政府でなければできないことだけを政府は行うベきだと主張したのだ。
ケインズが1930年代の大不況下で公共投資の必要性を説いたのも、民間の自由な経済活動に任せるだけでは膨大な失業者を救済できないと判断したからである。
軍事費の拡大招く
ただ、ケインズはどうすればマクロ的な失業を解決できるかという問題に集中するあまり、社会にとってどのような雇用の創出が望ましいかを看過してしまった。
ケインズの高弟ジョーン・ロビンソンは70年代初めのアメリカ経済学会における講演で、その顛末が冷戦下における軍事費の拡大という「経済学の第二の危機」となって現れていると警告した。
日本の道路や橋の建設費よりも、はるかに膨大な国防費がアメリカでは雇用対策の主要な柱として支出されていたのだ。実際、冷戦中のアメリカにおける国防費は対国内総生産(GDP)比で約6%と、比率的には日本の公共投資に匹敵する水準に達していた。
その後、冷戦の終焉に伴いアメリカの国防費は半減し、その多くは平和の配当として財政赤字の削減や情報ハイウエーなどに使われ、アメリカ経済の再生にも大きな貢献を果たした。
これに対し日本の公共投資は冷戦終焉後も、バブル崩壊による不況対策を口実にして大盤振る舞いが続き、小泉純一郎元首相の構造改革で「大なた」が振るわれた後も、国際的にみれば高水準で推移している。もちろん、アメリカでも9・11同時多発テロ以降は、再び国防費が冷戦時代の水準にまで急増していることを見落としてはならない。
民間に任せるだけでは完全雇用が実現できないことを見抜き、金利引き下げや政府支出の拡大によって大不況という「第一の危機」を克服したのはケインズの慧眼だった。
「自由放任」の亡霊
しかし、既述したように社会的に望ましい雇用をいかに創出するべきかという視点がケインズには欠けていた。それが「第二の危機」をもたらしたというジョーン・ロビンソンの警告は、マネタリストや新自由主義者によって否定され、いまや経済学の主流は再びケインズ以前の「自由放任」に戻り始めている。
グローバル化の進展によって顕在化している格差や貧困は決して新しい問題ではない。かつてケインズの思想に抵抗した「自由放任」の亡霊が復活しているだけなのである。
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