バブル崩壊から20年近くが経過した。この間、日本経済は実質2%、名目3〜4%の安定した成長軌道に復帰できないまま、量的にも質的にも低迷をつづけてきた。
1991年度から2008年度までの年平均成長率は実質1.0%、名目0.6%にとどまり、「日常生活で悩みや不安を感じている」国民の割合も同期間で46.8%から70.8%(内閣府『調査』)に増加した。
成長率に関するかぎり、もはや、かつての「元気」を見いだせない日本経済を前に、自民党が与党だった時の政府と官僚(以下、旧政権と呼ぶ)は一貫して循環的な景気回復と安定的な経済成長を最優先の政策に掲げてきた。
「自民党をぶっ壊す」と豪語した小泉純一郎元首相の「改革なくして成長なし」も例外ではない。郵政民営化を本丸と称した改革の正体は、中身を見れば政府は非効率、民間は効率と最初からきめつける「新自由主義」的な成長政策にほかならなかった。
過大な期待与える
誤解がないように付言すれば成長自体が悪いのではない。悪いのは、成長を馬の鼻先につるしたニンジンのように利用して国民に過大な期待を与え、最終的に約束を果たさなかった旧政権の失政である。
経済的に国民はどれほど「だまされた」のか。政府経済見通しと実績の差を筆者が試算したところ、91年度から08年度までの累計名目GDP(国内総生産)の誤差は総額1639兆円、国民1人あたり約1300万円にも及んだ。
こう書くと、成長主義者からは「低い目標しか持たなければ低い成長率しか実現できない。高い成長率を実現しようとするなら高い目標を持つべきだ」という反論が返ってくるかもしれない。
しかし、すでに日本の潜在成長力が1%前後にまで低下していることを考えれば、背伸びをしても届かないような目標を掲げて無理に実現を図ろうとしても過度な外需依存に陥り、経済も社会も不安定になるだけである。
新政権「生活第一」
そもそも投資が投資を呼び10%台の成長ができた高度成長期も、地価や株価の高騰で成長率が5%を超えたバブル期も歴史的には「異常な時代」だったことを忘れてはならない。
いまや普通の先進国となった日本で「成長第一」を目標に掲げて安い賃金で過酷な労働を国民に強いても、努力が報われないことは、旧政権の重なる失政で証明済みである。
幸い、この8月の総選挙で大勝した民主党は「国民の生活が第一」とマニフェストで掲げ、「生活の安定が希望を生み、意欲的になった心が、この国全体を押し上げていきます」として、成長よりも一人一人の生きている人間の暮らしに焦点を当てるとうたっている。歴史的な政権交代が実現したいまこそ、国民本位の大胆な政策転換を期待したい。
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